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私が自己理解に興味をもったきっかけ。
私が心とか自己理解に興味を持ったきっかけ。
幼少期のころからのことを、色々書いてみようかと思ったのですが。
その前に、そもそも私が自己理解や心の問題をいろいろ調べていたのか、きっかけのような、始まりのようなことを振り返ってみようと思います。
先に答えを言ってしまうと、
生きづらすぎたからですね。
自分がなんてこんな状態になってるのか、
みんなそうなのか、
なにか原因があるはずだ、と思って湧き出た感情とか、疑問をひたすら検索エンジンに入れてました。
もちろん適切な答えはネットの海ではなかなか出てこず。
多分答えがあったとしても、それを見つけられてもいなかったと思います。
周りとの関係に悩み始めたのは、たぶん小学校高学年あたりからだと思います。
そのころまでは他人にどう思われてるとか、自分の見た目すらそこまで気にしてませんでした。
実際にいつ知識を付けたかわかりませんが、
検索していくにつれて、ADHDやASD、パーソナリティ障害(愛着障害?)や
アダルトチルドレン、などなど色々な言葉に出会いました。
色々な書籍や、YouTubeやブログなど興味のあるものをひたすら見て、読んでいました。
私は論理的に考えられるタイプではなかったので、ひとつひとつの事柄について詳細を話せたり、
分析して理解しているわけではありません。
ぼんやりと、「ああ自分はこの特性があるらしい」だったり、
「つまりはこうしていくといいらしい」というなんともふんわりした形で受け取っていました。
もっと感情と切り分けて論理的にできる人なら、具体的で現実的な行動がとれているのだと思います。
結局、今の私としては、「自分が自分で生きていないから苦しいのだ」という結論に至っています。
でも、自分のことってどうやら自分ではなかなかわからないらしい。
趣味嗜好は自分にしか分からないとしても、自分が得意なことや、
自分がどのような印象を人に与えているか、などは人に聞かないとわからないらしい。
私は人や世間に、自分を出すのが怖すぎて、自分を表現することを避けてきました。
ひと昔前は、何が好きか、本心はどう思っているのか、なんてことは言えず。
何か言われるのが怖くて、自分の意志で勝手に行動もできず。
なんか逃げ回っているずるい人だと思われている気さえしていました。
アウトプットをしていないから周りも私がどんな人かわからない。
フィードバックをもらえない。
そこで躓いている感覚があります。
自分を表現することが苦手な私が、とにかくなんでもいいから形にしてだそう。
と初めているのがこのnoteです。
今までもブログは書いてみたりしましたが、ただの愚痴や日記でしたので。
これまで自分が吸収した学びや、感情など、支離滅裂でも、取っ散らかっていてもだしていこう、という次第です。
よろしくお願いします。
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