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【解説】今、魔術を学ぶには【初学者向け】

『とある魔術の禁書目録』の初見実況を始めてから4ヶ月が経ち、少しずつ私のもとにその内容に関連した質問が届くようになってきた。

いただいたマシュマロ。基礎的な魔術知識を得たいとの旨。

断っておくと、私は魔術の達人でもないし、魔術文化を専門にした宗教人類学者でもない。

大学で宗教学に近い領域の研究をしていた時期があり、それとは別にキリスト教史への関心を抱いているためにいくらか知識があるだけで、基本的には「街角のちょっと詳しい人」程度でしかない。

とはいえ、私に質問をくれる人々もマギアを専門にする宗教学者・宗教史学者になりたいわけではなく、私のような「ちょっと詳しい人」になれればいいのだろう。

そこで、今回は「今、魔術を学ぶには」というテーマで日本語での資料の探し方や、おすすめ資料の紹介などを行う。


1 前提の整理:魔術とは何か

これから魔術の話をしていくにあたって、私達が考えるべき魔術とはなにものなのか、共通見解を持っておきたい。

たとえば、ローマ・カトリックには病者の塗油と呼ばれる秘跡がある。病人や臨終の床にある者を対象とし、罪の許しを願う病人のために額と手に油を塗って癒しを祈るというものだ。

これは「治癒の魔術」と呼べるのだろうか?

また、重い病に苦しむ人が信仰を捨て、悪魔に救いを求めて悪魔崇拝のための儀式を行ったとしよう。これもやはり病の癒しを祈願している。

神に祈る「治癒の魔術」と悪魔に祈る「治癒の魔術」を同じ「治癒の魔術」というくくりで論じてもよいのだろうか?

いや、それどころか、各地に土着の呪術や現代のウィッチクラフトにすら「治癒の魔術」は散見されるというのに、それら全般を同じくくりに入れてしまうことは危険ではないのか?

このように、魔術とは何かという問いは魔術を論じるうえで非常に重要なものになる。

時代・地域・文化、場合によっては術者の違いで、その術は個別の分類として扱わなければならなくなったり、また文脈を継承した連続的なものとして扱わなければならなくなったりする。

それらひとつひとつについていちいち論じていてはきりがない。魔術には何万年もの歴史があるのだから。それらを全て論じることができるのなら、私はそれを専門とした文筆家で食っていけることだろう!

そこで、今日は議論を簡単にするために、魔術全般への包括的な定義を与えることにしよう。

まず、マギアという語を紹介しておく。これは魔術・呪術・魔法など魔術的な行為全般を指して使う用語で、以後断りがない限り、私がマギアと言ったときはそういった魔術的な行為全般を指すと思ってほしい。

※多くの宗教学や文化人類学の本でマギアは「魔術」または「呪術」と訳されている。
特に「呪術」は多く用いられ、宗教でも科学でもない残余物、劣ったものというニュアンスがしばしば込められている。初期の宗教学にはその傾向が顕著である。
私がマギアという用語を選ぶのにはそういった文脈からある程度切り離して論じる意図があることをご了承願いたい。
また、本邦ではある程度意識的に魔術と呪術、そして魔法が語として使い分けられているため、適した訳語とは言えないと私は考えている。
マギアはラテン語のmagiaを訳語の代わりにあてたもので、魔術的な行為ないし概念全般を包括する語として適していると思われる。
宗教学の本を読むうえで「魔術」や「呪術」という語句が登場した場合はそれがどういう文脈での訳語なのかは注意しておくべきだろう。

では、マギアとは結局どのように定義されるのか。『魔術の歴史』の著者であるクリス・ゴスデンによれば、マギアとは「宇宙への参画」である。

「宇宙への参画」とはつまり、宇宙から直接影響を受けて予言をなしたり、宇宙と直接取引をして現実を変容させたりすることだ。

文化によってこの宇宙は霊界と言い換えられたりもするが、重要なのは世界そのものであるということだ。物理法則や化学反応、因果関係のような手続きを飛ばして、世界そのものに直接参画することがマギアである。

2 マギア史を辿る

やっと議論に入ることができたが、残念ながらここでも私達は困難に直面することになる。資料の不足、そして信頼性である。

マギアとは参画である。それはつまり、外側から観察しただけではその全容を理解することはできないということだ。

例を挙げてみよう。ある部族に伝統的に伝わる失せ物探しの呪いを披露してもらった記述があるとして、それを読むだけでは術者が何の目的で香草を燻したり、鶏に毒を盛ったりしたのかは理解できない。

マギアにおいて術者と宇宙は直接取り引きをしており、観察者が視認できるのは形而下の行為と結果だけだ。そこにどのような因果関係が働いているのかは術者にしかわからない。

だから、マギアを知るうえでは「何をしたか」だけではなく、「どのような意図があったか」を知る必要がある。

しかし、これは文化人類学共通の悩みだが、このような民族誌的記述には常に信頼性の問題がついて回る。よそ者だから語ってもらえない部分があるのではないか、反対にリップサービスの面もあるのではないか。

さらに言えば、マギアの中には「精霊との契約内容は他者に語ってはならない」のようなルールが設けられているものもある。術者が沈黙を貫く限り、私達にはそのマギアを知ることはできない。

また、精神的な感応によって行使される術の中には術者本人にも言語化できないマギアが存在する。こういった術を前に部外者である我々は無力だ。

そのマギアは術者が何をし、その結果として何が起きるか。これだけではマギアの説明としては当然不十分だ。術者は何を目的として何の力を行使するのか。対価に何を支払うのか。そういった情報がほしい。

ここまででわかるとおり、マギアについて知ることそれ自体が難しい。

マギアは隠秘学である。隠秘学とはつまり、密かに隠されて口伝で継承される体系ということだ。世には魔術について多くの本が出回っているが、その多くは断片的な情報を元にしていると言っていい。

断片的な情報を元にするとどうなるのか。同じマギアについて論じているにも関わらず本によって記述が食い違ったり、ひどい時には別の魔術師の魔法陣が全く関係のない術に引用されていたりする。

マギアについて総覧しようとする試みは幾度もなされているが、刊行された多くの書籍は少なからず失敗に終わっている。それでも刊行できているだけすごいのだが。

さらに状況を難しくしているのが現代の実践者の存在だ。

現代の実践者が自らの神秘体験に従って書いた魔術の本は、確かに実践者の記述として興味深いが、それはそれとして個人の神秘体験に依存している。

それのなにが困るかというと、そのマギアの体系で継承されていた神秘的図形や象徴、工程などが意味を継承されない形で「神秘を伴わない形骸化したプロトコル」として語られていることがあるのだ。

現代に溢れかえった情報のおかげで、隠秘学としてマギアを継承しておらずとも実践者になることは可能になった。しかし、全ての実践者が全てのマギア的儀礼を理解しているわけではない。

そのマギアがどこで生まれ、どのように使われてきて、どのような意味を持っているかを理解するためには、そういった実践者の記述は極力回避しなくてはならないだろう。

たとえばスピリチュアルガイドと銘打っているものや、ウィッカの実践書などは資料として今回は参考にならない。

そうなると、読むことのできる資料は必然的に限られていく。

2 - 1 『魔術の書』

イギリスのDK社から出版され、池上俊一監修の下で翻訳された『魔術の書』は最初の一冊にうってつけだと言えるだろう。

先史時代から現代に至るまで魔術の通史本としてよくまとまっており、一般的に魔術と言った時に当てはまるものは大抵載っていると言ってよい。

多くのマギアがそうであるように、魔術もまた図像的な術であり、図表の豊富な本書は魔術を知るうえで理想的な環境を構築してくれていると言える。

監修が歴史学者の池上俊一であることも信頼性を高めてくれている。直近にも『魔女狩りのヨーロッパ史』を岩波新書から刊行している同氏はヨーロッパの文化史に明るく、監修者として適任だろう。

その一方で、マギアの通史として見るといささかの不足を感じる。

あくまで西洋的な魔術文化の通史本という面が強く、たとえばオセアニアやアメリカ、ユーラシアについての記述はあまり見られなかった。

また、これは通史本の宿命になるが、各項目にもう少し文量を割いてもよいのではないかと思ってしまうようなところもあり、あくまで俯瞰するのに便利な書であってこれを一読すれば完璧というわけではない。

とはいえ、魔術文化の通史本としてはまずこの一冊をすすめたい。


2 - 2 『魔術の歴史』

ヨーロッパ考古学研究所の所長を勤めるクリス・ゴスデンがまとめた『魔術の歴史 氷河期から現在まで』はマギアの通史本と呼ぶに相応しい。

以下にその目次を引用しよう。

  1. 魔術とは何か、それは何故重要なのか

  2. 超古代の魔術(紀元前40000頃 - 6000)

  3. 都市の魔術 メソポタミアとエジプト(紀元前4000 - 1000)

  4. 中華の魔術 深遠なる参画(紀元前20000頃 - 現在)

  5. ユーラシア・ステップのシャーマニズムと魔術(紀元前4000頃 - 現在)

  6. 先史時代ヨーロッパの魔術伝統(紀元前10000 - 0)

  7. ユダヤ、ギリシア、ローマの魔術(紀元前1000頃 - 1000)

  8. アフリカ、オーストラリア、南北アメリカの魔術

  9. ヨーロッパ中世と近代の魔術(500 - 現在)

  10. 現代と未来の魔術

以下に広範な領域を扱っているか、理解してもらえただろうか。

もしかすると、多くの読者が興味を持っているのは「ヨーロッパ中世と近代の魔術」かもしれない。教会と魔術のかかわりや、中世の日常における魔術とその変容などが書かれている。

もちろんその項だけでも魅力的だが、注目したいのはシャーマニズムからユダヤの護符に至るまで幅広いマギアを単一の視点から記述しているということだ。

考古学者であり人類学者でもあるゴスデンの記述は史料に依拠しており、「どのようなマギアが実践されたか」と「それによって何が期待されていたか」を丁寧に調査している。

何が信じられていたかだけではなく、そのマギアがどのように広まったかについて記述している項もある。タイトル負けしていない優秀な資料だ。

ただ、ゴスデンは実践者ではない。人類学者としてマギアが人々の生活の中心にあったことを訴えてはいても、ゴスデン自身が本書の執筆にマギアの力を借りたわけではない。

だから、その記述はどちらかと言えば学者が外側から論じる目線であって、標本を分類していくような冷めた空気があることは否定できない。

とはいえ、「この世界にはどのようなマギアがあったか」を知るうえでは理想的な資料のひとつであると言えるだろう。


2 - 3 『オカルティズム 非理性のヨーロッパ』

文学研究者の大野英士が著した『オカルティズム 非理性のヨーロッパ』はフランスに主眼を置いた隠秘学思想の通史本である。

マギアについて考えるうえで、忘れてはならないことがある。マギアを裏付ける思想である。

言ってしまえば、マギアとは実践の体系である。だからマギアそのものについて情報が出ていれば、誰でも実践者になろうと試みること自体は可能だ。誰でもシャーマンになることはできる。

しかし、マギア――中でもヨーロッパ魔術に関して言えば、その裏には何か一貫する思想があることが多い。それはたとえばユダヤ神秘主義であったり、もしくは悪魔崇拝であったりする。

そのバックボーンを知らずに実践体系としてのマギアだけを見ようとすると、ただの儀礼の羅列になってしまい、そこに秘められた意図が読み解けなくなってしまうだろう。

そこで、隠秘学思想、オカルティズムについて知ることが必要になる。

本書の興味深いところは、近代魔術結社やその時代にマギア伝統を魔術に統括しようとしたエリファス・レヴィのことをオカルティズムの文脈から評価しようと試みていることである。

しばしば魔術の実践者や結社は陰謀論と結び付けられがちであり、それは彼らが隠秘学の実践者であった以上仕方のないことでもある。

しかし、本書ではあくまで中立の観点からオカルティズムという潮流の中でエリファス・レヴィや近代魔術結社が果たした役割が検討され、評価しようとされている。

マギア全般のみならず、特定宗教の神秘主義について考えるうえでも参考になる一冊だと言えるだろう。


3 マギアの宗教学を学ぶ

個別のマギアとその背景については前章でおおむね俯瞰できたことかと思う。もちろん、そこから個別の資料を当たりたければGoogle ScholarやWebcatを駆使して探すのがよい。

しかし、マギアとその背景について歴史を辿っただけでは、今のところ「博物館を一周しただけ」と言ってよい。

大前提として私達は科学の時代に生きている。少なくとも多くの人はそう思い込んでいる。その時代の価値観でマギアを読み解くことが本当にできるのだろうか?

多くの場合、マギアとは宗教の下位概念、宗教が逸脱した姿として語られる。マギアのロジックを信じているからそれを実践するというわけだ。

その一方で、マギアを科学の下位概念、自然を分析する手法として扱う学者もいる。事実、マギアとは科学が誕生するよりも古い時代から自然と向き合ってきた人々にとっての努力の結晶だった。

実践者にとってマギアがどのような価値を持ち、どのような役割を果たしているのか。人間社会の内側におけるできごとのひとつとしてマギアを理解して初めて、マギアとそれがあった社会を理解することができるだろう。

マギアは宗教学の題材としてしばしば取り上げられてきた。従って、マギアについて考えるうえでは宗教学を学ぶことが望ましい。

宗教学は比較的歴史の浅い学問で、宗教というテーマのために歴史学、文化人類学、社会学、考古学、心理学など様々な学問を横断する。きっとあなたが興味を持てる領域が見つかることだろう。

3 - 1 『宗教学入門』

棚次正和・ 山中弘編著の『宗教学入門』は宗教学をざっと総覧するうえで最初の一冊に適している。

本書はマギアについての本ではない。魔術・呪術といったキーワードもほぼ登場しないと言っていい。あくまで宗教学のメインテーマとしての宗教とその周辺を扱っている。

しかし、宗教的営為としてマギアを捉えた時、宗教を知っておくことはとても重要である。

特に「第三章 宗教現象を読み解く(1) ――「体験」の視点から」は読み込むべき章で、宗教当事者の体験についてよくまとまっている。これはマギアの当事者にも当てはまる部分である。

先述したとおり宗教学とは非常に横断的な学問であり、またマギアもまた多面的な概念である。アプローチの幅は大いに越したことはないだろう。

あくまで宗教学、それもコアとなっている宗教そのものにアプローチする初学者向けの一冊であるということは忘れるべきではない。マギアに限って言えば得るものは少ないかもしれないが、価値のある一冊だ。


3 - 2 『呪術とは何か』

髙山善光の論文『呪術とは何か: 近代呪術概念の定義と宗教的認識』は少し難しいが、読んでおいて損はない。

先にも少し触れたが、マギア――包括的な魔術類の諸体系を標準的な宗教学の訳語に合わせると「呪術」になるのだが――はしばしば宗教の下位概念として扱われてきた。

では、どのようなロジックで信じられているのか?

一方で、マギアを科学の下位概念として扱い、宗教よりも論理的であると見なす学者も存在する。

では、どのようなロジックで論理的なのか?

マギアをマギア足らしめている論理について、宗教学の黎明期から多くの議論が交わされてきた。本書もその一冊であると言える。マギアを信じる人はどのような論理でマギアを信じているのかに対する説明のひとつだ。

髙山はマギアが類似や隠喩ではなく、「統化的帰納の形式を持つ宗教的に認識の作用が推論に働いているもの」であると結論付けている。

なんのことかわけがわからない読者が大半だろうから、簡単に説明しよう。

たとえば、骨を患者の額に置いて解熱するマギアがあったとする。このとき、術者は次のように考えている:

  1. 骨は死者である、よって冷たいものである(統化)

  2. 冷たいものに触れたものは冷たくなる(帰納)

  3. 骨には死者の霊が宿っていて、熱を奪うのではないか(宗教的認識)

  4. 患者に骨を触れさせれば熱は奪われるはずである(推論)

属性を抜き出してひとつのグループにしてしまい、そこから帰納的な一般論に当てはめる。宗教的認識がそれに説明を与え、推論に従ってマギアが行使される。こういうわけだ。

宗教的認識、統化的認識とはつまり、マギアの対象となる個物をマギアの世界観(コスモロジーと呼ぶ)に落とし込む認識のことだ。

科学の見方で言えば人骨に解熱作用はない。しかし、宗教的認識に統化されれば、人骨とは死者、すなわち冷たいものである。

伝統的なアプローチとは少し異なる説明を与えており、新奇性のあるいい論文だ。マギアについての伝統的な議論を追うにあたっても読んで損のない論文だと言える。


3 - 3 『日常生活の中の呪術』

阿部年晴の「日常生活の中の呪術 : 文化人類学における呪術研究の課題」も論文だが、こちらも一読の価値がある。

文化人類学が残余物と見なしつつあったマギアに再度スポットライトを当てた本稿は、マギアが以下に人間の文化にとって基礎的なものだったかを明らかにしている。

かつて多くの宗教学者、文化人類学者(特に文化人類学の父と呼ばれるエドワード・タイラーなど)がマギアを「オカルト科学、やがて脱却すべきもの」と唾棄したように、マギアは今もなお軽視されている。

しかし、実際のところ、マギアは宗教が支配的な時代であろうと科学が支配的な時代であろうと人々の生活基盤にあり、マギアが本当の意味で失われた時代など存在しない。

本稿の魅力は日本を含むアジア圏のマギア伝統に注目しているところで、文化的営為としてのマギアとその継承が文化秩序と結びついていたことを指摘している。

このような視点は宗教学においてはあまり積極的には論じられてこなかったが、マギアが社会において果たす役割を考えるうえで重要な視点と言えるだろう。

なお、こちらはJ-STAGEで無料公開されている論文だ。学問という文化的豊かさとそれを努力で維持している人々に感謝しよう。


4 おわりに:これから何を読めばいい?

マギア史をおおまかに学び、マギアの宗教学にざっくりと触れたのなら、おおむねマギアについて言えば一般人よりは詳しく語れると言っていい。

一応言っておくと、世間的にオカルトに詳しい人というのはちょっと危ない人である。知識を披露する際は宗教勧誘と間違われないように。私の場合、占いの実践者でもあるので本当に危ない。

当然ながらSNSで発信するのもおすすめしない。世の中にはオカルトアレルギーの人もいる。私のやり口は本来あまり褒められたことではない。

本を探す際は魔術または呪術をキーワードにして探すといいだろう。その際、著者についても調べること。著者がマギアの実践者であったり、超心理学者などのオカルト科学者だった場合は要注意。

「呪術」としてのマギアに関しては特にいま文化人類学方面がアツく、精力的に研究を行っている学者もいる。ただ、必然的に専門書になることは覚悟しておいたほうがいいだろう。

特定の地域や時代、結社に絞った資料も近年豊富になりつつある。自分の好きな範囲から始めてみるのもありだ。最近だと藤村シシンの『秘密の古代ギリシャ、あるいは古代魔術史』が面白かった。

また、宗教学の基礎文献である古典を読むのも手だ。おすすめはオットーの『聖なるもの』キース・トマスの『宗教と魔術の衰退』タンバイアの『呪術・科学・宗教 人類学における「普遍」と「相対」』あたり。

宗教学の本は絶版してるか品切れ重版未定かで高いことが多い。図書館通いがおすすめだ。相互貸借制度を使えば他の図書館から取り寄せられる。

なお、基本的に実践者には関わらないほうがいい。マギアの実践者はめちゃくちゃ裕福かめちゃくちゃ貧乏かの二択であり、どちらにせよカモにされる可能性が高い。ちなみに私は後者だ。

もしカモにされないとしても、マギアの実践者を観察する目的で実践者に関わるのは多くの場合冷やかしに相当する。実践者は実践者で真剣にやっているのだから、そういう悪さはしないように。

ちなみに、どうしても本を読むのは時間的にきつかったり、難しい本を読むと頭痛がするというのであれば、とあるの実況が一段落ついたあたりで解説記事を書くつもりなのでそちらを読んでくれても嬉しい。

もしこの記事が参考になった、実際にマギアを学ぶ機会になった場合は、noteとTwitterのフォローをよろしく。ほしいものリストから支援してくれてもすごく嬉しい。

ここから下の有料パートは編集後記と題して、この記事を書いている最中に思ったことなどを書き残しておきたい。つまり特に本文とは関係のない雑記だ。買う意味は特にない。

まあつまり、投げ銭してくれた人向けのサービス雑記ってことだ。内容自体は本文で完結している。読んでくれてありがとう!

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