バナナフィシュ、今更考察1,

遅ればせながら、バナナフィシュにはまって、感情の波に翻弄されている毎日です。外人の友人にも、アマゾンプライムで英語で見れるよ、とお勧めしています。
さて、ずっと考えていた問題なんですが、なぜアッシュは死ぬことを選んだのか?ということについて私の考えをお伝えできればと思います。もう世界中の多くのフィッシャーさんたちがさんざん言ってきたことで、本当に私がいまさら言ったところで何になる、という気があるのですが、誰かに聞いてほしい、ということで、書かせてください。コメントいただければものすごくうれしいです。
さて、なぜアッシュは死ぬことを選んだのか、ということについてですが、

1、自由への渇望と平和な生活への思い。これは、言わずもがな、自称、ごみみたいな人生を送るアッシュが、その運命にあらがい、手に入れようとあこがれていたものです。ストーリーの最後ではゴルツィネも死に、バナナフィシュの悪用も防げたというわけで、やり終えた感があったのではないでしょうか?

2、疲れとあきらめ。彼は極限まで心身疲れ果てていたと思います。彼の最初で最後のわがまま、一生追い求めてきた無条件の愛を手にし、その英二の愛に包まれながら夢を見続けたい、流血でもうろうとする頭で思ったのでしょうね。私は、それをわがままと言いますが、それは彼の権利ですからね。

3.やはり一番の理由は英二の安全確保のためでしょうね。このまま元の生活に戻ってチンピラを続けても、どこかに身を隠して、遠く英二を想う生活をしても、新しい身分で日本で英二と一緒に暮らすことも、またその場で死んでも、彼にとっては同じ程度重さの選択肢だったと思います。ただ、またチンピラに戻っては、自分も英二も常に身の危険が付きまといます。日本に行ったら、ずっとましだろうけれど、新しい環境での生活、PDSTの件、また、敵が彼の正体を暴く可能性もあり、やはり、いつかは、英二にいやな思いや、危険にさらす可能性もないとは言えないと思います。やはり、一番確実なのは、自分が死ぬこと、これによって英二の安全は確保できたということになると思います。アッシュが死ぬことを選んだのは英二への究極愛のカタチだったのだなあ、と思います。でも、だめもとでもいいから日本の生活を試してもらいたかった、年月が経つにつれ、英二と一緒に笑い話にできるときも来たのじゃないかな。
このハッピーエンド版のアニメが海外ファンによって作られていて、それを見るとうれしいほどに、それがオフィシャル版でないことを思い知らされ、ますます切ない気ります。、何度もみてますが。
私はこの作品に泣かされましたが、こういう感情を知らずに生きていくのは何か違うな、と思いました。この作品に会えてよかった。