【虎に翼 感想】第49話 ”はて” 再発動!
花岡との静かな再会
寅子が結婚して子どもがいることは知っていても、今の名字を尋ねることもなく、いや、既に知っていたとしても、昔と変わらず「猪爪」と呼んでくれた。
花岡は、東京地方裁判所に異動していた。食糧管理法違反の事案、いわゆるヤミ取引の事案を担当している。
闇市で買ったお米のご飯を食べていた寅子は、思わず弁当箱のフタを閉じてしまう。堂々としろと花岡は言ってくれるが、
「でも、法を犯しているのは事実だから……」と、寅子は崩さない。
「変わらないね、きみは」との言葉が、今はどれだけ染みるか……。
婦人代議士の集まりから帰ってきて、久藤に「謙虚だ」と言われ、ホーナー氏のチョコレートの厚意を無にして気まずかった後の出来事だから……。
職場で謙虚だと言われていると聞いたときの反応は自然なことだ。それだけ月日が流れている。
花岡の言葉が一つ一つ染みわたる。
「前も今も、全部きみだよ」「どうなりたいかは、自分で選ぶしかない。本当の自分を忘れないうちに」
全部、梅子の受け売りだと。梅子の言葉を、ずっと心に刻んでいたのだろう。だが彼は遠い目をしていた。何を思い浮かべて、何を後悔していたのだろうか。梅子も今、どこでどうしているのか……。
花岡は、明らかに配給のものしか食べていなかった。
寅子が、ホーナー氏からもらったチョコレートを半分に割って渡しても、「なりたい自分に反する」と、受け取ろうとしなかった。だが、“お子さんに” との言葉に、ようやく受け取ってくれた。
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夕方、花岡は突然、桂場の職場を訪れた。
「人としての正しさと、司法としての正しさが、ここまで乖離するとは思わなかった」
ヤミのものを食べなければ生きていけない人々を裁かなければならない。花岡にとっては、二つの正しさに引き裂かれる思いだったのだろう。
袋小路に入りこんでいる寅子と花岡、1つのチョコレートを半分に分け合った二人は、きっと同志だ。この日、再会したことはきっと意味があり、ガチガチに固まった心を溶かしてくれると思いたい。もちろん、二人ともが。
猪爪家を訪問する二人組
夜、猪爪家(&佐田家)では、残り半分のチョコレートを分け合っていた。花江も食べていて安心した。優未ちゃんもおいしいかと聞かれてうなずいている。かわいい。
窓に浮かび上がる二人組に驚かないはずがない。その正体は、赤ら顔の久藤とホーナー氏だった。帰り道だからといって、そう気軽に来るんじゃない。
ホーナー氏が渡したかったのはチョコレートだった。昼間、1枚しか渡せていなかったから。
アメリカ人が訪ねてきているのは分かっていたと思うけど、いざ、ふすまを開けたら思いのほか近くにいた……父を殺した国の人間が……子どもたちに緊張が走るのはやむを得ないことだろう。花江も顔を合わせたくなかったとみえて、一緒に隣の部屋にいた。
自分に対する緊張の眼差し、そして、父親のいない子どもたちを見て、ホーナー氏はいろいろと思い出してしまったようだ。
このホーナー氏、ユダヤ人である祖父母が、ドイツからアメリカに亡命してきていたのだ。多くの親戚が犠牲になっているとも教えてくれた。
戦時中、ヨーロッパのユダヤ人は、各国へ亡命していた。受け入れを拒否されて、ヨーロッパへ戻らされた “セントルイス号の悲劇“ も起こってしまった。いつだったか、『映像の世紀 バタフライエフェクト』(NHK)で実際の映像を見たが、ヨーロッパへ戻らされて下船したユダヤ人の絶望的な表情が忘れられない。ホーナー氏の祖父母は、受け入れられたから助かったのだ。
一つの角度からものをみてはいけなかった。「傷ついていない人などいない」。直明の言葉を忘れないようにしなければ。
花江が「サンキュー、フォーチルドレン」と英語でお礼を言った。寅子とともに女学校で学んだ花江も少しは話せる。チョコレートと一緒に花江の気持ちも溶けて本当によかった。
そして、寅子が、誰のために仕事をするべきか、どこを見て仕事をするべきか、明確に見えた瞬間だった。久藤とホーナー氏に、気軽に来るなと言ったことをお詫びしたい。
民法改正審議会
最後に出された婦人代議士たちの意見書に、寅子も署名することを申し出た。
署名した女性たちの中に、弁護士が4人いる。寅子の次の代が、ちゃんと育っていることを確認できた。
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神保教授と穂高教授の論戦は、いったい何回目なのだろうか。これが正しい会議のあり方である。
“寅子以外、全員男の人だな~ この時代だからな~” と思っていたら、穂高教授が、そのことをちゃんと言ってくれた。
せっかく穂高教授の株価が上がったところだったが、寅子に家庭教師の仕事を紹介すると言い出した。頼んでいないのに。
「無理に法曹の世界にいることはない。仕方なくこの職についたんだね。きみをこの道に引きずり込み、不幸にしてしまったのは私だ。ずっと責任を感じていた」
教授なりの誠意である。昨日も言ったが、教授の思考は常に一定である。周囲との関わりの中で、その評価が乱高下してしまうのだ。
保守派の神保教授と対峙しているときは先進的に見えるが、寅子と接しているときは逆になる。相対的に評価される穂高教授は、ある意味お気の毒なのである。
しかし!そのおかげで、例のものが!何年かぶりに発動した!
桂場、来てよかったな!最後まで会議にいる気になっただろ!
明日の寅子は吠えるぞ!
「虎に翼」 6/6より
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