満足の沸点【前編】
こんにちは。
今日は最近ふと感じた、自分の満足感について書いてみたいと思います。
わたしがデンマークに来てから1番大きく変わったことと言えば、まさにこの"満足感"なのではないかと思うのです。
人や周りと比較することなく、自分の心持ちで満足のものさしをとり、かつ、かなりささやかな沸点で満足を感じられるようになった気がします。
その理由にはおそらく2つあって、
1つ目は、デンマークの人たちが自分の満足に正直に行動しているのを間近で見てきたこと
2つ目は、瞑想が習慣になったこと
だと感じています。
日本にいたときはいつも、
"わたしは何をすべきか"
ばかりを考えて、
"わたしは何をしたいか"
という気持ちを見失っていたように思います。
そして、"わたしは何をしたいか"を正直に遂行することに、どこかうしろめたさすら感じることがあったようにも思います。
だけど、せっかく自分の時間とお金を使って過ごしているいま、そして絶対的にすべきことは特にないフォルケホイスコーレという環境の中、いつも自分に問いかけるようになりました。
"わたしは何をしたいのか"と。
それは大きな事柄ではなく、例えば、いまは人と話したい気分なのか、1人で散歩に行きたい気分なのか、とか。
もちろん在学しているので、授業への出席はすべきこととしてあるのですが、その他のアクティビティやスペアタイムの使い方は自由意思です。
例えば学校の工房は24時間使えていつでも制作ができたり、週末のパーティの準備をしたり、映画の上映会をしたり、、
やりたければやる、
やらない人がいるのもよし、
やりたい人はやらない人の気持ちも心に留める
この状況を当たり前にする事って、意外と日本にいるときには希有なことだったように感じます。
特に、自分や大半の人と違う意見や立場の人のことを置き去りにしないこと。
しかも、やりたい人が集団になったとて、個人のペースや熱量があるわけで、そこに自分と同じを相手に求めない。
この上でやりたいから、楽しみたいからやる、という人の集まりは、わたしは最強なのではないかと思うのです。
強制されることなく、誰かの顔色を伺いすぎることなく自分の意思で取り組むことは、それは結果として心から自分が満たされることに繋がると思います。
今週末はわたしのグループがパーティーの主催になっていて、ハリーポッターのテーマに合わせて準備をしています。
その時も、いつもクラスメイトはわたしに
もしやりたければこれがあるよ、
やりたくなければやる必要はないよ、
と聞いてくれます。
日本語にするともうすでに違和感があるのですが、こう尋ねられたときに空気を読んだりする必要なく、自分で決められることって、わたしにとっては新鮮な感覚でした。
そしてわたしはわたしのペースで、参加をしています。
今晩は、夕食後のフリータイムに森で拾った木の枝で魔法の杖を作り、トイレットペーパーの芯でキャンドルを大量に作りました。
その間もギターと共に歌を歌っている人もいるし、お酒を飲みながらボードゲームをしている人もいながら。先生の家族とわんちゃんもいました。
すごくみんなと同じ空気の中で作業ができて嬉しかったし、満足しています。
もちろんこのレベルでいったら幼稚園じゃないか、との声が上がるかしれないし、学校という環境だからであって、仕事となると話は別なことも想像にた易いです。
しかしながら、自分がいまどんな気分なのかをヒアリングしながら行動し、自分とは違う人がいることに寛容できるようになることって、素晴らしいことだと思います。
これがわたしの1つ目の、デンマークの人たちから感じたことです。
2つ目の瞑想については、後編として書きたいと思います。
読んでいただきありがとうございました。
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