たぶんそんな時もあると思う

言葉も生きているのなら、時に感情に振り回されることもあるかもしれない

僕が発したたくさんのうち、どこまでが僕自身の言葉で、どこからが言葉自身の言葉で、どれだけが誰かの言葉なのだろうか

少し傷んだ芝生の上で、自分のあり方を風に任せっきりで、ただよう雲に問いかける

おむすび食べながら

特に暇というわけじゃないけど、忙しいほど忙しくもない、例えるなら、雲みたいな感じだ

呆れた笑い声に乾いた風がハモリを重ねた

小さなため息、眩しい日差し、ぬるい麦茶

自分に向けた鋭い言葉で、自分自身を追い込んでいった、懐かしい日々を思い出しながら、二つ目のおむすびを開ける

足元にボールが転がってきた、離れた場所で遊んでいる数人の親子グループ、そのうちの1人の男の子が走って向かってくる

すっと立ち上がって、そっと蹴わたした

言葉も生きているのなら、時に感情を込めて、言葉に礼を言ってもいいかもしれない

ありがとうっていい奴だな

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