心が軽くなったきっかけ

最近、嫌なことがあっても、心が乱れなくなりました。ずっと心が自由で、気持ちよく過ごしています。その理由は、日本人のルーツを知れたからです。私は、音楽を通して、日本人のルーツに触れることができました。

私は、ずっと音楽に囲まれた人生でした。母親が音楽が好きなので、クラシックもジャズも歌謡曲も地域のお祭りの音楽も、身近にありました。

私も、バイオリンやピアノを習ったり、声楽や作曲をやる機会を得たりと、音楽が生活の一部分なのが当たり前でした。

大人になっても週末はピアノを弾いていたのですが、2022年に全く興味をもてなくなってしまいました。

それで、2023年は音楽とは無縁の生活を過ごしていました。無いなら無いで、別に執着がないのが私の性格。。。。この年は、5月に新型コロナウィルス感染症が5類になったので、やっと気兼ねなく旅行を楽しみました。

2024年になり、2月ころふと、「古事記を読もう。」と思いつきました。(この「ふと、思う。」っていうのが、直感なのでとっても大切です!

古事記じゃなくてもよかったんだけど、登場人物が多くて、定番で長く愛されているっていうことで古事記を選びました。

古事記を読む中で、日本の古代史から繋がって日本の音楽である雅楽を生で聴くチャンスにも恵まれ、やっと「音楽」への興味がもどってきました。

日本音楽史の本を読んでみると、古代からシルクロードを通って色々な国の影響を受けているのが日本の音楽だということがわかりました。逆に、日本の音楽が他の国々に伝わっているのかもしれませんが。

東大寺のお水取りを聴いていると、グレゴリア聖歌のような感じがします。だから、学校で習うようなキリスト教伝来とは違った形で、様々な文化が日本で融合されているのが分かります。

冷静に考えれば、仏教伝来とキリスト教伝来にタイムラグがあり過ぎですよね。今年になるまで気づかなかったとは、かなり鈍感ですね。

この時思ったのは、

「クラシック音楽は、歴史の中のごく一部の年代の、ごく一部の地域の、ごく一部の階級の人の音楽に過ぎない。私は、日本人に生まれたのだから、日本の音楽のことを知れてよかった。

そして、『日本の音楽』って言っても、色々なものが混ざってる。ずっと昔から、『日本人』っていうのは、多様性があったんだ。最初から多様性があるのに、みんなと同じでなくてはいけないという風潮だから、みんな苦しくなるんだ。

この同調圧力は、明治維新後からなのか、戦後からなのかは分からないけど、最初から多様性があったんだから、私は私でいいんだ。そして、他のみんなもその人のままでいいんだ。」

と、いうことです。

私は、音楽を通して、こんな風に心が軽くなり、自由になりました。

私は、親に厳しくされていないのに、両親からも祖父母からも愛情いっぱいで育ったのに、なんか息苦しいなと思っていました。

ちょっと話が逸れるけど、コーチングの勉強を始めた時、コーチの方のプロフィールを見ると、親が厳しかったとか親に愛されていなかったというのがほとんどでした。というか、全部でした。そういう生い立ちでないと、コーチになれないのか? コーチのプロフィールのフォーマットはこのパターンしかないのか?と思うくらい同じパターンでした。

とにかく、息苦しい原因がわかったから、今は、暗いニュースを聞いても、気持ちをもっていかれなくなりました。

音楽が私を自由にしてくれました。音楽は、いつも私に寄り添ってくれています。



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