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間接的なヨロコビ。


裏切ぎられる事は嫌いだが

裏切られる事を見るのは

案外、好きな人が多いのかな。


他人のことは気楽に見れたり

所詮、アカの他人のことだからと。

アカウントも存在も名無しさん。


なんだろうな、間接的に楽しむ

ツールが増えすぎたからだろうか。


どうも自分というよりは

何かを介して直接的でないものを

楽しむようなフォーマット。


これを多様化してるわけでもなく

多用化して量産体制の流れ。


そういうクセがついちゃってるか。

自分本体をもあまり信用していない。


自分自身には直接、自信を持たずに

他人の評価を客観的に持たないと

自他共に認めない雰囲気みたいな。


現代人がツールを自由に使う環境で

楽しんでねというと、こうなるのか。


どうもマジメすぎて皆縮こまる。

正論とマジメ、根拠、全部カタイ笑


おふざけ、ユーモア、下品、笑う

全部ラクになるよね〜。肩凝らない。


誹謗中傷もね、いっそのこと

発信相手にいい事や面白い事を

意識的に書いた人に対して

みんな大好きアマギフあげたら?


たとえそれが嘘っぽく見えても

褒めたほうが互いに気分良い。

かといって誹謗中傷がゼロに

なるわけはないのだが減るし。


好意的な目で見ることは

全体の雰囲気を変えることもある。

なんでも自由にしていると

負のオーラが全体を覆ってしまう。


特にお金のある人や企業は

自分側に都合良い意見を

みんなが見る場に書いた人に

書いてほしいでしょうから。


実は大した宣伝効果になるから

大したことないとは言えない。


そしてなにより見てる人って

対価がないんですよ、実は。


人は対価があるとないとでは

まったく違うんですよ。何かが笑


面白い意見やユーモアある意見に

数万円どころでは割に合わないが

3万円分くらいなら意外とね笑


どうせ揶揄する声はなくならない。

でも他のみんなが楽しく幸せな

雰囲気をつくってしまうとどうか?


単に感情で嫌う意見は減り

好意的な印象の視点と

重みある否定意見に集約していく。


いまの時代、写真や動画をうまく

つくって世間に見せることが

しあわせのひとつらしいが。


誰もがみな自分や他人を

切り取り加工して満足げに

アピールしているのはすべて

肯定感を高めるためでしょう?


だとすれば基本的には肯定的な

意見を欲しがっているのだし

お互いに肯定的な意見で埋めると

今よりはギスギスしないはずだ。


基本的にうまくいかないと

人間はストレスが増えますよね。

ストレスで怒りっぽくなっていく

怒ると普段は気にも留めない

些細な事が腹立たしく感じる。


これも負の連鎖でどんどんと

殺伐になっていくだけだとすれば。


簡単ではないがみんなで互いに

褒めあってみるのも一つの手だ。

やり方はいろいろあるだろう。


しかし現状のいろいろな意見を

真摯に受け止めすぎると人間は

苦しさだけが増幅していく。


怒りが反感を招き相手を責める

それでストレス解消、束の間の。


せっかく見ず知らずでふれあうなら

楽しく面白いほうが絶対に

雰囲気は良くなるはずだから。


怒ってる否定的な人

笑ってる好意的な人

どちらが私たち全体にとって

プラスにはたらくのだろうか?







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