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遠慮や未練を揉み解す。


日本という国のお家芸

というか伝統なんでしょう。

決めるまでに時間がかかるという。


決めるのが大変なんだ、と申す。

ん~、でも決めるのはホントは

一瞬ですよ。実は。


ただ、あまりに未練タラタラで

あまりに「あわよくば」が見える。


もしかしたら(まだ、もう)

〇〇なんじゃないかという気持ち。


各関係者を説得しなきゃならない。

そのために準備しなきゃならない。

などなど。


一部の相手が不利になることを

気にして前に進めないあいだに

もっと多くの他の相手を殺していく。


結構大きな弱点を放置し続けてます。

いろんな分野でこの遠慮や未練を

一切考慮しなかったらどうなるだろう?


事はスムーズに進むようになる。

決めるには了承を得る必要があると

思っているけど、そこをやめてみたら

どんなことが起こるだろう?


想像はつきますよね。


相手はいままでの対応の

基準から考えると

失礼極まりないと

怒るかもしれない。


でも相手は普段そうしてきたから

普段の基準が強く植え付けられて

その基準以外は相手に通用しない

と互いに思っている。


もしかしたら自分だけが

そうかもしれない。

相手はもっと早くても構わないと

思っているかもしれない。


もとは正常性バイアスと

同じっぽい心理がある。


根底にそのバイアスが強く作用して

いろんな判断において

基準以上や以下にならないと

決定できない。


と思い込んで根拠のない、

前例のない決定が下せない。

理由が明確にないと動けない。


まだ大丈夫、もう大丈夫。

でもその基準って常に一定ではない。

基準は刻一刻変わっていたりする。


もっと緩くしてもよかったり

もっと厳しくしてもよかったりする。

決定を下す根拠を欲しがる。


根拠は終わってみないとわからない。

未来のことに根拠は必ずしもないから。


この結果がわかるのは

あくまでもその判断による

結果を精査してからになる。

それが判断に対する答えだから。


そうやってずっと決定してきた。

それで、後手を踏んでいるとか

事態が好転しないという結果が出てる。


ならば、どうするか。

途中で必ず頭をよぎったことです。


もっと早い段階でやってみる。

もっと厳しめに設定してみる。


これをやってみてどんな結果が出るか

やってみないとわからないでしょ?


でも法律で決まっているとか

基準を決めているとか証拠がないとか。


慎重に慎重に、事を進めるあいだに

責任が付きまとう結果が怖くて

決定できない、その結果

タイミングを逃し続けていくんです。


幸いに、いまは非常時ですから。

根拠がないことは前例にないことに

対処するための「合理的な理由」になる。


なりえなくてもしてしまっていい。

そういう局面で尻込みする必要はない。


結果的に間違っていたらそのとき

キチンと精査して反省して次に活かす。


それでいい。その責任は最小限でいい。

決断の責任の回避のほうがずっと重い。


秒単位で決断が必要なときで

生きるか死ぬかが、かかっているとき

あなたはどう行動しますか?


悠長に靴を履いてからとか

身だしなみを整えてから動くとか

いつも通りには、やらないでしょ?


物事もう少し弾力を持たせて

考えてみたら意外とできることって

たくさんあるはずなんです。


きっと了承を得る

ということもそう。


相手の了承は

相手の100%の条件を

みたさなきゃ得られない

わけでもない。


しかし、相手の了承を得るために

無意識に相手の条件をのもう、

相手の条件まで満たして

から進めることにしよう

そうしてしまうことがある。


前も書いたかもしれない

(書いてたw)

お互いの目標までの

ステップが10のとき


相手に動いてもらう負担を

遠慮してしまう。

相手にただ待ってもらうのが

礼儀、負担だと思い込んでしまう。


だからこちらが1進む。

相手はお客さんだからと

状況を変えずに0止まり。

相手が整うまで動かない。


すると自分の側のステップが

10必要になる。


状況に応じて、時間がないならば

相手も目標に届くように

動いてみたらどうなるだろうか。


相手も目標に1動く。

こちらも目標に1動く。


互いにステップを進める意識を

持てばどうなるか?

10までのステップが2ずつ進み

10かかるところを5ずつでいい。


時間にすると単純に半減する。

2倍のスピードで解決したりする。


日本の社会はサービスが基本的に

全部なんですよ、10オールサービス。


相手は何もしない、そのために

お金を払ってるんだとふんぞり返る。

この意識が上の世代ほど根強くある。


ただセルフサービスが徐々に

多くなってきてますよね。

それは言ってみれば、このこと。


10を互いに5ずつ分け合う。

あるいは3協力することで互いに

安くできたり、早くできたりする。

もう実はやっていることなんです。


それを全部やるのがプロ意識だとか

サービスだとか言うけれども。


そんなのは勝手な理屈の自己陶酔意識。

プロでもなんでもないエゴ。


受け手もサービス意識の延長で

普段から国や行政にもやってくれと

思っているからうまく進まない。


非常時おいて、おぼれている私たちを

必死に引っ張って助けようとするとき

私たちは全身脱力で身を任せますか?


そんな脱力タイムなんて設定不可能。

自分も助かるように協力するはずで。


国や行政もこっちでやるから

結果的に邪魔になるくらいなら

何もしてくれるな、と

考えていることが多いのではないか。


しかし、状況によるでしょ?

サービスの提供の邪魔をしてくれるな。

完遂したいんだという気持ちが

強すぎてしまうと、どうなる?


サービスを受ける側の私たちが

すべて冠水してしまうこともある。


私たち自身も公的な機関が絡むと

遅いと感じることが多々ある。


そして公的な機関は自分たちの

手順があるから、それを守らないと

ダメだと徹底されているから。


裁量の発想もないし、あったとしても

直属の上司やその上も認める器量も

裁量もない。法律的な根拠がないから。


だから公的な機関に任せると

あらゆるサービスが10になって

結果、待たされることが多いんです。


一部セルフサービスの意識を入れたら

もっと早くなる。


ワクチン接種には半袖で来てください。

これってサービス10でしょ?

強引かな(笑)


なにもそこまで要求することではない。

発想を「段取り通りの延長」でしてしまう。


受ける側が協力して腕をまくって準備

あるいは片腕を脱いでやりやすいように

協力する意識をみんながもって実践する。


それだけで1進んでいる。

相手は9でいい。


私たちも公的なことに関しては

ヘタに余計なことをしてはいけない

みたいなバイアスがかかっているんです。


このあたりをキチンと私たちは

話し合って、互いに協力し合えば

もう少し、いろんな事が早く進む。

そんな気がしませんか?








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