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考察からの伏線回収にもほどがある


さて「不適切にもほどがある」

いよいよ次回が最終回となるが


いろんな考察があるらしい

その楽しみ方を無意識に望む

大衆に首をかしげあざ笑う


考察ブームはどうしたって

つくり手より先走りしすぎる

マニアックと疑心暗鬼エンドレス


自分のこうあって欲しい意識で

考えてしまうからでしょう

ダミーやトラップ考えすぎ排出率高め


問題集を解くのが好きなやーつの

没頭していく感覚なんでしょうね


そういうマジメタイプがこじらせて

考察しながら承認欲求満たす


あまり楽しみ方としては

作者の意図も全然把握できず

国語、現代文なら漢字はできる

でも中身や意図を理解できない


考察のほうに寄せたがって

隠しアイテムを探す旅に出る

ゲームでもしてる感覚なのか


挙げ句こうあってほしい

からの、こうあるべきだ

に変換して無意識に正当化

論点をずらす魔法を自らかける


一時停止、繰り返し、拡大を駆使

研究しやすいツールが揃ってる

どうしても細かいところを見ては

妄想を膨らませていくのかな?


過去のドラマも同じようにやった

同じようにやるんだろね、結局

作者の意図はなんでしょう?笑


クドカンドラマは全部は観てないが

時に熱いものを散りばめてくる

そういうイメージもある


ふざけてると思ったら熱かったり

ホロッとさせたりするのが面白い


人に伝わるのって全部カタイと

伝わらないんですよ、嫌われて


リラックスしてる、笑ってる

バカなことをしてる、楽しい

そんな時スッと大事なこと言う

意外と印象に残るギャップ


それと同じでマジメにセリフで

言わせずに歌に乗せてみたり

今回のミュージカル風がそう


言葉にして直接しゃべると

セリフがくさすぎて受け入れられず

入ってこないものがある


味付けが変わって盛り付け変えて

好き嫌いの先入観が薄れて

ちょうど食べやすくなる感じ



昔のドラマはヤンチャな若い世代に

好みや都合を合わせておけば

カッコイイモノをつくれていた


悪いヤツの設定でイイコト言うと

案外、ズシンと響いたもんです


悪さや不良、喧嘩、争いなど

若さゆえのカッコつけたがる

気持ちの揺れや思いをほどよく

リアルに正直に描いたものなど


青春や取り巻く時代を背景に

不完全だが真っ直ぐな目をした

人間を描いていたような記憶


クドカンドラマにしても本人が

若い頃には若さを描いたIWGPなど

当時と比較してみても受け手が

変わってしまった気もします


当時はいまの「不適切」のような

スマートに訴えかけるほうが

恥ずかしく感じてしまうような時代


面白い現象なのは、昔はマジメが

なんかカッコ悪い感じがしてた


今は真逆で悪さするのがカッコ悪い

というかバカな事をしたくないし

してしまって恥ずかしい思いを

したくない感情を持っている


マジメやちゃんとしてる事が好印象

ちゃんと振る舞える事ができてる

それが一番人間として成熟してると

マジメが称えられ不良がバカ扱い


これも違うと思うんだよなぁ

のび太がちゃんとするより

ジャイアンがちゃんとしたほうが

意外と心象残ったりするでしょ?

あのパターンですよ、人に届くのは


もちろん不良的な人間は消えた

わけではないし、存在もする


過去に不良くくりされた人らは

今の社会のイビツさをどう感じるか


良くも悪くも素直な感情を出して

不自由さに抗いながら生きる

でもたまにハメ外してしまう

「可愛らしさ」があった気がする


だがマジメが牛耳るようになって

どう変わっただろうか?


吉田羊演じる女性が昭和に日々

触れながら変わっていくサマ

それが現代人へのメッセージ


はみ出しを許さなくなり

はみ出した連中たちもオトナになり

その枠に迎合されていった

マジメに扮して演じるオトナに


伝えたい本当の要旨はどこだ

きっと伏線回収などではない

大事な論点から逃げ続ける

典型的パターンをまだ好む


話し合いましょう~と歌う

この現実変えられるんだよと


昔は良かった悪かったで終わらず

伝えたいメッセージを見ずに

水に流して伏線回収に酔う


アルコールでも入ってるのか

味わってほしいのはそんなコト

じゃない気もしますね


本来、現代人の不甲斐なさを嘆き

そのど真ん中にいる私たちを嘆き

もう変えようよと叱咤してる


その狙いには目もくれず

伏線回収に勤しむ私たちに

クドカンは嘆き悲しんでいる


ワタクスはそんなふうに

深読みして考察しています笑



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