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ストップ・ザ・ネットの声。


ネットの声を取り上げる

メディアの手法が問題化してる。


メディア自身からは

取り上げることはあるまい。


メシのタネだから

言うわけがないだろうし。


ただ、この流れ。

ここでいったんストップ

させてみたらどうか。


ハッキリ言って

ネットの声があればあるほど

人気がある、ではない。


あの声は、ほんの一部であって。

多くの人が見るところで

書いている、アップしている

だから見つけやすいだけ。


そしていい様に利用されてるだけ。

恥ずかしいというより

取り上げられて誇らしい、得意げな

感情のほうが強いのだろう。


もうじゅうぶんいろんな人が

いろんなことを考えているのだと

わかっただろうし。


これまで聞こえてこなかった

封殺していただけだった声で

過去も同様だった、ということ。


まして情報というのは

1で伝わっても2や5

10あるいは100で

他には伝わっていくもの。


面白がる人や貶めたい人もいる。

その感情の想定まで視野に入れず

内容そのまんまを信じてしまう

可能性がムダに高くなる。


日本人の場合は特に

自分の見方や意見の持ち方に

堂々とこうだ、と言えない人が

多いのではないか。


こういうネットの声って

意外と中年以降の世代が

主流だったりする。


中年以降の世代は型ハマリ世代。

ハマっていると安心する世代。


たとえ窮屈でも窮屈な中で

楽しみを見つけながら

うまくやっていこうとして

窮屈の原因から目を逸らす

そんな習性が根付いている。


さらに中年でこそ発揮される

慣れからくる油断や

調子乗り感が悪い方向に出てる。

伝わりづらいかもしれないが。


横並び意識が意見の持ち方にも

通ずるところもあるなぁと。


○○が言うなら、自分もそう思う

とは表立って言わないけれども

確実に自分の判断に影響してる。


○○の意見がわからない自分は

まだ認識不足だと思いこんでしまう。


全部の情報を網羅して何になる?

怪物にでもなるつもりか?


自分の意見はこうだ

正解だろうが不正解だろうが

いまの自分はこう思うと

自分からは言えない人が多い。


ブレやすい国民性なのに

情報に左右されやすい環境を

与えられた私たちはどうなる?


この10年、20年でわかったはず。

ムダに騒ぎを大きくしてることも多い。


騒ぎを大きくしたから解決した

そういう良い面もあるけれどね。


ただ、明らかにネットの声を

取り上げすぎてしまっている。

その原因をずっとつたっていくと

広告収入を稼ぎたいから。


観て、見て。好きなんだろ?

そこから他人がどう思おうが

関係ない。

ただで無料で観ることしか

考えていない国民だろ?って。


どうせメディアの本当の客ではない。

そのくらいは、考えていそうだ。


コメント欄だけでも早く

すべて削除すべき。

これはメディア自身では無理で

もっと大きな存在が言うと響く。


百害あって一利なし、でないが

百害あって一利あるけど

「九十九害」があるなら

やり方を変えるべきでしょう。


いつからか、他人を評価することで

自分を満足させるようになった。


自分の評価を低く見積もる。

自分を伸ばすことを放棄する。


他人や動物、架空のキャラなどを

愛でる、メデル機能を充実させた。


愛でるモノゴトを非難されると

烈火のごとく怒り、相手を攻撃して

打ちのめそうと躍起になってしまう。

ゲーム感覚が日常に波及しすぎだ。


なぜ、そうなった?

他人を愛でることでしか

自分を癒やせなくなった?


そうするしかできなかった

そこしか道が空いてなかった

だからその道に迷い込んだ


そんな印象もあってね。

社会問題のひとつであると思うし

かわいそうな気もするけれど。


ワタクシもコレ書いていることが

発信である、とするならば。


オリジナルな視点で発信することや

他人の視点や意見はなるべく自分に

入れないで書くことを意識してる。


他人とかぶらないことが

まずはベスト。

ただ、書く前に調べない。


「自分から」気にしてしまうと

自分すら、発揮できなくなる。

そう考えているから。


自分で情報をある程度遮断して

行き着いた発想や意見が

誰かがもう言っていた、被った。

それはそれで構わない。


同じこと考えてたんだなと

ちょっと書く側としては

うれしい感情が芽生えるんです。


しかし、これが書く側でなくて

読む側となると展開は変わってくる。


読む側は、いろんな情報を無意識に

取り込んでしまっているから。

比較の鬼が棲みついてしまっている。


さらにメディアによっては

同じ志向のものを好き嫌いを問わず

次々とオススメされてしまう。


似たような、共通してる話題に

同じ情報に敏感な体質になってる。


要は、受け取る側の意識は

なかなか向上するものではない。


それをふまえたうえで

意見にすべて応えようとしなくていい。

その真摯さが逆に状況を複雑にしたり

悪くしたりもする。


そのくらい他人の意見というのは

千差万別であって、取り込み過ぎると

食中毒を起こすようにできている。


食べすぎ、飲みすぎと同様

意見や、情報を取り込みすぎ。


それを止めるのは

ある程度の情報遮断と

メディアの意図に

「乗せられてる自分」を

恥じる気持ちを持つこと。


ストップさせるのは

メディアではなく大衆心理。


ネットに声を上げたいとか

同じ思いをなんとなく

肩寄せ合って共有したいという

本人の問題なのかもしれない。


そうせざるを得なくした

文句をつけることで溜飲下げする

変化を恐れすぎた社会全体の

問題でもあるのだけれど。









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