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日本人の仕事はコスプレ感が強い。


実況アナウンサーって

ジャマなときあるよね。


他の国は知らんけど

日本の実況ってちょっと

落ち着きのない感じになる。


しゃべることで間を埋める。

違うんじゃないのって思う。


エピソードを用意して

そのエピソードを嬉々として

しゃべりきろうとしてる。


解説の伝える感覚の言葉を

聴きたいんだよとも思う。


解説者も実況のジャマしたら

迷惑かけると思い、遠慮したり

タイミングが悪くなったり

グズグズの展開にシラケる。


なんか、実況も用意したもの

つまり自分の仕事の一端を

完成披露したい欲が出てしまう。


盛り上げてると勘違いして

自分に酔いしれてるだけ。


解説の話を聞きたいのにね。

実況の言い切りたい情報は

要らんのよ、という気持ちになる。


でも副音声などでは

スタジアムだけのライブ感ある

音だけで放送したりもしてるし。


タレントや有名人と解説者での

より自由な映像解説とか。

いろいろと多様化もされている。


でも浮かび上がってくるのは

自分の仕事やってる感。

これが強めに出ちゃうんです。


日本は仕事してる自分に酔う

その感覚が強いのかもしれない。


人生に、自分単体そのものに

自信を持って出せばいいのに。


自分を見せるのは仕事ではない

と植え付けられた。


観てる人もそう育ったから

「マジメに」やらないと

双方に叱られる。


なにか職業や立場をつくって

そこのコスプレに自分を寄せて酔う。

この感覚、伝わるかな~(笑)


本人のリアルではないんです。

職業や立場、キャラに寄せて

自分をつくりあげようとしてる。


この実況アナウンサーという

職業的コスプレをするならば

マジメな会社員はどうするか。


仕事としてキチンとやろうと

マニュアルをマスターして

完璧に演じようとしてみせる。


これをやり続けて過去の歴史を

フィードバックしてきた結果、

実況にまるで個性がなくなった。


なんでもそうかもしれないんですが

研究すればするほど、残念ながら

可もなく不可もなくになっていく。


ホントは少しだけ、

雑味をあえて残しておくことに

自分や他人も

気づいてあげることが

大事になってくる。


男性実況アナなんて

もうほぼ、全部同じでしょ?

声質もトーンも、テンポも同じ。

まるでロボットでしょう。


ロボットを演じて育って

ロボットがロボットを評価する

その連鎖のなかに私たちはいる。


そしてロボットに徹することを

要求されて、それに応えるのが

自分の仕事だと、酔っている。


ソツなく、完璧にこなすこと。

それは会社内の自分の評価越しに

仕事をとらえているから。


画面を通して伝わる

筋書きのない作品と

関わっているんだ

という感覚が薄れている。


日本人がなんとなく自分を出せず

誰かや何かを真似するのが得意

というのもリンクしてるでしょう。


全体像としては序列意識もそう。

個で出さず、全体の中のひとつの

役割として機能することを目指す。


機能美だと言い、コスプレという

制限された中で表現する自分に酔う。


まず組織で機能して

認められたら上がってこいよと。


上にいる人らは自分もそうして

上がってきたから。


同じ境遇を経てないと

認めないみたいなところがある。


ただ、それでは残念ながら

違いを生み出す芽は育たない。

育っても生育不良のまま枯れる。


おまえはどこにいる?

おまえはもう死んでいるのか?

わたしはもう死ぬのはやめたぞ(笑)


こう言える人が増えてくると

日本人も変わっていくでしょうね。


でも全体として変わるのは

まだまだ、50年くらい先かな。


そのころ僕は

もう死んでいるでしょう(笑)



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