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日本のアテハメ方式。


やっぱ日本の社会は

アテハメ方式が強い。


考え方としてフォーマットに

当てはめるというか

押し込むというかね。

人もモノも、考え方もすべて。


決められた枠の中で

立ち回れと言われると

イキイキと動き出す。


逆に決められたこと以外では

誰かに決めてもらうまで

モジモジ君。


ア・テ・ハ・メ。

アテハメ?

(とんねるずのみなさんより)


ちなみに「みなさん」であって

「みなおか」はイヤです(笑)


アテハメを基本線に置くのは

高度成長時代の名残りでね。


実際に日本人の性質上

全体を動かしやすくするには

適していたんだと思います。


ただ、そのやり方も

限界があって。


絞りきったタオルを

まだまだ!とチカラいっぱい

絞りだそうとしてる。


年々絞るのに負荷が大きくなり

ほとんど成果は上がらない。


それでも絞り方を変える

気にもならないでしょ?

それはエライ人もみんな

新しい絞り方にトライしないから。


結果として、新しい方式を

待っている人だけが多くいても

新しい方式を出さないし

育てられないんですよ。


絞り方というと搾取のイメージが

強いかもしれないが、方法論として。


そこにはやはり誰かがつくった

フォーマットに則って動く

という意識が強すぎるから。


これは教育の問題とも

関係しているでしょうね。


自由に発想することや

自分で発走することを

社会全体がなんとなく

許容しなかったからですよね。


その結果として

異端視され、異端児扱いされて

叶わなかった発想からの発走が

たくさんあったと思う。


じゃあ、これから私たちは

どうしていくべきかというと


自分たちで各自で動かして

発走できるように整えること。


発走してもいいよ、支えるよ。

という可能性の拓き方を

社会全体で許容して支援する。


それしかないと思いますよね。

この方法をまだちゃんと

試してもいないんですから。


風穴を開ける人を誰かを

ずっと待っているだけでは

効率が悪すぎるでしょう?


それに乗っかろうとする人が

列をなすだけで、まるで動かない。


地方に住んでいるとわかるが

田舎は都会の焼き増し的な

踏襲の仕方でやっていますから。


本人たちは最先端のやり方で

私たちもやろう!みたいに

意気込んでいるんですけど

これじゃ根本は変わらない。


新しいやり方を田舎に

持ってくるだけで

厳密には生み出してはいない。


この構図は冒頭に書いた

アテハメ方式と同じなんですよ。


だったらワタクス自身が

やり方を示してみせたら

いいじゃないか?というが。


それじゃアテハメ方式の延長線上。

変わりはしないんですよね。


みんなが自主的に

意思をもって動いている

その状況を意図的に

つくりだす必要があって。


自分から動く意思が

社会全体でクロスしながら

刺激を受けて育て上げる。


そういう動かし方が

日本には必要なんです。


コントを独りでつくり

そのやり方を真似るのではなく


コントをみんなで考えて

クロスさせながら高める

そういう感覚の意識を

共有していくようなね。


こういうことをやらないと

日本はいつまで経っても

誰かを待つばかりで

人の数だけ活かされないまま

停滞するだけですよね。


そのヒントの象徴がいま

ビッグボスシンジョウで。


大事なのは、シンジョウを

真似するのではなく


シンジョウのように

自分から動かしてみる

自分発の発走につながる

雰囲気をつくること。


フワっとした表現で

伝わりづらいかもですが

非常に大事なことだと

個人的には感じています(笑)








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