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ルールを守るというテイをとる人間。


最近の野外フェスの是非。

問題になってますね。


個人的には知事が怒るのは

大局でみると違うかなとも思う。


怒って見せなきゃならないから

怒ってるとも、言えなくもない。


音楽というコトの性質上考えれば

あり得ること、想定できること。


盛り上がってきて

テンション上がって

ステージからあおる言葉を

かけられやすいし、

かけてもしまうだろう。


ああいうライブやフェスは

お客であって、お客じゃない。

黙って座って観てろの質とは

違うものだとわかっていたはず。


距離を気にしていては

楽しむことに集中できない。

そもそも集中することが邪魔。


身をゆだねて心のままに

感情のままに楽しみたいと

思うからフェスに集まるんです。


ストレス発散の場の少ない現代の

開放の機会となっている感もある。


楽しくやりたいのは、お互いさま。

しんみりとルールを守ってやっても

楽しくはならない。


ましてマスクをして気持ちを抑えて

声を出さずに楽しんでくださいって。


楽しみ方を指定されてしまう感じが

もう怒りを通り越して気持ち悪い。


そんな感じでライブやフェスなどを

やってるその雰囲気自体が恥ずかしい。


引いてはその場を演出してる

アーティスト、フェスの観客も

なんかカッコ悪いと感じると思う。


騒ぎたい欲求だけの人もいるし

応援したい気持ちのある人も。


いろんな感情が制限のなかで

混じり合ってしまってます。

禍じゃなく、渦(うず)ですね。


コロナ前の感覚で行動してしまう人が

多くいるのは当然でしょう。

テンション上がってスイッチ入る。

もうこれはあり得る話だったわけで。


なにかしらのルールを

出して見せておいても

実際には「人がやること」です。


気持ちがたかぶれば

冷静に楽しむなんてのは

この手のフェスでしかも

ヒップホップ系なら無理な話だと

ふつうのオトナならわかる。


それでも開催したいのは

稼がなければ食べていけないから。

それぞれ生活の糧にしていた

仕事でありナリワイなんです。


それに対して行政側もルールを

守るなら、対策を講じるなら

それを前提としてしぶしぶ認めるしかない。


全員にお金バラまいて中止してくれと

言うわけにもいかない。


すべての業種がいまこの手のルールを

守りながらやっている状態なので

それ一択の状況で別の方法を

考えもしなくなってしまうんです。


対策をとる、ルールを守るという

テイをとりながら。

あとは各自が気をつけながら。


対策がカタチだけになって

形骸化しているところが

ほとんどだと思いますよ。


コロナ慣れの人間の感情も

含めると惰性が強く上回って。

手に負えなくなってる。

感染源も追えなくなってる。


一回一回を、その日々を。

その月を、その季節を。

「その都度勝負」になるけど

乗り越えていくしかない。


負けたら叩かれる。

でもやるしかない。

負けたら謝るしかない。


そうしなきゃならないのは

誰も助けてくれないから。

公的支援もすぐには届かない。


結局、自己責任という壁に

いつもゴールが設定されている。


「人間はルールを決めると

そのルールを頼りにしすぎてしまう」

ということもある。


ルールのせいにしてしまったり。

「これくらいならいいよね?」

「ルール守ってるからいいよね?」


「ルール上は問題ないよね?」

「こう解釈すれば

できなくはないよね?」


そういう理屈をつけて

ほじくりながらムリヤリに

「架空」をつくって逃げてるんです。


「やってはならない」ゾーンが

あるときであってもそうです。


人間の感情や考えに

歯止めを効かせるのがルール。

ただそのルールを悪用するのも

人間のシワザですよね。


ルール以前の問題で

やってはならないんだ、

という状況でも

人間は欲を出す。


ルールを持ち出して

守りながら誤魔化そうとして

やってるふり、やってます

というテイをつくってみせる。


人間はルールを利用しながら

自分の欲求を叶えるという意識が

「上回わろう」としてしまう。


欲求という存在が人格化するなら

その一番近くで手なずけやすいのは

人間です。私やあなたです。


ルールはわかってる、わかってるけど

うまくやったらできるとか、

やれないことはない、が上回る。


フェスのチケットも

お酒も制限付きならアリですと

うたっておかないと

売れないかもしれない。


開催と売り上げは

話は別のところにある。


通常考えられる売り上げの

何割かを補填するというなら

話は別だが。


感染させないルールを守るため

チケットを売って収入を確保するため


これを同時に同じルールでいくのは

難しい話だとわかるはずです。


あんまりコロナ禍での

制限のことばかり

ルール通り厳しく設定しても

チケット買ってもらえない

のではないか?


主催者側もそう感じたからこそ

「期待に沿うサービス」を

できる限りするためにはどうするか。

売るためには、とギリギリを攻める。


それはルールを文言通り

守るだけでは集客も見込めず

チケットを買ってもらえない。


ルールの中でうまくやろうとする。

うまくやる、というのは必ずしも

成功するとは限らないですよね。

うまくやろうとしても失敗もするし。


もうクドい内容になってきました(笑)

(矛盾するかもしれませんが

字面を追わずにイメージで人を

映像化して思い描くほうが

理解しやすいかも)


なんとかしたいという欲が出て

それを責める人の格好のエサになった。


良い悪いではなく、その先の話。

じゃあどうするのかを考えないと

前に進まないのに。


瞬間瞬間をジャッジして

○か「罰」か。

罰を与えて止めてしまう。


「ルールを決めて人が守る」

という視点「だけでは」もう

解決しない問題なんでしょう。


ルールがあったとしても

人間はルールを守るはずだと

簡単に信用しないことも大事。


そしてルールを忠実に守れない

人間を私たち自身が認めること。


認めて、じゃあどうしたら

そうならないように工夫できるか。


責め合う感情の火種を

小さくするためにどうすべきか。


人間同士が、一人ひとり考えて

議論して理解していくこと。


ルールを破ろう、利用しようと

してしまう人間について

いわば「自虐的に考える」こと。


それもひとつの選択肢として

やってみる価値があるはずです。


まぁこうやって言うだけなら簡単。

でもやらないことには何も変わらない。

また監視員のエサになるだけですから。


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