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コロナで法事、お経は?


外出を自粛していく流れが

全国規模になりそうだが、

さて、法事である。

近いうちに法事があるんですよ、

ウチの親戚の法事なんですが。


ワタクシの住む都道府県レベルでは

感染者は二けたで、まだ50人以下です。

そう、だからといって、ですよ?


法事、コロナ、お経でヤホーで検索したんです。

ん~、ナイツ、ナイツ、オールナイツ!

そっち?(笑)


やっぱり中止したり、スマホでお経だったり、

読経のときもマスクして、だったりみたいですね。


お坊さんがいろんな人と会っていて、

3密も多く、読経も飛沫感染のおそれが・・・

と世間は感じているのは間違いないッ!

(今度は違うナガイのほう)


高齢者が多い行事である手前、

かなりリスクが高いわけですよ。

やってもらう手前、坊さんに対して

距離とってくれ、しゃべらんでくれと

言えるわけがないでしょう(笑)


これね、コロナの感染者数にもよるでしょうけど、

各自の判断任せはちょっと無責任でしょうね。

いくらお寺といえども、社会の一部。


ハッキリとアナウンスする必要もあるでしょう。

メディアも、もっと取り上げるべき問題です。

神社仏閣あらゆるジャンルを問わずね。


いつもどおりの日常なら、やる気持ちもわかる。

お寺にとっても収入源?でもあろうし。

お寺というある種、特殊な立場の人に対して

檀家からは、言いづらい人も絶対いるだろう。


かといって、このたびの出来事は

地域を問わず、非日常の非常事態である。

大袈裟すぎるという反応もわからなくもない。

自分事として実感が湧かないかもしれない。


無意識のうちに引きずる日常を

私たちは、なかなか止めようとしない。

満員電車でわかるでしょう?

自分よりも他人が遠慮してくれと思っている(笑)


お寺と檀家という、地域によっては

周囲が互いに遠慮して言えない関係で

お互いが言いづらくなり、なぁなぁになり、

中途半端にリスクが増してしまう場合もある。


やっぱり私たちはいつもやってることを

意識的に断念するくらい厳しく律していかないと。

そのスキマを奴等は、かいくぐってきやがります。


これくらいは大丈夫だろう、って人がどんどん

感染してしまっている事実があるでしょう?

・・・なんとなくですけど(笑)


結果的に、大丈夫かもしれない。

だとしてもね、集まってやる不要不急の行為に

法事は含まれませんと言い切れますかね?


お年寄りたちには納得いかないかもしれないけど、

お年寄りたちは、コロナに対して恐怖を感じながらも

「なんだかわからないもの」という扱いで、

自分が使えない便利な機械を触りたがらない、

アノ感覚に近いんだと思うんです。


わからないから余計に、無いものとして無視する。

スマホ?いいよもう、そんなのわからなくったって。

どうせもう、いつ死ぬかわからないんだからっていう、

年寄り独特のアタラシモノを避ける、排除する感覚です。

わかりますかね?(笑)、アレに近い。


じゃあどうするべきなのか?

一番いいのは、お布施?お代?を渡して

やってもらい、その映像か画像か写真か、

一応とってもらい、檀家に送る。

時期を改めて、同じ気持ちで手を合わせて

くれたらいいのです、という具合にね。


それでいいかどうかの問題や

そんなことで供養できるかどうかの問題も、

もちろんあるでしょう。

でもそこにこだわるのは

「いまは」違うんじゃないか?


故人に思いを馳せれば、

場所はどこからでも

同じ気持ちで供養することが大事で、

たぶんカタチではないんだと思います。


結構コレ、全国各地で懸念してそうな。

自分一人が出なきゃいいって思っても

家族が出て、媒介者になってたら

自分ももれなく、ですからね(笑)

さて、どうなることやら。










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