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伏線回収ドラマは、現実との垣根を越える。


近年、テレビドラマでは

当たり前にやる伏線と回収。


視聴者の熱量を上げて

視聴者をより増やすための

話題づくりの一環にも。


意味ありげなカットや映像。

そこにケナゲに食いつく視聴者。

もしかして犯人では?


作り手の誘いに導かれるように

ネット上の賑わいや彩りを

毎度提供することに成功した。


ハッキリ言えばだまされやすい。

そんな私たちをもてあそぶように

意味ありげな伏線を張り続け

夢中にさせていく。


考察ブームはこうして

作り手の、てのひらの上で

生まれて手応えをつかんだ。


するとどのドラマも伏線を

これでもかというくらいに

意識させようとする。


やりすぎです。露骨で。

伏線ドラマは麻薬でしょう。

コーシタラエエネヤロ?的で

もうサブイですから。


ネットの可視化された意見って

発したい熱心な一部の声に

過ぎないですからね。

それが総意とは思わないでね(笑)


地味に私たちはいろんな

場面においてもフィクションで

あることすら忘れてしまう。


この人が怪しい、この人悪い。

うがった目でみてしまうように

なってしまったのではないか?


現実の諸々の事故や事件

さまざまな事象についても

なぜか怪しい人を見つけては

名探偵のような振る舞いで

ジャッジしようとしてる。


ドラマと現実をまたぎながら

同じ手法で調べ、探して

架空の鬼のクビを取ろうと

推理するかのように楽しむ。


まるでストレス解消ゲームで

悪人を見つけては裁こうと

してしまっているのではないか。


だまされやすい、いや

感化されやすい私たちは

ドラマと現実の垣根を越える。


名探偵ならぬ迷探偵を気取る

モンスターを生み出したのだ。


ドラマの制作者の皆さん。

もうやめましょう。


伏線というドラッグは

社会に悪影響を

及ぼしていますよ。


そして何より伏線回収に

酔いしれている客に

合わせていく手法は

本当にやりがいあるの?


そんなドラマつくりたかったの?

本当につくりたかったドラマ

ドンナンカナー?って思って。


ヒットさせるって本来

そういうあてがい方は逆に

作り手としてダメでしょ?


まぁAの手法が流行ると

しばらくは単純作業のように

Aをなぞるのが定番ですから。


いつAじゃないパターンで

アッと言わせるかで

勢力図が変わるのだろうから。


そしてまたそれをマネして。

という日本人大好きパターン。


時代が変わっても思考は

意識しないと変わりませんね。


しばらくはネットの声も

伏線回収を欲しがりますから。


それでも違うイロを

あえて出しにいくのが

稀代のクリエイターでは?


カネ出すスポンサーも

意識が古いからまだまだ

視聴率基準でしょ?


それがもう価値基準に

なっていないのに

古い基準を根拠にしたがる。


その結果、数字取らなきゃと

負のスパイラルに入るでしょ?


スポンサーも意識変えないと。

自由にやる意欲を阻害するのが

意外とスポンサーなのかもね。






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