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マツモトセイカガイ。


とうとう来たね。さぁどうする?

挑発的に自分のスキャンダルを

扱えと文春にメッセージを投げかけ


ついに実現しましたね。

プロレスが始まりましたよ。

多少、語弊がありますが。


これ、犯罪等などの問題が

生じていたのであれば、罪を

償うのは当然そうなるでしょう。


8年前の出来事とはいえね。

まだあの当時は本気で「緩さ」を

直そうとはしていない時代で。


ただ、ここで松本をテレビメディアが

自ら降ろすとどうなる?ソコでしょう。

おそらく怖いのはメディアの側では?


同じパターンで引きずり降ろせるタマか。

引きずり降ろしていいタマなのか。

もしすべてを考えた結果、違う選択を

社会がすべきであれば、やっていいと思う。


彼だけ特別に扱うことは逆にいまの時代

雪崩を逆に止めるためには許容されてもいい。

この感覚が理解できれば、ですが。


言い方がまわりくどいけど

松本をテレビ的にお咎めなしにして

テレビ出演を継続させることで

逆に負の連鎖を断ち切る判断を

やることもひとつの選択肢だと思う。


これ以上、テレビ視聴者が離れるのは

マズイことを知っていて、ダウンタウンを

松本を降ろすリスクを取るだろうか?


世間は芸能人に対して一般人と同じ

ルールを適用させようとしてしまう。

同調圧力が独自の進化を遂げた産物。


稀有な存在をあえて同じレベルに

降ろさせてこっちに合わせろと。

その結果、その分野が死ぬのは

仕方ないみたいな考え方の蔓延。


ただキレイにしたいだけ。

キレイにしたあとの責任は負わず

キレイにしたまま面白くしろと。


さて、この追い詰め方優しいか?

相手のこと全体のことまで

考えて要求してるだろうか。


極端なことを言えば、希少動物を

保護するためにその保護環境を

社会全体で維持するような感覚。

こっちの選択肢もアリはアリで。


でもいま一般人の多くは苦しい。

その苦しさを何かで紛らわせたり

吹き飛ばしたい衝動を抑えられない。


アンチがざまぁみろと快哉をあげる。

引きずり降ろそうと道連れにしていく。

死なばもろとも的感覚を玉砕覚悟で。


政治家も国民のストレスを軽減すると

もう少しやりやすくなると思うのだが。

釣った魚にエサをやらないセンス。

仕方ないと苦しめ続けて止まるだろうか。


何度も書いているが、良かれと思うこと

その逆をやるくらいでないと変わらない。

いまの負の連鎖は断ち切ることはできない。


松本を降ろすことで胸を撫で下ろす

彼を何かで埋めたところで物足りない。

ワイドナショー観てればわかるでしょ?


人は居なくなって初めて認める。

居なくなるまで気づけることにも

自分で認めないまま同じパターンを

続けて存在しなくなってから嘆く。


これまで日本は何度も何度でも

このパターンを繰り返して反省せず

垂れ流しながら進んできたよね?


誰がこういう流れをつくったのか。

あとから嘆く、しかしもう遅いと。

こんな予測もつかない人間が

いまだに多すぎやしないだろうか?


テレビを中心とした世界で

つくられたのは「松本成果街」

松本の存在によって得られた街だ。


その存在にあやかり使い続けて

得られたものが大きく根付いている。


効果的な性加害というスキルを使い

他の芸能人と同じように引きずり降ろす。

この効果を狙って、世論を動かそうとする。


ただ、テレビ業界は松本というカード

切り捨てるだろうか、できないだろう。

いままで世話になった、でも捨てると。


脇役たちと同じルールを適用して

同じ効果を狙う動きのワナにかかり

しぶしぶ受け入れるパターンで

テレビは、日本は後悔しないだろうか。


松本をその周りで忖度する存在が

悪いほうに良かれと思って動いてしまい

起こるべくして起こった部分も見え隠れ。

出ている情報だけが真実とは限らない。


たとえ真実だとしても、である。

むしろ潔白であるとも思わないが笑


それがムチャクチャやってた頃の

名残りだとしても、私たちは

仮に罪は罪としても、その存在を

同じパターンで流れ作業的に処理して

引きずり降ろして大丈夫なのか。


これは世の中が許すことと

許さないことの区別ができず

同じ箱に分類して入れてしまえと

処理したがっているだけな気がする。


慎重に今の視点以外の視野からも

考えて決断すべき案件、存在だろう。


自分たちが不利になるからと

松本をフリに使い、保身に走ることを

果たしていっしょにつくってきた

テレビ業界はできるのだろうか。


それをできたとして、貢献してくれた

存在を簡単に足蹴にできるのだろうか。


スポンサーとて、逆にすぐに掌返しで

本当に正しかったと、のちに言えるか。


応援しようとする姿勢を見せたい

スポンサーもいるだろう。

笑って日々を潤したその功績は

そんなにも軽いものなのか。


ただ、世間の圧力を過大評価して

大きな存在として反抗できずに

なし崩し的に本質を見失うのだとしたら。


世間の常識が必ずしも通用しない。

そういう世界観がこの業界の特徴。

そうすることによって輝く才能を

ムダにしない選択もアリな世界。


絶対に世間と同じにしなければ

という論調に抗うことも大事では?

よく考えて別の判断をすることも大事。


私たちが良いと思ってやってきた事

それが苦しく悪く流れをつくったなら

悪い部分を取り除くだけでなく

悪い部分を残すことでいい意味で

バランスを保っていることだってある。


私たちの体がまさにそうだろうと思う。

すべて雑菌を排除すれば完璧になる?

絶対にそれでは、体は弱くなる。


コロナのあと私たちはかなり弱くなった。

キレイにしすぎたことが最大の原因。


それと同じで、善と悪を程よく混ぜ

混在させながら生きている人間の体。

その普遍性をもう少し信じてみるべき。


とにもかくにも、簡単に同じように

流れ作業的に自粛したり、同調すべき

案件ではないことは、たしかである。


悪いと思いこんだ菌をすべて排除すれば

私たちはすべて良くなると思い込む。

実はそんなに良くはなっていない。


私たちは同じパターンだと思い込み

同じパターンに持ち込む流れに対して

立ち止まって考え直すことも必要だ。


右、右、右と同じパターンが

続いてきてまた同じだから右の箱に

放り込んでしまうことが多い。


だが、本当に右の箱に入れていいの?

私たちは本当に見極められているのか。

見極めたと思い込むことによって

逃げているだけなのではないだろうか。


今年の記事もこれで最後です。

読んでくれた方に感謝です。

また来年もクドい文章を書くぞと。

良いお年を。







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