こっちを向いてよ、だってなんだか。


政治については、この数年コロナ禍で

少しだけ国民の関心が上がっている。


ちょっと、以前の私たちとは

違ってきている雰囲気はある。


任せてばかりいても何も変わらない。

動かしていかないと動いていかない。

ちょっとずつ粒が大きくなってきている。


その変化が選挙という意思表示で

どこまで表面化するのか。

今年の秋の注目ポイント。


果たして、政治家はそこまで

予測して動けているのかどうか。


感じ取ってうまく立ち回れば

国民の支持を一気に得られると

企んでいる政治家はいるのかどうか。


いまの時代はその意図すら逆に

コザカシイと嫌われてしまうかな(笑)


これまでの選挙とは質が違うと

予測して動ける政治家こそ

リーダーたる資質がありそうだ。


自民党はまずは総裁選で

新しさやプラスになるイメージをつけて

総選挙を迎えようとする算段なのは明白。

見せ方を意識してるのが丸見え。


たとえスガを捨て駒にしても

党が生き残れば、負けなければ

という選択をしてくるでしょう。


党として(票を)吸収されない

政権与党(オリゴ糖)

みたいな感じかな、CMパクリで。

うまいな(笑)


そのいやらしい計算高さもまた

嫌われなければいいですけどね(笑)


こっち(国民)を見ていない感じの

いつもの政治ゲームの意図が伝わると

うまくいかないと思いますよ。


こっち(国民)を向いて、

あれ?いつもと違うなと

印象づけるかどうか、だと思う。


その発言、行動によって

こっちを向いているのか

党内を向いているのか。

国民はジャッジしてますよ。


国民は親の愛情を確認する

子どものように見てるといっても、

過言・・・ですね(笑)


しかしそのくらいのニュアンスで

ちゃんと向き合ってくれる政治家、

即行動に移して、実行してくれる政治家を

潜在的に欲している感じがします。


ただ、メディアはこの期に及んでも

政局の権力構図を描きたがるはず。

残念ですけど、国民の思いに

まったく追いついていない。


まだ空気を読めていませんから。

パターンの踏襲を疑わず愛している。


この人たちは、ただ毎日

起こった出来事を伝えているだけ。

騒ぎたてるにぎやかしのポジション。

なんの特徴も感じられない。


国民が政治に関心をもつような

何か考えることを促すわけでもない。

存在意義は、まるでないに等しい。


アタマの古い上の連中も

この構図が大好きで。

歪んだジャーナリズムに酔う。


国民そっちのけで、各陣営の意図を

暴きたい願望をむきだしにしてくる。

マスコミの真骨頂と勘違いしながら。


国民はそんなの興味ないんですよ~

まだ気づけないんですか?(笑)


政治部なんかが張り切って仕切ると

流れを読めずに国民はシラケるだけ。


その結果、彼らは長い年月をかけて

国民を傍観者として立派に

育て上げた張本人となった。


決められた仕事、任された仕事を

変えることなく全うすることを

優先しようとしてるだけなんで。


局面が変わってもすぐ変えられない。

変えることに同意できないんです。

同意も納得も、許容もできないまま

上も決断を下せずに動けない。


結果的に国民が欲していない

権力争いを嬉々として報じる方向に

持っていくのはそういう事情がある。


メディアの「発信者としての欲求」を

満たしたくて優先してしまうから。


自分たちがやっている

代表者なんだ、みたいな欲求。

トクイゲ欲求を満たして演じてるだけ。

権力に歯向かえないからでしょうね。


球技大会、バスケかなんかで

みんなの気持ちをヨソに

本気で点決める現役バスケ部みたいな。


わかるんですけどね。

自分の「与えられた」役割を

自分にできることを、って。


でも全員が楽しむという意味では

空気読めていないやつになっちゃう。


全体がポジティブになるには

この局面ではバスケ部員は

アシストにまわること。


別の人に点を決めさせる流れを

意図的に演出することだと思いますよ。


そうすると全体が盛り上がる効果が

生まれて、全体がポジティブになる。


バスケ部員が本気で

点を取るだけの雰囲気だと

チームはたとえ勝っても

全体はあまり楽しくない。


これこそ日本の社会の縮図でね。

だからマスコミが意図的に空気を読まず

はみ出せるかが、カギになってくる。


専門家が専門家の力を発揮して

周囲もそれを有難がる社会は

活躍する人が限られた日本社会の縮図。


このパターンは、もう卒業しましょうよ。


こっちを向いてよ政治家。

だってなんだか、

だってだってなんだから。


全体がポジティブになれば

全体の総合力が恐ろしく変わる。

潜在的なチカラはまだ眠ったまま。


それを起こしてしまうと

やりづらくなるからでしょう。

でも、もう限界ですよ?


誰かに預けるだけではなく

誰かといっしょに自分も動く。

その成功体験が日本の社会全体は

不足しているんだと思います。


そこが動けば日本は変わるのでは?

参加意欲の差が外国との差になって

一部のチカラに従うだけでは

もう勝てなくなってしまったんです。


外国が日本の従来の手法を上回ってきた。

もう通用しない時代になってしまった。


うまく言えないけど

点を決める人が増えたほうが

楽しいと思う人が増える。


楽しければ、興味を持つ。

興味を持てば、協力したくなる。

続けたくなる、そういう意図ある

糸がつながっていけばいいのにね。


そして

変わらなければならないとき

変わって起こるリスクと

変わらないで起こるリスクがある。


それを天秤にかけて決められず

ずっと先送りしてきたんですよね。


変えないで起こるリスクはみえる。

変えて起こるリスクには不安が強く

ネガティブになり、怯えてしまう。


どうすべきか、わからなくなって

やってるふりにたどりついた。

そこから変わっていないんだと思う。


政治家よ、マスコミよ、そして国民も。

変えなきゃ未来も見えやしないのだ。


なんかヘンな活動家っぽいが

そんなんじゃないから(笑)


できることをやらずに悪くなる前に

やれることあるんじゃないかなと

素直に思ったことを書いたまでです(笑)





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