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島国のコロナ禍に必要な想像力。


とうとうGOTOも一時停止ですか。

なかなかやめないだろうと思ってた。

スガッスル(スガがハッスルしてる)だな。


悪い意味で熟しきった日本の社会では

いろんなしがらみが多くて、

決断のタイミングを逸してしまう。


前にも書いたけど、いつもこのパターンで

失敗するのをわかっているんだったら、

予測で一歩先に動く、仕掛ける重要性に

もう気づいてもいいと思うんだけど。


動かしづらいしくみの中でもがいて

いまだに過去の亡霊にとりつかれている。


結局は、突っつかれてようやく動く。

そして失笑を買うといういつもの流れ。

みんな責任取りたくない気持ちの表れ。

ここは次のリーダーが意識すべき点です。


このままだと首都直下型地震などで

大きな災害で想定外の連続が起こった場合、

何も決断できないリーダーを私たちは

目の当たりにするだけになるんだろうな。

過去も後手を踏むサマを繰り返してきた。


もちろん責任は政治家ばかりではない。

国民の姿勢にも問題が隠れている。


学級委員に任せっきりのくせに

文句だけつけて、お互い決められない。

協力する姿勢が双方でうまく働かない。


熟慮して決めること、

即時に決めること。

どちらとも大事なことである。

やるべき時、瞬間。

決定、決断、行動。


他の国との比較は好きではない。

しかし、別の視点があることを

気づかせ、間違いをただす機会になる。

島国って独特になりがちだから。


外国は・・・イメージですよ、イメージ。

島国は想像力がないとやっていけない(笑)


個人として各自、自分の主張や意思が

強いからこそ、国民を束ねるリーダーも

それ以上の強い姿勢で立ち向かう。


強制力とリーダーシップによって、

対等に向き合うような立ち位置を

両者が、つくっているように思うし、

その立ち位置を両者が、認めている。


国民が遠慮せず10でくるなら、

リーダーも10でいくよ、みたいなね。


10出して10主張してくるから、

10で張り合って示さなければ

リーダーも戦えないし、伝わらない。


お互い10出しながらも、どこかで

自分たちの国のことを頭の片隅に入れて

そこに対して責任を感じている。

ちゃんと参加して戦える関係性がある。


その責任感が、社会を担うひとりひとりの

当然の感覚だと思っている。

だから、イヤなことだけど

受け入れて協力する。


協力してるけど主体的に動く協力。

言われて、させられて、動く日本人とは

少し、違う感覚だと思うんですよね。


日本人は架空の期待値にすがりすぎる。

どうにかなるのではないか?という

決断力を曖昧にしたまま天に任せる。

角度を変えた逃げを続けてきた。


日本の政治ってどうでしょうか。

ミスしたらそこを徹底的に攻めて

引きずり降ろして退陣させる

って流れがあるでしょ?


理由はなんでもいい、とにかく

イメージを崩すネタで責め立てて

責任を取らせてケジメつけさせる

みたいな、三文芝居の劇場型政治。


すると、ミスを恐れてタイミングを

はかりかねてしまう事態が起こる。

緊張してやるとなんでもうまくいかない。

チカラ発揮できない環境に招き入れ、

なおかつ、プレッシャー多め。


いつでも政権交代を起こせるみたいに

プレーヤーの側は思っているわけです。

あの世界でだけ通用するガラパゴス政治。


ただ、国民の側の私たちは

そことは線引きしていて、

とにかく前に進め。

やることやってくれ!って思うだけ。


劇場型には呆れ果てているんだけど、

変わらない人間性に対しても、

もうあきらめてしまって、

自分たちの生活のみ重視の方向に

みんなシフトしていって無関心になる。


つまり、日本は政治家は劇場型で争い、

国民は冷めた目でみて、協力も興味もゼロ。


チェーンのない自転車こいでるよ?

前輪回ってるけど、後輪回ってないよ?

もちろんどっちも前に進みたがっているが

後輪の視線は、前輪とは真逆に向いている。


外国はぶつかる化学反応で高め合うベクトル。

日本はぶつからず背中を向け合うベクトル。


「→←」な矢印が向き合う状態が外国。

お互い10出して戦う。

コロナ禍という事態だからこそ

より10出して戦い、前へ。

視線は未来だ。


「←→」な矢印が真逆に向き合う状態が日本。

日本は「→→」な後ろをただついていく状態もある(笑)

日本は「10出さない」

「10出せない」んです!

わかりますよね。


そう、だから日本はまだ協力したら

10出せるはずなんですよ。

ワタクシがやり方次第でまだ

よくなると感じているのはそこです。


同じような政治のシステムを敷いている

イギリスと日本は何が違うのだろう?

いろいろと共通点が多い国同士。


おそらく、

向き合う姿勢と主体性ではないか。


任せるんだけど、長いスパンで

ちゃんと協力し合いながら前に進む。


遠慮なくやろうよ、いちいち

つまずいていたら何にも変わらない

という共通理解がある。


向き合わず陰ではコソコソ言うくせに

面と向かって戦おうとはしない。

私たちの国の欠点はここではないか。


相手を負かすためではない。

相手と共に前に進むために戦うのであり、

勝ち負けをつけさせる日本とは

根本的に意識が違うように思う。


システムをいじるより簡単なこと。

人が意識を変えて、ぶつかって前に

進むことです。


足の引っ張り合いをやめて、

いまは前に進むために協力すること。


失敗しても責めないから、

いますべきことをひとつひとつやる。


全力でやる。全力で協力する。

いろいろ考えすぎず、いまを進む。

視線は同じ方向の未来へ。


シンプルだけどこれまでの日本人が

性格的にできなかったことです。


私たちの社会が一番、すぐにでも

変えなくてはいけないことだとも思う。


知識やデータで、しくみをこねくり回し

足の引っ張り合いを高見の見物せずに。

本気出す環境をみんなで整えるべきですね。


「やれば、できる!」(ティモンディ高岸)






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