見出し画像

第三の波と、行く行かない。


第三波が押し寄せるなかで

政府がGoToをやめないのは何故?


そしてなんだかなめられきったような

4人以下でとか、5つの小とか。


まぁ、行政にしたら子どもを

たしなめるようにわかりやすく

ってところで業務を執行する感覚で

恥ずかしさもなんもないんでしょう。


あれはなんか「なめてる感」満載(笑)

こういうちょっとバカにした物言いを

あえてして、注意喚起を促す意味も

含まれているのかもしれませんねぇ。


飲んでから言っても遅い。

言っても反発するとなると、

ちょっとシラフの状態のときに

自分から、そうだよなという

スイッチを入れさせなくてはならない。


やめるのを決めるのは

本人であって、

行く行かない、使う使わない

そして守る守らないを

誰かに決めてもらうような

ものでもない。


あるから行く、というのと

自分で決断して行かない、

使わないというのは、

いっしょにしちゃいけない。

ホントはね。


このとおりやってくれと

言われ慣れすぎている私たち。


どこかで、ハッキリとこうしてくれ

って示して欲しいという感情を

こころに持っている。


ハッキリと中止なら中止と、

言ってもらったほうが「ラク」

って気持ちをセッティング中。


基本的にめんどくさいことを

したくないし、考えたくない。

そして白黒ハッキリさせたくなる。


自分の仕事や役割などは

決まっていたほうが心理的な

負担が少ないから。

ストレスを軽減できるから。


やってるから行ってしまう、

そういう人がいるからリスクが

広がるんだ。

って考えている人が反発する。


政府としては行くも行かないも

本人次第で決めればいいことで、

政府としては選択肢を残しておく

という大義名分をかざしながら、

自分たちのキモ入りの施策を

簡単に止められないって意味合いも。


いまの平均的な私たちの多くは

気づかないくらいの塩梅で、

主体性を大きく欠いている日常を

送り続けている。

それが快適だと信じて疑わない。


自分で決められない人間が増えている、

その裏返しなんだろうなぁと。

ワタクシ自身にもそういうところもあると

自覚している、もちろん。


主体性を自分になじませるまで

現代人はちょっと、時間がかかる。

スッとダウンロードしたとしても

感情のほうが適応できないんですよね。


どっかで、まぁいいや

という気持ちもあるし、

周囲がやり始めたから、

そうだよなぁと腰を上げる。


通信速度をいくら速くしても、

預けっぱなしの心理が強まるだけ。

決めてもらいすぎている人生だから。


受信感度とは、受け身体質の感度。

私たち人間にとっては、そうかな。


スマホじゃないので。生身なのでね。

通信速度を速めようが、すぐにできない。


やっぱり自分で決めるクセ、

付けとかないとダメですよね。


決めてもらったほうが「ラク」

リスクを無くしたほうが「安心」

その気持ちが上回りすぎていやしないか。


極端なほどのリスク回避の心理が

その裏には見えてくる。


安心、安全は実は、

自分はよくても他人に

予想以上の負荷をかけている。

想像力をはたらかせたらわかります。


ここなんです、ポイントは。

いまの状況の行きつく先は、互いの

負荷の掛け合い。こなし合いになる。


でも拠りどころが欲しい。

コレをしていることで安心を得ている、

みたいな感覚を持っていたい。


満足感を他者から

与えられれば、与えられるほど

自分から意識を変えていく決断は、

どんどん難しくなっていく。


さまざまなデジタル化を完了する前に

私たちが流されすぎない意識を、

あえて自分のなかに植えつける。


アナログの融通の利く部分を

意図的に残しておくことが、

これからの時代はカギになる。


非常に抽象的ですけど、

大事な感覚かなと思いますね。


何の因果か5Gをうたいながら、

4人以下で。5つの小で。











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?