計算できる存在=国民、民意だったが?
近年、失言を責めて
あらゆる責任をとるように
仕向けるような流れ、
大きくなってきていますね。
良くも悪くもですが。
森元総理の発言で改めて思うのは
国民はこうすれば、こうなると
なんか、決めつけている感じ。
むかしと変わっていないんですよ。
操作できたいた時代のまま。
国民とか民意はバレないように
操作することができたとか、
誤魔化せた時代のバイアスに本人が
まだかかっている状態なんですよね。
選挙に関する物言いもそうです。
政治家やその周辺は国民に対して
票の計算をした見方をしている。
たぶん、もう
計算してできていたことが
できなくなる時代に
入っていると思いますよ。
こうなればこうなるという見方が
こうさせてたまるか、という意見で
覆せる環境が整いつつあるんでしょう。
SNS等の可視化できるツールで
国民は発言権という
いままでに目に見えてなかった
意思や権利を顕在化させた。
この国民の意見もマスコミという
フィルターを通して操作できていたが
これも通用しなくなっている。
直接に声がマスコミを通さずに
発信していく主導権を握った。
計算できる存在=国民、民意
これ。これですよ。これまではこれ。
偉い人たちは下にみて、甘くみてる。
彼らが操作できたから。これまでは。
ただ、発言権の強化のツールと
その意見を持った国民の実際の数。
どちらが強くなるか。
わかってきますよね、これからは。
この立場逆転の現象。
国民が票数などの数字として
操作される側の存在ではなく
数でない意識、意見を持ってくる。
人間として対抗するんだという
「確実に存在する」時代になった。
全部の意見を取り上げるのは
もちろん困難であって、全部は無理。
これも確か。その側面も当然。
でも、大事なのは
意見を立てて、こうしてくれと
同じ相手に要求するだけでは
変わらないのだということ。
つまり、意見を言うのは良い。
しかし、言うだけでは変わらない。
意見を反映させるには次のステップ。
意見を反映させるために動く。
自分たちで動いて効果を及ぼすこと。
政治家の息がかかった候補者でなく
いわば無党派層ですよ。イメージは。
たぶん、いまは意見を言うだけで
まだ止まっている状況だと思います。
どうせ全体はまだ行動できないから
まだ主導権は握れると
政治家や官僚など上にいると
「思っている」人たちは甘くみている。
最終的には自分たちが勝つと
思っているんでしょうね。
たとえば前に書いたけど
選挙で該当者なしとして投票する。
それが国民としての意思だと。
無効票が有効票を上回った場合、
当選できない、その議員の席は消滅する。
そんな流れをつくるとすれば?
決めるのは政治家だと
思い込んではいけない。
外からの圧力、外国のメディアを通して
外側から圧をかけると日本は弱いから。
外堀から埋める流れのつくり方もある。
そこに気づいてうまく立ち回る
政治家もこれから出てくるでしょうけど。
自分の有利な方向にやろうとする
魂胆がバレてしまう時代になったんです。
いまはまだ、思うとおりにさせるか
謝罪しろ、ちゃんとやれ、という
他人の責任を他人の立場で裁く感覚。
これまでの組織の延長上にいる人たち。
彼らもどこかで自分の身を考えて、
反旗をひるがえす時期がくるでしょうね。
これが実現すると
国民の意識は自主的に行動する
流れに加速していくと思います。
言う、もう一歩先に。
私たちの未来を本気で考えるならば。
数は圧倒的に多いんですから。
まぁなんらかのバランスは崩して
弊害は出るでしょうけどね。
ただ、いまのしくみの延長線上では、
もう進めなくなってきています。
自主的な意思が加速して
変えるためにひとりひとりが
参加意識を徹底していくと
流れは変わってくるのではないか。
あらゆる問題も専門家に任せず
自分たちで動かす環境をつくらないと
本当の意味で変わっていかない
っていうことなのかもしれませんね。
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