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未来から逆算してデザインすると?


(20190417ヤホーブログ記事の加筆修正)

私たちはどちらかというと、

未来を思うときには、

過去や現在のあり様から

その延長線上に想像してみている。


では、この視点を変えてみるとどうか?

未来の10年後の時点を軸にして、

そこから逆算しながらものごとをデザイン

していくことはできないだろうか。


こういうことができたならば、

という前提から逆算する。

こういうことをしたい、でもいい。

できるとしたら何が必要で、何が不要となるか。


法律や定説、固定観念、すべて無視して自由に発想する。

無視しないと自由な発想は生まれないから。

このほうがポジティブに考えられるのでは?


〇〇がネックになるからダメだ。

〇〇があるからできそうにない。

未来の時点でも現在の構図が崩れることを疑わず、

維持する、続いている、変わらないという前提を

哀しいくらい持っていると思う。


それを今回のコロナ禍で崩れていくさまを

まざまざと見せつけられている。


過去・現在を軸としてさらに、

プラスアルファで上積みとして、

未来を想像することが多い。


でもよく考えて想像してみてほしい。

未来を過去・現在から思考を展開させていくと、

どうしてもネガティブな発想になりがち。

そしてその変わらないと思っている展望は、

容易に崩れ去ることもあると、気づいた人も多い。


いま現在のあなたや私の基本軸は、

過去や現在から成り立っているはずですが、

これから起こりうる未来のことについては

「まだ確定していない推測」にすぎない。


相手のあることの場合でも、

相手が動かない、変わらないと決めつけて

考えていやしませんか?


10万円全員に支給されても、

勝ち組は使う必要がないから使わないと

思い込んでいやしませんか?


そこですよ、この10万円を困難な状況にある人に

寄付したり、消費したりするよう全体で仕向けたら?

果たして、どうなるでしょうか。

10万円が微力ながら各地で経済を少しでも

まわす力になるならば?

そんな単純な問題ではないと切り捨てるのは、

少々、バイアスがかかりすぎてやしないだろうか。


あえてみんなが、特にほとんど影響のない人間たちが

10万円を意識的になんらかのカタチで消費する。

そのデザインができたら、どうですか?


「使いみちなんかないに決まってる」???

苦虫顔のダミ声の、まだいるの?

って政治家たち。

彼らは未来の人間たちから、

笑われるに決まってる(笑)


反発や反対意見が出るから、

コンプライアンスがあるから、

負担がかかるからと。

すべてネガティブにマイナスを排除しよう、

とする意識ばかりがはたらいてしまう。


そうなんです、わたしたちは

過去や現在の視点を基点として

ものごとを結果的に、ネガティブに

発想しがちになるんです。

ここが容易に突破できない

現実に立ちふさがる壁。


ならばいっそのこと、逆転の発想をしてみようと。

未来という時点に基点をおいて、

そこを起点として「逆算」していく。

10年後、2030年。こうなっていたい、こうなるかも。


縛られた思考の場合・・・こんな未来。

思えばコロナがあった、

あれからすべてがうまくいかず

経済的に淘汰され、借金が増えた。

消費が落ち込み続けて、みんなにらみ合い。


格差を維持しようとの思惑で

勝ち組のアドバンテージに

拍車をかけようとしたら、

類をみない暴動が起きてしまった、

なんてことも?


そうこうしているうちに、大震災がついに来た。

不幸に不幸をかぶせるように、そして津波や火災で

多くの人が飲み込まれ、都市機能が崩壊した。

残された人たちも立ち尽くすのみだ。

こんなはずじゃなかったのに・・・

ありえる話でしょ?


私たちは心の中ではもう、このままではヤバイ。

ずいぶん前から気づいているが、動かない。

動けばどんな不利に見舞われるかという

恐怖心が上回り、現状維持で逃げようとする。


イメージをしていくなかで、

過去や現在に照らし合わせて考えてしまうと、

「こうなっていくだろう」というルートには

明るい光は見えてこないんです。


でも2030年の私たちの立ち位置で、

「こうなっていたい」「こうなるほうがいい」として、

「こうなっているとしたら、何が必要で何が不要だろう?」

という視点でデザインすることもできるはずです。

主に頭の中の軸の切り替え作業みたいなことですね。


この発想の仕方が私たちの未来を、

より良いものへとデザインしていく。

むしろこの発想でしか、ポジティブに

より良い方向にいかないと踏んでいます。


そして若い人たちがより新しい発想で

挑んでいくのはキヨキヨしいもの。

(このあたりが過去の古いネタらしい、笑)

その過程では「知りすぎないこと」も

実は重要なことだと感じるんです。


若い人は私たちが過去の経験によって

選択しなかったことや、捨ててしまった選択肢にも、

まだ望みをもっている可能性もある。

見方を変えればできなくはないと。

若い人には、こうであるからできないという

実感も、実際の体験もないからなんです。


大人たちが選択をしてきた結果が、

現在の状況を生み出しているのであれば、

その捨ててしまった選択肢にも注視し、

あるいはそこから発想を展開させて

光の射す方へ歩んでいける、

デザインしていけるかもしれない。


このように若い人にとっては、

過去や現在を知りすぎなければ

過去の欠片を再度デザインしていく

というやり方もみえてくる。

新しい発想で、あの頃の私たちには

思いつかなかったアイデアで。


大人以上の私たちの世代はどうだろう?

私たちオトナも実は、そういう発想は

「あったはず」です。「していた」はず。

しかし上の世代が過去や現在を踏襲するあまり、

吸収されていったんです。自覚あるでしょう?


あまりに大人数の大きな流れに飲み込まれて、

そこでどう生きていくかに切り替えてしまったんです。

それがオトナになることと、自分で納得させながら。


しかし、大人では、もう不可能かといえば

そんなこともない、いま見えていないだけであり、

かつてはそんな発想もしていたんだし、プラスで

過去や現在までの実体験というアドバンテージがある。

何を選択したらダメになったのかが、わかるんです。


私たち以上の世代がとってきた選択肢に

私たち自身が、とらわれすぎているだけで

必要以上に自分たちのデザインをいつまでも

美化しすぎているだけではないだろうか。


人間、誰でも上にいけばいくほど

誰からも反発をされなくなる。

周りもいろんな計算をしながら

忖度、おもねる、こびへつらう。


その社会のあり様の積み重ねのパターンを変えるには、

未来からの逆算デザインが最も有効な手段ではないだろうか。


(長いですね、笑。飽きずに読んでくれた方、ありがとう

ございます。昨年書いた記事に、現在の事象を加筆修正。

自分がやればいいじゃないか、というかもしれませんが、

こういうのって誰かが指揮して陣取って、自分が導くから

ついてきてくれ!ってパターンは、散々失敗してるんです。

だからあえて、誰でも参加できて、主体的に参加していき、

知識やスキルにおぼれずに、いろんな意見を出し合い、

いろんな視点で想像していけば、新しい何かを生み出せる。

ホントにそう思っているんです、笑。タモリみたいにいうと

んなわけないって思う人がほとんどでしょう。でも、やった

ことないワクワクが一番楽しくて、続けられて、主体的になれて

まだ見ぬ可能性を生むんだと思いますよ。これも長いな、笑)



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