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日本は観光地の味付けを間違えてる。


日本の観光地は年々

整えられていく。


いい整えられ方なのか?

そもそもいまのスタイルで

整える必要があるのか疑問。


日本の整え方や、迎え方

考え方に大きな欠陥が

あると感じますね。


実は、観光スポットが

地元住みの人が楽しめる場では

なくなっているような気もする。


やってるけど詳しく知らない

気軽に入らせてもらえない

そんな雰囲気、感じたことありません?


選ばれた人だけが管理、監督して

あまり商品に寄せ付けないような。

誰にでも触らせてあげられないと。


貴重なものを専門家の指導のもと

許されることだけしか許さない。

商品に勝手に触るな、汚すな

観光客のために準備したものだ!

みたいなね。


そんな地元なのに仲間に入れて

もらえていないような雰囲気。

みなさんの住む観光地にも

このヤな感じありませんか?笑



地元の人の、というよりは

他の地域の観光客のために

キレイに、維持しようとする。


お客さんを「呼ぼう」とする姿勢が

なんか違う感じがするんですよ。


日本全国の多くの観光地がやろうと

しているスタイルがコレでしょ?


だからほとんどの地域のやり方は

間違っている気がします。

そう感じる人も少なくないはず。


地元の人が日々当たり前に

暮らすなかに日常としてあって。


そこに観光客が堅苦しくない

ゲストとして入っていくような

住民のいる中に自然と訪れる感覚。


テレビなんかではよく見る。

観光地にいくとリポーターに

地元の普通の人間(演出?)が

観光名所はあるかと訊かれ


自分なりの感想を交えながら

観光客にその良さを伝える場面。


自分事としてナチュラルに

感想を流暢に言えるような。

そんな場面を想像してほしい。


訊かれた地元民も当たり前のことを

自分のもの、マチであること

実に馴染んだ状態で伝えようとする。


ゲストはそんなに偉そうにしない。

偉い感じでも扱おうとはしない。

ちょっと対等に近いイメージがする。

それがまた心地よく感じると思う。


外国人はこの感覚で日本にやってくる。

でもすごい客扱いされるから

やさしいんだけど距離を感じるみたいな。


たしかに来てくれる、お金を

落としてくれるというのは

有り難い話だ。


でも揉み手しながら客に

すべて許すような日本のスタイル。


案内する人がシゴトとして

ちゃんと説明しなきゃという

ヘンなぎこちなさ、居心地の堅苦しさ。


その独特な日本の勘違いスタイル

お客様は神様的な上下の関係

とは違うと思うんですよ。

外国人が馴染みたいニュアンスは。

この違い伝わりますかね?笑


日本はというと、観光地には

地元の人はあまり関与しては

いけないような感じの印象を持つ。


専門的な人が案内するし

完全に役割分担で

分断されているような感覚。


我々やるんで大丈夫です、ニコ笑

(入ってこないで、シゴトの邪魔)

みたいな感覚あると思いますね。


地元の人が楽しんでいる

ような雰囲気はなさげで。


観光地という商品の中には

地元民はキャストとして

入れないような雰囲気が出てる。


そういう感じが強く出てる

地域もありますよ、ホントに。


これもやっぱり日本の社会参加の

希薄さを生んでいる理由ですよ。


我々の仕事なんで邪魔しないで的なね。

専門家が独占化すると廃れる。

住民の手を離れていくからですよね。


あらゆる専門家がいるが日本は

いい感じで馴染むことはなく

いい感じで距離ができてしまう笑


産業化することが残念ながら

専門化にシフトしていく。

専門家が管理して地元民の手を

離れていくような、寂しさ。


そしてなんかやってるけど

参加させてもらえないから

楽しくないみたいな空気になってく。


観光地なんですけど

観光地全体を「お店化」しちゃ

ダメなんだと思うんですよね。


このショーアップはすごく難しく

ありのままの素材にちょっとだけ

味付けする程度が良くて。


一流の料理人が一流の料理で迎える。

凄いでしょ?どうぞめしあがれ!!


違うんですよ、その雰囲気づくりが

逆に違うと気づけなくなっている。

商業化、仕事化して商品化していく。

その過程で地元住民は楽しくなくなる。


そのスタイルに田舎は田舎で

田舎の習わし、しきたりに倣い

有力者に連なる流れが

紐づいて癒着などを生んでいる。


産業化してるんだけど

商品化しすぎてしまう。

利益を生むものとして

利用する意思がはたらいて

住民の手から離そうとする。


住民と観光地の一体感が

なくなって商品化されて

管理された味つけになってしまう。


これだと逆に、本来の味が消える。

面白さを消して、均一化してしまう。


その意味をいま一度、日本人は

考え直す必要があるのではないか。


参加意識を疎外せず

みんなが参加する流れを

阻害しないで呼び込む。


こういう見えないところを

意識する人が流れをつくると

変わっていく気がしますね。


でも日本全国なかなかいません

そういう人はね笑





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