見出し画像

割り切れる人、割り切れない人。


割り切る、了解する。

納得する、折れる。

従う、我慢する。


数字で考えると面白い。

割りきれると小さくなる。

おさまりやすくなる。


割りきれることはオトナなこと

常識的に正しいとあえて仮定して

社会性を保つことなのかも。


逆にどうだろうか。

割り切れない人はいる。

「素数」ではないか?笑


素数は良い意味でも

悪い意味でも唯一無二感が出る。

個性といってもいい。


その段階では割りきれない。

しかしいろいろ重ねていくと

どこかで割りきれる局面に

出会うこともある。


そこに割り切れない部分を

重ねていくと他人よりも

頭一つ多くなる。


つまりは割り切れない部分を

ずっと信念を持ち続けること

やり続けたり、重ねていくと

他人より、頭一つ出る。


同じ時の重ね方をしても

割りきれない人のほうが

割りきれる他人と比べて

多くを持つから。


割りきれる人は

割りきれない部分を

他人と比較して

多いと感じたら?

どうするだろう。


腹を引っ込めるように

押し込んで割りきれるように

合わせてしまうことが多い。


無理に入れている

そのぶんだけ窮屈。

苦しい、狭い。

ストレスが増す。


押し込めているうちに

体や気持ちが徐々に

割りきれるサイズに変化する。

小さくまとまるということ。


他人には操作しやすいが

自分を伸ばすには逆効果だ。


押し込んでストレスを溜めて

ガマンしながら

他人の目を気にしながら。


非難されないように

枠の中におさまるように

避難することになるだろう。


どうだろうか?想像すると。

割りきれない人のままでいい。

その部分で違いが生まれる。

ワタクスもそこを信じてる。


割りきれない人が集まれば

割りきれない部分を重ねて

割りきれる人より大きな数に

なるかもしれない。


そこで割りきれても

より大きな数字になるから。

イメージではそうなる。

単純にいかないかもしれないが

可能性としては広がりはある。


どんな世界でもそうだろう。

割りきれる、おさまる人は

案外、伸びないで終わる。


割りきれない人のはみ出す部分

ココを絶対に切り離さずに

信念を持って携えていた人は


その割りきれない分の差だけ

割りきれる人を上回る。

そのほうが絶対に面白くなる。


個性とは素数のようなもの。

同じように年月を重ねても

割りきれない分だけ

割りきれる人を上回る。


いいこと書けたなぁ笑

思いつきにしては面白い。


外山滋比古っぽさが

うまく熟成されてきたか?笑


コレもワタクスの持つ

割りきれない部分の現れで

個性になっていくんだろう。


大事に抱えつつ、捨てずに

育てて持ち続けていきたい。

いつか必ず頭ひとつ出るために。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?