きふきふ
今日は日めくりに9が並ぶ日であります。
しかも今年は昭和99年。實に特別な日に思えるのであります。
1年の内で同じ数字の並ぶのはあと1回、11月11日だけとなりました。
嗚呼、一年や斯くも早く過ぎにける。そんな今日この頃でありますが9が並ぶのであるからして「きゅーきゅー」とぞ謡いける、その思い出を少し並べてみましょう。
9・9と言えば……
掛け算九九
まずは何と言っても小學校3年時に誰もが暗記するであろう掛け算の81通りであります。
私は兄が居たので以外にも九九に触れたのは早く、小學校1年の時でした。
當時、何かにつけて『掛け算九九の歌』なるものが巷で氾濫しておりましたが、我が家でも例外ではなく『ドラえもん 九九の歌』と云う緑色のカセットテープがありました。
勿論、ドラえもんは大山のぶ代さん。あの懐かしく優しい感じの温かな声で唄っておられます。
何故か5の段を過ぎると息切れをし乍ら唄っている様な感じで9の段の81を言い終える頃には不思議な達成感を感じられる歌でした。
今でも實家のどこかにそのカセットテープが眠っている筈ですので今度の聯休にでも發掘してみようかと思います。
SHOP99
現在の「ローソン100」です。
お金の無い學生時代は随分お世話になったコンビニエンスストアです。
昔は平日に某大手チェーン店のハンバーガーが半額となり63圓で食べられた時代。今では考えられません。
その頃から實入りはあまり増えないのに物価だけが上がっていった今日。デフレの是非は別として、あの頃の貧しくも樂しかった時代を思い出します。
カラオケでも輕食でも食べ放題でも、安い店やお金を使わないで濟む方法を探してみんなで駄辨っていたものです。
嗚呼、幸せだった青春時代。懐かしい日々は帰らず。
〽素晴らしいあの頃、學生時代♪(…一寸古いかな………)
九九艦爆
「きゅうきゅうかんばく」と讀みます。
第2次大戦時に活躍した我が帝國海軍の「九九式艦上爆撃機」と云う名前の飛行機です。
専門的な事はともかく「空母で發着出來る飛行機で爆弾を落として敵を攻撃するのを主任務にする機軆」なのです。
楕円形の大きな翼に固定脚の車輪のフォルムが好きでした。
私も例外ではなくプラモデルを作った際に胴軆下だけでなく翼下にも小型爆弾を取り附けて重装備させておりました。
米國にドーントレス、獨逸にスツーカ、日本に九九艦爆なのです。
戰争の是非は別として、世界の名立たる名機の中に我が國の飛行機が複数ある事は誇らしく思っても良いのではなかろうかと存じます。
レベル99
多くのRPGに於ける最高の強さを示すステイタス。
「某國民的RPG」ではこの状態で王様に會うと次のレベル迄の必要經驗價を言われる代わりに「もう じゅうぶんに つよい!」と言われます。
この究極のレベルに達する頃には世界を恐怖に陥れた大魔王も最早形無しでした。
私は特に樂しめたお氣に入りの作品では最後のボスを倒した後も尚、その世界に居座り續ける人であり「変な斗い方を探す旅」や「変なパーティを聯れて行く旅」「変な装備で臨む旅」等、色々やり込むのが好きで、いつの間にか誰かしらがレベル99になってしまっていたものです。
RPGの面白さの一つは自由で巾廣い戰略に在ると思います。
思いもよらない戰法を編み出すと敵と斗うのも樂しくなるものであり、今日趣味でゲームを作る側に立っても、その事をよく思い出して作っているつもりであります。
残機×99
レベル99と同じく、数多のアクションゲームではこの究極の價が存在していました。
特に「世界一有名な配管工の兄弟がお姫様を助けに行くゲーム」に於いては階段で亀を踏み續ける「無限増殖」が初めて出來た時は嬉しかったのを覺えております。
當時は十の桁を上手く表示出來ない關係で変な文字に化けてしまっていましたが、調子に乗って99機からも増やし続けた結果、255機を超えてしまいオーバーフローを起こして0機に戻って突然ゲームオーバーになってしまったのは良い思い出です。
数學で16進法を學んで、やっとこの理屈が理解出來たのは随分後年になってからです。嗚呼、ドラえもんと一緒に九九を勉強していた昔が懐かしや…。
尚、當時は残機の事は「残り人数」と表現されており、この定義に則ると「マリオ(若しくはルイージ)が99人居る」と云う事になり、どう云う状況なのか考えていた事もあります。
もしかしたらプレイヤーの見ていないところで後ろからゾロゾロついて來ているのかもしれません…。
お風呂
御幼少の頃はおじいちゃんやおばあちゃんとお風呂に入っていた私はよく100迄湯船で一緒に数えたものでした。
幼稚園だった當時の私は100と云う数字は「途方も無く多い数」として認知しており「99の次が100だった」と云う事實はお風呂で發見したのでありました。
かの偉人アルキメデスもお風呂で偉大な發見をしており、お湯にゆっくりと浸かると云う事は神秘的なものだったのかもしれません。
今日、私の無類の風呂好きも幼少期のこうした思い出が影響しているのかもしれません。
試驗
學校の試驗で99点だった時がありました。
こう云う時は妙に悔しいものです。
「學校の試驗の点数はその單元の理解度を示すものであり、合否判定を行うものではないのだから得点よりも失点を考えなさい」と教えてくれた先生がいらっしゃいましたが、その1点が實にくだらない不注意であった時は尚の事であります。
まして成績順位で100点の者が居た場合はその無念さや如何程や…。
こうした經驗こそが學校の勉強で大切な部分であり、こうして人間は成長していくものだと思います。
ゴマちゃん
キューキューと鳴くものはゴマフアザラシの赤ちゃん。
春休みの午前中には、よくテレビで観ていました。
あの鳴き声は本當にゴマちゃんが居る様であり「ゴマちゃんの演技をしている」のとは全然違うものだったのをよく覺えております。
友達の女の子もあのぬいぐるみを持っている人が居ましたが、私は個人的に「イエティ」が好きでした。
皆様は如何でしょうか?
昔から99と云う数はどこか不思議な感じがするのであります。
然るに今日と云う特別な1日を過ごした幸せを噛み締め、これからお風呂に入り、おじいちゃんやおばあちゃんが一緒に居た頃の懐かしい昔を思い出して湯船で100迄数えてみようかと思います。
そして、昔の繪柄が懐かしき『少年アシベ』を讀んで深い眠りに就くと致しましょう。
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