オブさん

オブナイ(小船井)秀一。ばらくて・ばらだるま編集人。「おうたのかい」作曲担当。YouT…

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オブナイ(小船井)秀一。ばらくて・ばらだるま編集人。「おうたのかい」作曲担当。YouTubeに楽曲を投稿中。4コマ漫画、70〜80年代漫画、60〜80年代流行歌、お酒愛好者。 関節リウマチで障がい2級。元新潟高教組組合員。元新潟県高文連文芸専門部委員長。何より大切なものは人権。

最近の記事

オブさんエッセイ 夜の路上ミュージシャンを見た⑤

 さて、オレはその後も音楽を続けた。仲間たちと雑誌作りをしたり(文章書きや編集の仕事は、実はオレにとってもう一つ大切なことなんだ)、稼ぎ仕事でも珍しくやりがいを感じる仕事を請け負ったりしたため、曲作りはなかなか進まなかったが、やめたりはしなかった。オレは絶望なんかしない。10年前には左肩の人工関節置換手術のため1年間休職したが、そのときには7曲できた。それから今日まで、デスクトップソングライター(DTSW)を名乗りつつ、たまちゃんや美術評論家のOさんから歌詞をもらい、15年前

    • オブさんエッセイ 夜の路上ミュージシャンを見た④

       仕事をしつつ、オレは曲作りを続けた。たまちゃんが参加していた東京の作詞・作曲団体にオレも加入し、機関誌に曲を送った。弾き語りができなくなったオレは、せめてソングライターとして世に出たい、と思い、半分すがるような思いでこの団体に参加したのだ。  アマチュアの作詞・作曲者が集まるこの団体はそれなりにレベルが高く、そこで評価されるとプロへの道も開ける可能性がある、という話だった。オレは欠かさず作品を作って送った。その団体内ではたまちゃんの歌詞もオレの曲も評価され、それぞれ年間の最

      • オブさんエッセイ 夜の路上ミュージシャンを見た③

         「絶望した」とは違う、と書いたが、それには別の理由もある。やがてギターが弾けなくなることを見越していたというわけではないが、YAMAHAから出ていた音源内蔵シーケンサー「QY10」「QY20」を、入院前に調達していたのだ。これは、様々な楽器の音源や演奏パターン、コードがあらかじめ内蔵された器械で、今で言うDTM機器の先駆けだ。これがあれば、まだ曲作りだけは続けられる。  QY10はリウマチ発症前に買ったものだが、これは正直音源が安っぽく、QY20購入後は使わなくなった。QY

        • オブさんエッセイ 夜の路上ミュージシャンを見た②

           左手親指が動かなくなったのは、ちょうど大学病院診察日の前の晩だった。翌日、大学病院整形外科のリウマチ外来で主治医の診察を受けた。オレの話を聞き、左手親指を診て、主治医は言った。「腱が切れてる。すぐに繋がないといけない」。その場で、入院するリウマチ専門病院の説明と入院・手術前後の日程の説明を受け、オレは村上市にあるその病院に入院することが、あれよあれよと決まってしまった。  職場の長に事情を説明し、休職の手続きを済ませ、オレは4月1日からリウマチ専門病院に入院した。この際、必

        オブさんエッセイ 夜の路上ミュージシャンを見た⑤

          オブさんエッセイ 夜の路上ミュージシャンを見た①

           喬太郎師匠独演会からの帰り道はもう夜だった。りゅーとぴあを出たのは夜8時45分。空中庭園のライトアップされた木々の向こうに、ガラス張りのりゅーとぴあが輝いていた。暗い白山公園を突っ切り、広い交差点を渡って古町通りへと向かう。  上古町の店々は、わずかな飲食店以外はみんなとっくに店じまいしていて、どの店もシャッターが下ろされている。寄り道などできるわけもなく、下町の家へ向かって真っ直ぐ歩いて行く。人通りはほとんどない。町全体が早くも眠りについてしまったようだ。  柾谷小路

          オブさんエッセイ 夜の路上ミュージシャンを見た①

          オブさんエッセイ プチ障がい者営業中④

          障がい者になって失ったものと得たものと③  人間誰しも、「得意技」と「苦手なこと」をそれぞれ持っていると思います。まあ、世の中には、「オレは勉強でもスポーツでも苦手なことなんか何にもないぜ」という超人もいらっしゃるのかもしれませんが、今のところ私はまだそういう超人とは出会ったことがありません。プチ障がい者になる前の私も当然ながら、英語が全くできない、数学がまるでわからない、体育の授業におけるスポーツがうまくできない、機械いじりや工作が不得手、根気がない、努力が続かない、記憶

          オブさんエッセイ プチ障がい者営業中④

          オブさんエッセイ プチ障がい者営業中(番外)

          プチ障がい者営業中④は後回しにして、今回は番外として、差別語について考えます。 差別語(差別目的語)を考える 会合や集会などの公の場で、それなりの立場・役職にあるような人が、発言中にサラッと差別語(差別目的語)を使うのを聞いてしまうと、強い怒りが湧いてきます。それが「こちら側」(民主的価値や差別を許さない態度を大切にする側)と思っていた人だったりすると、怒るのと同時に、心からガッカリします。おそらく当人には差別している気持ちも自らが差別者であるという自覚もなく、無意識という

          オブさんエッセイ プチ障がい者営業中(番外)

          オブさんエッセイ プチ障がい者営業中③

          障がい者になって失ったものと得たものと②  手首の手術によって私は、「ギターを弾くこと」(ヘタクソでしたが)を失いました。ギターというのは、たとえば私のようにコード弾きしかできなくても、手首を直角に曲げて弦をフレットに押さえつけなければ音なんか出ませんから、手首が曲がらないと、そもそもギター演奏は不可能です(退院してから、それでも弾いてみようと試してはみましたが、当然ながらまったく弾くことはできませんでした。指も変形しているということもあり、Emは何とか、という感じでしたが

          オブさんエッセイ プチ障がい者営業中③

          オブさんエッセイ プチ障がい者営業中②

          障がい者になって失ったものと得たものと①  「プチ障がい者」になるはるか以前、「健常者」だったころは、もともと人並み以下な運動能力ではありましたが、下手の横好きで草野球やテニス、バドミントンなどを楽しんだりしていました。本格的なのはさすがにアレでしたが、日帰りの中低山の登山などはとても好きで、五泉市の菅名岳(標高909m)や新発田市の二王子岳(標高1420m)、村上市の日本国(⇐すごい名前だけど標高555m)などに登っていました。自転車も好きで、ランドナーやMTBなどに乗っ

          オブさんエッセイ プチ障がい者営業中②

          オブさんエッセイ プチ障がい者営業中①

           約一年ぶりのnoteへの投稿になります。生来の怠惰な性格が災いし、さらに興味が全く別の方向に飛んでいたため、いろいろ書きたいことはあったのですが、投稿するまでには至りませんでした。これからは、自分のペースでゆるゆると、徒然なるままに書いていこうと思っています。お付き合いいただければ幸いです。 微妙な動作ができなくなってイライラするのです  手足の関節が何の触りもなくスムーズに動いて、身体のどこも全く痛くなかったころのことを、半分思い出せなくなりつつあります。  私は中途

          オブさんエッセイ プチ障がい者営業中①

          【投稿その1 昔のエッセイを放出します  新高教文芸誌汽水域コラム⑤ 学校や社会を「汽水域」に】

          「汽水域」から学びの場や社会のあり方について考えたコラムです。  先日、何気なくTVを見ていたところ、岡山県の児島湾で獲れるウナギが話題となっていました。児島湾のウナギは、ほかの普通のウナギよりもずっと大きく成長し、また、蒲焼きなどの料理にすると、味も大変よいのだそうです。その理由は、児島湾が、河川水が流入する汽水域で、栄養に富んでいるためだから、ということでした。そういえば、島根県の宍道湖や本県の阿賀野川河口などで獲れるシジミをはじめ、スズキやボラなどさまざまな魚介類も、

          【投稿その1 昔のエッセイを放出します  新高教文芸誌汽水域コラム⑤ 学校や社会を「汽水域」に】

          【投稿その1 昔のエッセイを放出します  新高教文芸誌汽水域コラム④ 「ダメな自分」 を出発点に】

          福島第一原発の破局事故を受けて、いろいろ自らの言動を反省しつつ考えてみたコラムです。  日本のことわざや慣用句を眺めてみると、相反する内容が対になっているようなものがけっこうあります。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と「羹に懲りて膾を吹く」とか、「対岸の火事」と「他山の石」とか、「後は野となれ山となれ」と「立つ鳥跡を濁さず」とかはそのような例ですが、前者が「性懲りもない人間のダメさかげん」を述べたものだとすれば、後者は「まともな人間がとるべき道徳・マナー」を述べたものだと言える

          【投稿その1 昔のエッセイを放出します  新高教文芸誌汽水域コラム④ 「ダメな自分」 を出発点に】

          【投稿その1 昔のエッセイを放出します  新高教文芸誌汽水域コラム③ 「偽善者」のすすめ】

          これもかなり屈折したタイトルのコラムですが、中身は真っ当です(たぶん)。  若いころは、「募金」が大嫌いでした。人前でこれ見よがしにいかにも「よい人」であるかのように振る舞うというのは偽善的だ、「善行」は人前でやるものではない、などと思っていました。もちろん、ふだんの生活でもそういう態度です。友人たちと話をするときでも、わざと相手の欠点を声高にあげつらったり、きつい言い方をあえてしたりしていました。それを、「わたしは口が悪いんだ」とうそぶいて開き直り、そのくせ、「わたしは口

          【投稿その1 昔のエッセイを放出します  新高教文芸誌汽水域コラム③ 「偽善者」のすすめ】

          【投稿その1 昔のエッセイを放出します  新高教文芸誌汽水域コラム② 「一匹狼」のふしぎ】

          新潟県高等学校教職員組合の文芸誌「汽水域」2号に書いたエッセイです。前回同様ひねくれたタイトルですが、中身は真っ当(たぶん)です。  関節リウマチと診断されて、今年でちょうど二十年になります。入院・手術なども経て、今は立派な(?)障害者手帳の保持者となりました。  組合の本部に勤めている関係で、県外の出張なども比較的多いのですが、そこでありがたく感じるのは、電車やバスの車内で親切な方々にたびたび席を譲っていただけることです。杖を使用しているので、一目で「障がい」があるとわ

          【投稿その1 昔のエッセイを放出します  新高教文芸誌汽水域コラム② 「一匹狼」のふしぎ】

          【投稿その1 昔のエッセイを放出します  新高教文芸誌汽水域コラム① 「百姓魂」でいこう】

          今回から、新潟県高等学校教職員組合が2009年から12年にかけて発行した文芸誌「汽水域」に書いたコラムを5本アップしていきます。私はこの雑誌の編集委員の一人です。2009年の創刊号エッセイは「『百姓魂』でいこう」。ひねくれたタイトルですが、中身は真っ当です(と思います)。  わたしは野球ファンなのですが、WBCに出場する日本代表チームの愛称が「サムライジャパン」というのがどうにも気に入りません。なぜ「サムライ」でなければならないのか、ということをついつい考えてしまうからです

          【投稿その1 昔のエッセイを放出します  新高教文芸誌汽水域コラム① 「百姓魂」でいこう】

          【投稿その1 昔のエッセイを放出します  新潟県人権・同和CNコラム⑧ 出自を暴くという差別】

          新潟県人権・同和センターニュースに書いたコラムはこれが最後。他者の出自を暴くことの差別性を考えました。  先ごろ行われた東京都議会選挙の結果総括の中で、ある有力野党の党首がその党の国会議員から、「選挙に敗北したのは党首の国籍問題も大きな原因の一つだ」と追及される、という「事件」がありました。その党首は外国にルーツを持っている方ですが、その国と日本との「二重国籍」を、自らの党の議員が問題化したというわけです。その党首は結局、自らの戸籍の一部(国籍部分)を開示させられる、という

          【投稿その1 昔のエッセイを放出します  新潟県人権・同和CNコラム⑧ 出自を暴くという差別】