見出し画像

オブさんエッセイ プチ障がい者営業中③

障がい者になって失ったものと得たものと②

 手首の手術によって私は、「ギターを弾くこと」(ヘタクソでしたが)を失いました。ギターというのは、たとえば私のようにコード弾きしかできなくても、手首を直角に曲げて弦をフレットに押さえつけなければ音なんか出ませんから、手首が曲がらないと、そもそもギター演奏は不可能です(退院してから、それでも弾いてみようと試してはみましたが、当然ながらまったく弾くことはできませんでした。指も変形しているということもあり、Emは何とか、という感じでしたが、AmやB7はもうだめ、FやB♭などのバレーコードは完全に無理でした)。ずっと70年代フォーク・80年代ニューミュージック(死語だ😅)系の楽曲を作って歌ってきて、まだ自分がミュージシャンとして活躍できるはずだ、などという厚かましい野望を持っていた当時の私にとって、弾き語りができなくなったということは、そのころのいちばん大切なものを失った、ということであり、人生の大きな転機というか挫折をこれでもかと実感せざるを得ないことだったのです。
 正直、スポーツができなくなったことなどは大したことではありません。右肩を人工関節に置き換えるなど両手の複数箇所の手術を経て(手術には至らないものの時に激しい痛みに見舞われる頸や足首や膝の不調も含めて)「障がい者」となり、当然ながらさまざまな不自由を感じる身体になったわけですが、そんなことよりも「ギターを弾くこと」を失ったことの方がはるかに精神的にはつらい事実でした。退院後、部屋の壁に無為に立てかけた、15年弾き続けた愛用のフォークギターを眺めながら、これからどうしていこう、と茫然と考え続けるばかりでした。

 「障がい者」になって、しかし、今まで見えなかったものが見えてきたこともありました。それは、自分がこれまで気づいていなかった「障がい者」の皆さんの不便であり、自らの差別性です。
 障がいを負う前の自分自身を振り返ってみると、どこをどう見てもロクでもない差別者だった、と言わざるを得ず、赤面を禁じ得ないどころか、私の心ない差別言動のせいで心の傷を負った人もいるのではないか、と考えると、全身から血の気が引くような思いがします。ここにはとても書けないような差別発言もしてきました。障がい者差別、女性差別、LGBTQ差別、ルッキズムなど、ありとあらゆる差別意識を抱えて差別をばらまき、にもかかわらず、自分は大学の左翼系音楽サークルで人権を学んできており、差別などするわけがない人間だ、などと思っていたわけですからどうしようもありません。東北の大都会で新聞記者(1年半だけね)をしていたとき、その都市では知られた心身障がい者施設の子どもたちの写真を見て、「ああ、なるほどそんな顔をしていますね」と言い放ち、先輩記者からこっぴどく叱られたこともありますが、そのときも私は「だって、実際そうじゃないですか」などと続けてさらに叱られ、なおかつ心の中ではちっとも反省などしていませんでした。まさに本物のロクデナシであり立派な差別者です。
 そんなロクデナシ差別者だった私が、自ら「障がい者」となって、ようやく自らの差別性と社会の中のさまざまな理不尽なバリアに気づく、というのは、極めて遅すぎはするのですが、その後の人生にとっては、それでもとてもよかったことなのだ、と、今は思うのです。(つづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?