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オブさんエッセイ プチ障がい者営業中④

障がい者になって失ったものと得たものと③

 人間誰しも、「得意技」と「苦手なこと」をそれぞれ持っていると思います。まあ、世の中には、「オレは勉強でもスポーツでも苦手なことなんか何にもないぜ」という超人もいらっしゃるのかもしれませんが、今のところ私はまだそういう超人とは出会ったことがありません。プチ障がい者になる前の私も当然ながら、英語が全くできない、数学がまるでわからない、体育の授業におけるスポーツがうまくできない、機械いじりや工作が不得手、根気がない、努力が続かない、記憶力が乏しい、リーダーシップがない、楽譜が読めない、同時に二つ以上のことができない、恋愛したいのに全くもてない、等々、たいへん多くの「苦手なもの」を持っていました。
 その上さらにプチ障がい者となり、肉体動作系でできないことがさらに増えたわけですからもう大変です。英語や数学やスポーツなどは、できなくてもそれほど困りませんからいいのですが(そんな態度だからいつまでもできないままのでは😜)、肉体動作系の不具合は日常生活に直結します。料理や掃除、電球の交換なども自力では困難が多く、雪かきなどの力仕事はハナからアウト。多少の距離を歩いたり坂道の上り下りなどしようものなら足首が激痛に見舞われ、多少手を使う作業をすると手首や肘・肩に我慢できないレベルの鈍痛が生じる、という状態です。力仕事でなくても、ジャムなどの瓶の蓋はもちろん開けられず、洗剤の詰め替え用の袋の口を手で切ることなどもうまくいかず、ペットボトルの蓋が開けられない、足首が固まっていてかがむ姿勢をとれない、尻を床面についたり転んだりすると自力では立ち上がれない、したがって正座や胡座はそもそもできず、宴会会場が座敷だったりすると参加できない、等々、日常生活のクオリティは格段に低下しました。まあ、私なぞはプチ障がい者ですから、もっと重篤な障がいのある方々などと比較すれば大したことはないわけですが、それでも、いわゆる「健常者」だったころには思いもよらない、大きな困難・微妙な困難に悩まされることとなったわけです。

 では、プチ障がい者になって失うことばかりだったのか、といえば、必ずしもそうではない、と今は思っています。
 前回にも書いたとおり、「健常者」だったころの私は度しがたい差別者だったわけですが、自らが障がいを負うことにより、障がい者の皆さんが感じているさまざまな困難を、実感を伴って理解できるようになりました。家の中はもちろん街の中の多くの段差は車椅子の方や足の不自由な方がさぞかし困るだろうとか(私も困ります)、美味しくて接客もよいと評判の居酒屋にテーブル席がなくて入れないとか(それはオレ個人の問題か😅)、スポーツは観戦しかできなくて残念だとか、上記のようなさまざまな不便さも合わせ、多くの障がい者は日常で困難を不断に感じていたんだなあ、と実感しました。プチ障がいにならなければ気づけなかった、というのも全くダメダメですが、少なくとも私は、プチ障がいを負うことによってようやく、「度しがたい差別者」から脱却することができたように思うのです。(つづく)

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