NATOの共通価値とウクライナーロシア問題
NATOが加盟国でないウクライナを支援するための論理こそ、諸国に脅威を与えてないか?
北大西洋条約機構(NATO)のサミットが開催(2022年6月28-30日)されていたらしい。その結果の概要が以下のウェブページである。
開催趣旨は「Discussed the most pressing security concerns of today and tomorrow, and endorsed NATO's new Strategic Concept(今日及び将来の最も差し迫った安全保障上の懸念について議論すること。併せて、NATOの新たな戦略概念を承認すること。)」である。
決定事項を眺めると「今日及び将来の最も差し迫った安全保障上の懸念」とはNATOの加盟国に関わる諸般の懸念であり、これにはテロや気候変動も含まれているが、やはりウクライナーロシアの関係には大きな関心が払われている。「Support to Ukraine and other partners at risk」という一項目が立っており、ウクライナへの包括的な支援や近代武器の長期的な供与といったことが決定されている。
しかし、これは変である。NATOがウクライナを支援するためには論理的な飛躍がある。
① 条約は締結国内で機能する。しかし、② ウクライナはNATOに加盟していない。よって、①及び②からはNATOがウクライナを支援することは帰結しない。
また、加盟国でもないのに支援を受けられるとしたら、相応の負担をしている加盟各国に対して不公平である。さらに、どの国でも安全保障上の対象となるのであれば、NATOという条約機構自体が不要である。
この飛躍を埋めるためには、「現に攻撃は受けていないが、NATO加盟国にとってロシアは脅威である」という理屈が必要である。これにはNATOも自覚的だったのだろう。今回の開催趣旨のもう一つ「NATOの新たな戦略概念の承認」で承認された「2022 NATO Strategic Concept(以下「2022戦略概念」という。)」に、わざわざ1パラグラフ割いて以下を記載している。
つまり「なんかロシアが同盟国を攻撃してこないとも言えなさそうだし、そもそも世の中がフワフワ(不和不和)しているから、NATOという枠組みを超えるような範囲で戦略の境界線を引かないといけないんだよね。」と言っている。
視点を変えて、これをNATO加盟国ではない諸国の目から見てみる。戦略的競合者はNATOである。そのNATOは加盟国の範囲を超えて地球規模で戦略の境界を定めると言っている。「いや、あんたこそ脅威でしょ。」とツッコミを入れたくなるだろう。
NATOと欧米圏での「普遍的」な価値
しかし、当のNATOは自分たちが脅威であるはずはなく、むしろ正義だと信じて疑っていないと思われる。それは、彼らが奉じるところの共通価値が示唆している。2022戦略概念には以下の記載がある。
このように、NATOの共通価値は「個人の自由、人権、民主主義、法による支配」である。これらは、欧米圏では代表的な「普遍的」な価値である。
したがって、「普遍的」な価値によって基礎づけられたNATOの活動は正当以外の何物でもない。そして、「普遍的」な価値であるがゆえに、地球規模でその価値が奉じられてあるべきという当為を、自然な帰結として導き出すことだろう。
だが、それが大きな勘違いである。「個人の自由、人権、民主主義、法による支配」の4セットは、欧米圏の伝統的価値である。
かつて、ヨーロッパはヨーロッパ内に広がった宗教の普遍性を信じて疑わず、世界中に布教活動の手を広げた。それが諸国にとって脅威であったことは、江戸時代に鎖国政策をとった日本を見ても思い当たる節があるだろう。
現代は、宗教が普遍性を持つ時代ではない。その代わり、欧米圏の伝統的価値が「普遍性」をまとって統治の枠組みが形成されており、その「普遍性」に適合的ではない諸国に対して、脅威を与える構図に置き換わった。
欧米圏の政治的指導者(それに追従する者を含む。)は、ウクライナーロシア問題に触れる時「自由主義と民主主義のため、権威主義と戦う」と熱弁する。これは、先のNATOの共通価値とも整合しているが、欧米圏の伝統的価値に立ち返って、国際社会の紐帯とウクライナへの支援を基礎づけようとしている。
しかし、私はこの熱弁を聞いていつも首を傾げている。自由主義と民主主義という価値を振りかざせば、この問題は解決するのか?それは違うだろう。ロシアは価値の戦いをしておらず、安全保障の戦いをしているだけだと思われるからである。つまり、戦いの名目の位相がズレている。
また、欧米圏の政治的指導者は「力による現状変更を許さない」とロシアを非難する。しかしロシアは、ウクライナのNATO加盟という「力によらない現状変更(=ここでは法による支配としての現状変更)」に脅威を感じていたのではなかったか。手段が「力によるもの/よらないもの」のいずれであったとしても、安全保障上の環境に変更が生じるのは同じ位相のことである。
このように、NATOの共通価値は、目下のウクライナーロシア問題の解決に寄与しないばかりか、それを強調すると不用意に周囲に脅威を与える構図を生むと思われる。しかし、欧米圏では代表的な「普遍的」な価値であるので、これに反するものは一方的に非難されることになる。
ウクライナーロシア問題はどこまで続くのか?
上記の分析を通じて、まず最悪のシナリオを考える。月並みだが、以下の1から4のプロセスが考えられる。
1 ウクライナは全土を取り親したい。ロシアは親ロシア地域(ドネツク州、ルガンスク州)を取りたい。ここには妥協の余地がないので、主張の本性としては無限の運動を喚起する。いずれかの戦略目標が達成されるか、どちらかの戦力又は戦意が尽きない限り、戦いは終わらない。
2 NATOは「個人の自由、人権、民主主義、法による支配」という欧米圏の伝統的価値に基づいて、ウクライナに軍事支援をする。同時にこの伝統的価値に「普遍性」をまとわせ戦略範囲を拡張し、当該価値に不適合な諸国に対して不用意に脅威を与える。普遍性によって基礎づけられた運動は、これに反するものを滅するまで続くのが本性であるから、これもリソースが尽きるまで活動が止まらない。
3 NATOを脅威に感じる諸国は、NATOの「力によらない現状変更」の試みが差し迫った問題であると認識した場合、その試みを挫くために対抗措置としてロシアに軍事支援をする。かくして、ウクライナに支援をする陣営、ロシアに支援をする陣営が組織化される。
4 上記1及び2のとおり、基礎となる主張・概念が本性的には無限の運動を呼び起こすことから、どちらかの陣営の戦略目標が達成されるか、どちらかの戦力又は戦意が尽きない限り、戦いは終わらない。
こうなると世界大戦であり、避けるべきである。ウクライナーロシアだけではなく、至る所で主権と領域の再画定に関する紛争が生じる可能性がある。ここにおいて、これは純粋に比較の問題でしかないが、至る所でこのような紛争が起こるよりも、ウクライナーロシアでの問題に限局して解決できるのであれば、最悪なパターンよりかはマシであるという見方もできる。
ウクライナ(全土を取り返したい)とロシア(親ロシア地域を取りたい)の主張は背反するので、どちらか一方しか採用できない。紛争調停後の統治の観点で言えば、ロシアの主張を採用した方がマシである。ドネツク州、ルガンスク州には一定数の親ロシア派の住民が居るはずであり、紛争調停後もこれらの住民が火種になる/使われる可能性があるからである。
領域の再画定についてロシアの主張を採用する場合、バランスの観点から、主権の在り方についてはウクライナ側を尊重した方がよい。国際社会におけるウクライナの位置づけの整理と併せて、ロシアから今後脅威を受けない保証をウクライナは得る必要があるだろう。
免責
世の中がウクライナ支援一色になっている中、若干不謹慎な側面を含む記事だと思う。しかし、世の中が一色になっているときは、冷静になるべきである。それが歴史の教訓だと思うので、ご容赦願いたい。
(第二次世界大戦時の日本の在り方はしばしば我々の反省の種とされるが、いざ我々がそのような時局に及ぶと案外と社会に流されるはずである。最近、政府の要請に過ぎないものがあたかも「法規」のように受け止められ、その「法規」の実効性が民衆の自主制裁によって担保されるという日本社会を見た。「歴史!」と思った。)
私は、正直言ってウクライナもロシアも応援していないが、両国の料理は好きである。双方の言い分に無茶があると思っているが、争いは争いを生むので、早めに紛争が収束したらよいと思う。
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