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「銃後の女性たち〜戦争にのめり込んだ“普通の人々”〜」 (ドキュメンタリー NHKスペシャル)

「かっぽう着にたすき掛け。戦時中のドラマでたびたび登場する「国防婦人会」の女性たち。新たに発見された資料や取材から、戦争を支えた女性たちの意外な「思い」が明らかになった。女性の活躍の場が少なかった時代、国防婦人会への参加は「社会参加」の機会だった。「社会の役に立ちたい」と懸命に生きた女性たちがなぜ自身を抑圧するようになったのか。戦争に協力していった女性たちの、これまで語られてこなかった心の内に迫る。」引用:番組HPより

番組の冒頭に、かつての朝ドラ「カーネーション」で、婦人会の女性が主人公にミシンを供出しろと迫るシーンが出てくる。私の思う"国防婦人会"のイメージはまさにコレだった。

御国のためと信じて「皆が平等に協力すべきだ」と、お節介を超えた強制力で迫るオバハン達。今ならさしづめ"マスク警察"みたいなものか。とにかくメンドクサイ彼女たちの存在が如何にして誕生したのか? この番組を見て初めて知った。

結論から言うと、彼女たちが悪いのではない。素直で献身的な彼女達の純な性質を、卑怯なやり方で利用した軍部が悪いのだ。しかもそれは戦争が始まる前から、静かに巧妙に仕組まれていた。

「女三界に家なし」とされた当時の女性にとって、国防婦人会は息抜きの場でもあった。家事や子育て以外に打ち込める、国家公認の輝かしいステージでもあったのだ。姑や門限を気にせず、夫が兵隊に取られた寂しさをぶつけられる"唯一の逃げ場"だったからこそ、彼女たちは疑いもなく活動に邁進した。そう思うと「むべなるかな」とも思える。だから尚更、それを利用した軍部は罪深いのだ。

また、婦人会の中にもマウンティングは存在していた。息子を兵隊に出した母親と、そうではない母親=例えば娘しか持たない母親とでは、前者の方が幅を利かせていたという。戦時下という皆が命懸けの事態にあっても、人はお互いの境遇を比較して優劣をつけたがる愚かな生き物なのだ。これも疫病禍の現在と変わらない。

夫や息子を兵隊に取られた女は、銃後を守るしかなかった。虚しさを忘れる為に婦人会の活動に熱中したが、心の中は家族の生還を祈りつつ決して口にはできなかった。そのストレスは他者を貶める事で辛うじて保たれていたのだろう。これだけで戦争は十分に罪深い。

90歳を超えた女性が熱心に新聞を読む現在のシーンで、番組は幕を閉じる。「私は私なりの考えをちゃんと心に持ってたいのよ。世の中ってね、ちゃんと見とかなあかんな思うて」

訳もわからず流されるまま戦争に突入した時代と自分を反省し、二度とそうなってはならないと女性は語る。その通りだと私も思う。

先日も訳のわからないまま五輪が行われ、閉幕したばかりである。策も曖昧なまま、誰がこの国の舵を執っているのだろう?

異議を申し立てたり、それを取り上げるような動きも無駄なのかと思うが、せめて自分の意見はしっかりと持っていたいと改めて思った76年目の終戦の日であった。




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