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五十嵐早香のnoteは何故、面白いのか?第5回「手紙と孤独と質量」

はじめに


 2023年5月2日。
 5か月ぶりに五十嵐早香さんのnoteが更新されました。
 やったね!
 まだ未読の方は、是非是非、こちらの投稿を読んでからこの記事を読んでいただけると更に楽しめるかと思います。


 【ここからは、ネタバレ全開で書きます】

手紙を使った小説について

 今回は、物語が手紙の中の文章で進むいわゆる「書簡体小説」の形式ですね。古くは18世紀にゲーテが書いた「若きウェルテルの悩み」などが有名です。実はこの100年前ぐらいからサロンでは、手紙の公開朗読が流行っていたようです。誰かに公開されることを意識した手紙の文体が生まれ、そして、「若きウェルテルの悩み」が生まれ、ルソーの「ジュリもしくは新エロイーズ」などのような優れた作品が生まれて行きます。
 書簡体小説の特徴としては、自分の心の内を記述していくことに優れて行る点です。物語や論文と比べて、心情を中心に書いても違和感がないです。物語や論文の場合だと、どうしても5W1Hが気になったり、何故、そんな思考に至ったのか、という説明が無いと読んでいて違和感があります。しかし、手紙の形式で書いていくとより内面の言葉に近く、多少の情報不足も読者が補って読むことが出来ます( 勿論、文学作品の中にもある情報を削ることで成立する作品もあることは否定しません。あくまで大まかな話です )。また、手紙の言葉の中に様々な主題が、筆者の意図かそれとも偶然か生まれることもあります。「若きウェルテルの悩み」の中には、当時の社会に対する批判も見え隠れしていると僕は思います。

 同じく、自分の内面を書きやすい文章としては、日記もありますね。日々の出来事を書いて残しておく。日記の場合、基本的に読む相手は自分だけです。もしかして、めちゃくちゃ有名人だと死後公開される可能性があるかも知れませんが、基本的には自分ぐらいだと思います。それに対して、手紙には読む相手がいます。そう、書簡体小説は誰かに向けた言葉で構成されるわけです。

 まとめると、こんな感じです。

・書簡体小説は誰かに向けた言葉で構成されている。
・情報が内面の告白中心でも成立するので、情報が限られている。
・時として、テーマのようなものが浮かび上がることもある。

 

今回の早香先生の作品「あとはあなたが来れば、また家族になれる」は?


 それでは、今回の早香先生の作品は、どうだったんでしょう?
 この物語は、10通の手紙で構成されています。
 手紙の順番に内容を追ってみましょう。

1通目の手紙 春?

 直人という人から手紙です。
 始まりは、着る物の話題からで、朝や季節は春になったばかりの頃かなと僕は読みました。手紙の話題はこの寒暖差のこと以外には、仕事の話です。彼は最近新しい部署に入ったそうです。そう考えると4月頃と考えた方が良いでしょうか?
 彼は友達を作ることが苦手であると心配されていたことを述べていますが、大丈夫だと伝えました。
 そして、彼の年齢が「おじさん」と呼ばれる年齢であることも書かれています。
 「おじさん」の定義は人それぞれですが、30代後半から40代前半ぐらいでしょうか?
 

2通目の手紙 春雨 or 梅雨?

 2通目の手紙では、少し寒くて雨の日が続くことが語られています。
 これは、春雨ともとれるし、梅雨ともとれるんですが、皆さんはどちらだと思いましたか?
 この2通目の手紙では、全体的に母へ「成長」を伝えることが書かれています。
 仕事では部下にも上司にも頼られるようになったこと、生配信が人気であること、そして、彼女が出来たこと。
 仕事もプライベートも充実していますね。

3通目の手紙 死とカレー

 3通目の手紙はいきなり不穏な内容から始まります。
 上司の西田さんの死です。
 しかも、死因は一切書かれていません。
 ううむ、少し不穏な気配がします。
 悪いニュースの後には良いニュースをということで、彼女がカレーを作ってくれたことを語ります。「ひき肉」という言葉に凄くホラーなことを想像したんですが、杞憂に終わって良かったです。
 ただ、ここで注目したいのが、フォローのように彼女のカレーだけでなく母のカレーも好きだということを書いていることです。読み手のことを意識した記述だと僕は思いました。
 母のカレーの味を今も覚えているなんて良い息子ではないか、と初読の時に僕は思っていました。

4通目の手紙 一人の時の方が

 4通目の手紙は疲れがたまってきたことから始まります。
 「今がいちばんしんどい時期」とあることから仕事のピーク時なんでしょうか? 
 配信をする暇もなく、「みんな」が心配していないかを心配しています。
 この手紙では、自分は「一人」の時の方が集中できるし頑張れることが書かれ、わざわざ段落まで空けて「そうだったでしょ?」と母に確認しています。
 何故、わざわざこんなことをしたのかは、この時点ではまだ明らかになりません。
 でも、2通目の手紙を思い出すと、彼女がそばに居てくれるはずですよね。職場では一人ということでしょうか?
 自分に言い聞かせているんでしょうか?
 違和感が生まれ始めます。

5通目の手紙 誤字という違和感

 5通目の手紙では、職場の人数が減ったことが語られます。
 しかし、今が「頑張り時」なので、乗り越えること。
 そして、終わったら部下をご飯に誘ってあげようかな、と思っていること。一つ前の手紙でも「頑張り時」を乗り越えたらマッサージに行きたいということが書かれていました。
 最後は母の現在について想像しますが、誤字がちらほらと目立ち始めます。
 初読の時は、誤字よりも母と会って居なかったり、返事の手紙が来ていないのかな?ということを考えていたのですが、実はこの時から仕掛けは始まっていんだんですね。

6通目の手紙 崩れて行く生活と強くしてくれた母


 6通目の手紙では、身体の調子が良くないことから手紙が始まります。栄養のバランスが崩れているのかも知れないと。3通目の手紙で「栄養バランスより美味しさ重視」のカレーを作ってくれる彼女のことが書かれていましたが、その彼女は何もしてくれないのでしょうか?
 そして、仕事の効率も悪くなります。
 ブラック企業に勤めたことのある方なら、共感できるかも知れませんが、仕事が多くてミスをして、そのミスで仕事がまた一つ増えて、仕事が多くてミスをしてという負の無限連鎖が生まれることってありますよね。
 この手紙の後半は母へのメッセージで終わります。
 自分は打たれ強いこと。
 母が自分を強くしてくれたこと。
 母が自分を強くしてくれた、とはどういうことでしょう?
 ここまでの手紙の結びの言葉で、直人の心の芯に当たる存在が、彼女や会社の人という身近な人ではなく遠くにいる母であることが徐々に浮かび上がってきます。

7通目の手紙 かあさんへ


 7通目の手紙では、あれほど規則正しかった「母さんへ」という書き出しが崩れます。
 手紙はとても短く、「踏ん張り時」がまだ続いていること、自分の選択が正しいのか母に何度も問いかけています。
 まるで、答えを求めるように。

8通目の手紙 嘘も壊れて行く


 8通目の手紙は、嘘をついたことの謝罪から始まります。
 もう完全に仕事はキャパシティをオーバーしていますし、新しい人も入ってきません。この手紙で怖いのは、死んだのは上司の西田さんだけでなく、他にもどうやら居たらしいということです。
 めちゃくちゃ、ブラックじゃないですか。
 現状に対する救済、孤独、自己の肯定を求める気持ち、様々な願いが手紙の文章からこぼれてきます。
 そして、彼女がいるから孤独死しないと書きながらも、やはり、手紙のふしぶしには、母へ寂しさを語る部分があります。
 それでも、まだ母からの返事はきません。

9通目の手紙 手紙の中に遺った人生

 
 9通目の手紙では、母からの返事の手紙が来たことから始まります。
 返事の喜びから始まるのですが、既に直人の身体の悪化は取り返しのつかないところまで来ていることが直後の寒さを訴えることから伝わってきます。
 そして、これまでの手紙で書かれていたことの真実が9通目で明らかになっていきます。
 まず、手紙は20年以上書き続けられていたこと。
 実は配信は、人気配信ではなく一人しか来ていなかったこと。
 彼女が現実的にいるわけではないこと( しかし、幻覚は見えるということ )。
 最後の晩餐として、彼の好物の「ひき肉のレトルトカレー」を食べたこと。手作りではなくレトルトカレーが彼の好物だったことから、彼の孤独な人生が伝わってきます。
 そして、手紙の中で2度出てくる「やっと僕は一人じゃない」という表現からは、これまでの彼の人生の孤独が伝わってきます。その孤独は直後の「元気かな、母さん。またきっと知らない男と今も元気にしてるんだろう」という表現からも彼がきっと孤独な人生を送ってきたことが分かります。
 
 最後は母に罪はないことを語り、最後まで自分は大丈夫だと語って手紙は終わります。
 この9通目は、内容の衝撃さに目がいってしまいますが、8通目の手紙までと違って一切の誤字がなくなっています。それは身体的な疲れの感覚が無いぐらいになっていたのか、それとももう既にこちら側ではなく彼岸の世界に片足を突っ込んでいたからなのか。それはここまでからは分かりません。
 しかし、直人の孤独な人生と母の存在への希求の答えがはっきりと見えてきたのではないかと思います。
 手紙を書き始めたのはいつからなのかは、母と別れた時からでしょうか。
 だとしたら、彼の孤独な人生は、いったい何だったんだろうと悲しい気持ちになってきます。
 


10通目 母からの手紙 彼岸からの手紙

 10通目の手紙は、直人からではなく母からの手紙になります。
 文章ではなく手紙の写真というnoteならではの手法が素晴らしいですね。
 8月4日、夏の日に直人はアパートで孤独死していたことが語られています。
 死因は熱中症。
 大量の手紙が部屋の引き出しが出てきたこと。
 日記のような内容だったことも書かれています。 
 と、いうことは、直人は手紙を送っていなかったんですね。
 この手紙は奇妙な3行で終わりを迎えます。

「直人は私に会いたがっていた。
 そしてようやく一緒になれた。
 あなたを待っているわ」

 「一緒になれた」、「待っているわ」ということは、既に母も死んでいるということでしょうか。写真で母である千恵子の手紙を表すことで、死んだはずの人間の手紙が質量を持っている気味の悪さがあります。
 皆さんはどんな読後感を抱いたでしょう。

タイトル

 さて、ここでもう一度タイトルを見てみませんか?

「あとはあなたが来れば、また家族になれる」
 
 これはもしかすると、母の千恵子から届いた幻想の手紙の返事ではないか、と僕は読みました。
 おそらく8通目の手紙と9通目の手紙の間に直人に届いたものではないでしょうか?
 この言葉は直人にとっては救いだったのかも知れませんが、死がそこまで迫った人間が見た幻想だと考えたらとても悲しい気持ちになります。

手紙の形式を使った素晴らしい作品

 
 最後まで内容を追っていきましたが、手紙という形式を使うことで隠れるものと徐々に表れるものの使い方が本当に素晴らしかったと思います。ホラー小説と手紙って相性が良さそうですね。
 そして、「怖さ」とか「君の悪さ」だけではなく、この作品には「悲しさ」があります。
 直人の手紙を読み返してみると、「一緒にいてくれる」、「一人の時の方が集中してくれる」、「母さんが僕を強くしてくれた」、「レトルトのカレー」、「寂しいよ、認めて欲しい」、ここには、自分ではなく「知らない男」を選んだ母をそれでも求めるしかない孤独と悲しさを感じます。
 彼の周りには誰もいなくて、ただただ歯車の一つとして壊れるまで使われるしかない。そんな悲しい人生が描かれています。いや、手紙で描かれるのは最初に書いた通り、本当に断片的です。彼が一通目の手紙を書き始めるまでの人生を想像すると本当に悲しくなります。そして、何故スマホがあって、ブログやnoteもある時代に手紙という紙を使うものに文章を書いたんでしょう。そこには、母に届かなくても誰かには読んで欲しいという孤独な彼の心があったのではないかと僕は想像してしまいました。

 直人を中心に見て来ましたが、視点を変えて、母の千恵子はどんな気持ちで返事を送ったんでしょう?
 いや、直人が見た幻覚だとしたら、10通目の手紙でも良いです。
 勝手な女だとは思うんですが、辛かった息子が現世から解放される救いの言葉だったのでしょうか?
 親子というのは時に鬱陶しく思うこともありますが、子供には生まれた瞬間に、子供を産んだ母という存在がいます( 死産という特例もあるとは思いますが )。最初に手紙というものは読む相手がいるということを書きました。
 母という読むであろう対象がいるから、直人は社会的には孤独でも、精神的には孤独に死んでいかずに済んだのかもしれません。
 
 この小説は書簡形式なので、すべてのことが明らかになるわけではありません。
 でも、すべての答えが全部明らかにされずに、開いたまま終わっていくのが本当に良かったと思います。
 これは「ホラー小説」というジャンルの強みかも知れません。
 5ヶ月ぶりに読んだすばらしい早香先生の小説でした。

そして、note文学賞へ


 2023年5月2日のSHOWROOM配信でnote文学賞へのエントリーを宣言しました。
 

 ちなみに、各部門ごとに1記事の文字数の上限や投稿の規定が違うので、詳しくはこちらをご確認ください。

 早香先生の文章のファンとしては、めちゃくちゃ嬉しい宣言でしたし、これから色んな作品を読めると思うと本当に楽しみです。是非是非、色々な作品を作りながら、納得の1作が生まれることを一ファンとして願っております。

 さて、5月2日の配信でnote大賞のことをすらすら答えるやついたなあ、と思いませんでしたか。そう、あれは僕です。で、なぜすらすら答えられたか。
 僕も出るからです。
 多分、早香先生とエントリーする部門は違うと思うんですが、推しと同じ賞にエントリーするというのは不思議な感じですね。
 まずは、締め切りの7月17日までに僕も早香先生に負けないように素晴らしいものを生み出せるように頑張りたいと思います。

 note主催の賞は過去2回ほど賞をいただいておりますが、本当に「スキ」の数じゃなくて編集者の方のシビアな視点で決まります。そして、今回の賞は第1回と同じくnoteの賞の中では最大規模の賞だと思っています。
 これで賞を取ったら、早香先生の大きな実績になりますし、賞を取れなくても審査員の方たちの目に止まれば、次のチャンスに繋がるかも知れません。
 まだまだ「五十嵐早香」のアウトプットの選択肢を広げていってほしいなと思います。いやあ、次の作品やエッセイも楽しみです。

※過去の早香先生に関する記事はこちら!

※ちょっとだけ宣伝。4月末に本名で電子書籍を出しました。


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