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むき出しの古畑奈和文学「幻影」

はじめに



 皆さんは、眠れない夜を過ごしたことはあるでしょうか?
 答えが見つからずに夜明け前の静かな街を彷徨った経験はないでしょうか?
 実は僕はあります。
 これから人生どうすればいいんだと、始発電車が動き出すまで線路沿いの道を歩いて考えてしまったこともあります。
 頭ではやらなきゃと分かっているけれど、それがすぐに出来るわけではない。その時間を切り取ったのが古畑奈和さんが作詞を担当した「幻影」です。
 まずは聴いてみてください。

歌詞の世界


 表題曲の「Dying liar」が物語性を感じさせるものに対して、こちらの「幻影」はむき出しの感情を感じさせられるものになっています。
 それでは、歌詞の世界を見ていきましょう。

 1番は太陽が曲の主人公の視界を「霞む」、「歪む」というどこか強い光で照らすような朝のシーンから始まります。前髪でその影響をさえぎろうとしますが、太陽の光はそれを許しません。
 主人公が見ないようにしているのは、太陽の光だけでしょうか?
 実は未来も怯えてみないようにしているのでは、とふと連想しました。
 
 1番のサビ前では剥がれ落ちた左手のネイルが出てきますが、曲の主人公の「僕」の欠けている状態を連想させられます。その後の歌詞で、直したら愛してくれますか?と問いかけていることから、「僕」は少し欠けているというか、完璧ではない存在なのかも知れません。

 1番のサビでは、心の中で続いている感情の状態が提示されていきます。
 行動せずに待っているだけではダメだけれど、誰かを信じることも出来ない。結構、辛い状態なんですが、そんな時があっても良いよな?とこちらに聞いているようにも自分に言い聞かせているようにも感じます。

 2番は夜の匂いが交じって、溶けるところから始まります。
 過去のことを思いますが、それはどこか揺れています。
 1番では日差しが「僕」に刺さってきましたが、2番では寒さが「僕」に刺さってきます。
 ただ、夜の方が相性がいいのか、月のわずかな輝きに笑顔になれたら、今夜はいいよね、と少しだけ前向きな表現を感じます。

 2番のサビ前では深夜4時だということが明かされ、もうすぐ朝がやってくることが明かされます。「踏切のねこ」というシチュエーションも凄く良くて、確かにどこかに連れて行ってくれそうです。ただ、自分では決められずよそ様任せで決めてしまう自分を誰か愛してよ、と呟きますが、この深夜の空間でいったい誰に、と感じます。この後の「ばか」は、自分が自分に向けた言葉のように僕は感じました。

 2番のサビでは、心の中のネガティブな感情が1番と同じように提示されていきますが、それを止めなければということに、気付いていることが示されます。
 何者にもなれなかったという嘆きは、年を取れば取るほど、出てくるのではないか、と思います。大それた目標でもなくささやかな明日の幸せを願う僕がいても良いのでは、と問いかけて2番のサビは終わります。

 大サビは1番のサビが再び来ますが、2番の歌詞を読んだ上で読むと、待っているだけではダメというところがまた違って響きます。ああ、この人は少し前から感じていたんだな、と。
 最後に「いつか誰かのための”幸せ”になりたい」と願ってこの曲は終わります。

 自分の為の幸せではなく。誰かのため。そして「幸せ」という言葉を強調したことから、これはとても特別なことで、僕はどこか「推す」という行為や推されるアイドルやアーティストの方を連想しました。

総論


 さて、曲全体の感想ですが、とにかく描かれている世界が素晴らしいです。この曲を含めて三曲を彼女は作詞していますが、僕は一番この曲が好きです。また、1番と2番の冒頭では動詞が、サビでは名詞が出てきますが、言葉のリズムの心地よさが素晴らしいと思いました。
 そして、人間としての古畑奈和を感じるといいますか、この人にもこんな感情の時があるんだ、という安心感と、その時の不安さをよくぞここまでの言葉でスケッチして残してらっしゃったな、というぐらいリアルです。
 たとえば、転職活動中とかで自分の将来が決まらず、何者でも無い時の不安を思い出しました。なんなら今年僕は、プロの書き手として本名で書籍デビューの予定ですが( また詳しいことが決まったらお知らせします )、果たしてこの道がうまくいくだろうか、なんなら来月から仕事とかどうなってるんだろう、というぼんやりとした期待と不安が渦巻いていましてね。
 それでも悩んでいても仕方ないから、ひたすら手を動かしていくしかない、と腹を括って今日も書いているんですが、この曲はそんなぼんやりとした不安に寄り添ってくれる一曲です。多分、この曲は多くの人を救う曲に育っていくんじゃないかな、と僕は思っています。
 今は自分の明日の幸せだけど、いつか誰かの幸せにという終わり方も凄く良くてですね。すぐに誰かの幸せにはなれないけれど、いつかはという希望が凄く等身大な感じがして良いです。
 古畑奈和さんは、天才型だと感じる推しの方や彼女を知っている方の中にはいらっしゃるかも知れませんが、過去のアメブロなどを読んでいくと、努力型の人ではないか、と僕は思っています。そういう人だからこそ、知っている葛藤や迷う時間がこの歌詞のなかにはあると思いました。それを表現の題材として選べるところも素晴らしいですね。

おわりに


 古畑奈和という表現者は、本当に進化していっているなあ、とこの2枚目のデジタルシングルで感じました。この曲の音声だけのバージョンがNFTレコードでは収録されているのですが、そちらの息遣いもより切実感が伝わってきて僕は好きです。あっ、NFTレコードさんは是非、3枚目もお願いしたいです。あと、そろそろNFTと連携したDAOを作っても良い頃ではないかと思っております。
 こうなってくると、歌詞だけじゃなくて、古畑奈和ちゃんのエッセイや小説も読んでみたいと思うのは、僕だけでしょうか?
 今年も様々なメディアで彼女の表現が観られるのが楽しみです。
 
※前回の記事はこちら!

  

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