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SKE48 10期生五十嵐早香のブログは何故、面白いのか?

 

はじめに


 この記事は、2020年2月27日から2022年2月28日までの2年間にSKE48の公式サイトで書かれた、10期生だった五十嵐早香のブログの感想です。
 彼女の優れた文才に魅せられた僕は、毎回のようにブログの感想を自分のサイトにアップしました。 
 総字数約六万字。
 2年間の日々を綴った原稿用紙150枚。
 その間に様々なことがありました。
 彼女の休養と復帰と卒業。
 エッセイ、創作、試作、つぶやき、別れ。
 僕自身でいえば、感想を書き始めの頃は、編集者の人が誰か見つけてくれないかなあ、ということを書いていました。
 ところが、最後には「自分で雑誌を作る」という決意をしています。
 まさに、2022年5月の僕は雑誌を作るために、毎日もがいています。
 こんなことを書いてどうするんだ、と思う方も居るかもしれません。
 誰のために、と思われる方もいるかも知れません。
 でも、誰もやらないから、じっくりとやってみようと思いました。
 多分、多くの人は、そこまでじっくりと考えるのは、もう好きでなくなり始めていることも肌感で分かります。
 それでも、まだ物を考えて表現を味わうのが好きな方のために、そして、将来、五十嵐早香を物書きとして楽しみたいという人が10年後、100年後に出てきた時のために、ここに残したいと思います。
 僕はこの記事を編集しながら涙ぐんだ回が3つあります。
 それはいつかは書きません。
 でも、これを読むことで、あなたも懐かしい誰かのことを思い出したり、この後の才能の可能性を感じたりしていただければ、嬉しいです。
 では、少し照れくさいですが、2年前の僕が語り始めます。

 

 第1回から第3回まで

 
 
 アイドルとSNSの関係は、ここで語らずとも多くの人が語ってらっしゃるので割愛しますが、アイドルの情報を享受していく上で、非常に重要なものになっていますし、10年代ではこれを有効に使って成り上がっていったメンバーが沢山いました。

 しかし、現在、48グループではSNSが増え続け、すべてのメンバーのすべてのSNSをチェックすることは難しくなっています。

 すると、自然に毎日チェックするメンバー、タイムライン上に流れてくるとチェックするメンバー、チェックしないメンバーの3段階に分かれます。

 たとえば、だーすーこと須田亜香里のブログやツイートはよく拡散されてきますし、みなるんこと大場美奈のここ1ヶ月ほどの質問力や企画力の高さは流石としか言いようがありません。また、初選抜のよこにゃんやはたごんのアメブロやツイートなんかも好きです。

 そんな中ですね。

 今、僕が注目しているメンバーがいます。

 それが10期生の五十嵐早香です(2020年3月当時)。

 2020年3月21日現在では、公式ブログがまだ3つしか上がってないので、是非、未読の方は、一度チェックしてみてください。と、先月書いてたんですが、もう4月あっという間に8つですね。

 さて、彼女のブログの魅力を考えてみましょう。今回は、シンプルに箇条書きで書いていきますよ。

① 長文を書く体力
 まず、飽きさせずに読者を読ませるための構成がしっかりしていますよね。そして、彼女の視点から見た世界を書いて行く体力が本当に凄い。
 ただ長いんじゃなくて、きちんと意味がある長さなんですよね。だらだら長いんじゃなくて、意味のある長さ。それを書ききれる筆力が素晴らしい。細かい話をすると、ちょいちょい情景描写も純文学風で、夜道を走る二人なんかは、凄く良い場面だと思います。もっというと、開けたまま話を閉じていく感じも好きです(第2回の英訳をさせるというのも、ある意味、開けた終わり方ですよね)。

② 組み合わせの面白さ。
 優れた文章は組み合わせの妙味があると思います。
 第1回のブログは「知らない町」と「ラーメン」。
 第2回のブログは「自己紹介」と「多言語」。
 第3回のブログは「お泊り」と「観察」と、挙げて行けばきりがありません。
 一つ一つの事象に別の事象を組み合わせることで、普通のブログとは違った味わいを生み出しています。
 これを自然に出来ているとしたら、素晴らしい才能の持ち主だと思います。
 極端に言うと、「ラーメン美味かった」とか、「メロンパンが好き」とか、たったそれだけのことをここまで書けるための工夫をしっかりできているところが本当に素晴らしい。次はどんな組み合わせでくるのかも、読みどころの一つかも知れません。
 そして、徐々にフィクションが増えてきたのも読みどころの一つですね。

③ 独自の文体 
 フィリピンで育ったというバックボーンがあり、世界でも有数の難易度のフィリピン語(たしか、動詞が先に来て、主語が来て目的語が来るはず)や英語、そして、日本語による独特の文体が良くてですね。
 アメリカ文学風の倒置法を使いこなせているのが、本当に羨ましい。名前を消してよんだとしても、これは五十嵐早香の文章だな、と分かる文体を既に彼女は手に入れています。SKE48には、こういった自分の文体を持った人が時々でてきます。松井玲奈、大矢真那、秦佐和子、須田亜香里。みんな、喋る言葉とは違った声で語りかけてくれる文体でした。
 また、比喩の使い方もうるさくなくて、見習いたいぐらいです。
 ブログと言えば、語りかけるような文体が多い中で第1回と第3回の文体は、アイドルのブログではとても新鮮でしたね。
 さらに、彼女はブログの中でのモノローグの使い方が凄く上手いとも思います。
 ④ ミメーシス
 素晴らしい文学の条件として、ミメーシス、つまり模倣や再現が生まれるかがあります。
 読むことによって、自分の中にその人の文章が浸透していく。
 彼女のブログを読んだ方の多くは、ラーメンが食べたくなったことがあるんじゃないでしょうか。
 かくいう僕も、彼女のブログを連続して読んだあと、ラーメン屋さんに寄って帰ったことがあります。
 このように、人に行動に影響を与えられる文章を書ける人って、今の日本でもそう多くはいませんよ。しかも、思考的なことでなくて、「日常」の方を自然にハックできるのは、素晴らしいと僕は思います。
何より、まだ研究生なので、「多すぎない」というのが僕は良いと思います。まだSNSのツールが限られている。ここからさらに増やすとすればモバメぐらいでしょうか。
 子供の頃を思い出してください。
 限られた枠の中で、色々と工夫して楽しんだでしょ?
 願わくば「幸福な無名時代」が続いて欲しいものですが、贅沢な願いですね。きっと彼女の才能は見つかるんじゃないでしょうか。

 
 余談ですが、アイマス好きの友人に10期生の集合写真を見せて、「好みは誰だクイズ」という人類史に於いてトップ5に入るぐらい下らないクイズを、夜明けの駅でした時。「この子、好きそう」と言われたのが、五十嵐さんでした。
 
 もしかすると、新しいルートでSKE48から成りあがって行く物語がみられるかもしれません。有能な編集者さん、彼女にいまのうちから注目してみるのはどうですか?

 それでは、第4回からは更に詳しく見ていきたいと思います。
 基本的に、各回のテーマを二つのキーワードで切り取っています。
 そして、毎回の感想に加えて、細かいディティールで気になったところも付け加えています。

 第4回 「血」と「(ネタバレになるので書けません。) 」

 第4回の構成の素晴らしさ。
 ネタバレでなるので書きませんが、本当に鋭い刃物は切られたことに気づかないんですよね。
 第4回の独白的な内容は、僕からしたら私小説風の文体を駆使したもので(自然派をよりテクニカルにした感じ)、本当にこの子の恐ろしさを感じます。1回読んだだけでは、境目が難しいんじゃないでしょうか。
 ついに心情を直接ゆさぶりに来ましたね。外じゃなくて内側を。行ったこと思ったことばかりを書くのがブログじゃない、と気づかされました。
 

第5回「台湾料理」と「視線」

 第5回の静かな観察者の交代も面白かったです。普段は、対象をこれでもかと観察する彼女が視線を感じる側になるというね。

第6回「お好み焼きの生地」と「内面」

 第6回は、一見普通のようですが、これまでの反響から来る自分のイメージと、思わぬところにあったお好み焼きの生地。どちらも一見すると不思議ですが、触ってみると柔らかい。でも、香りは残る。それにしても、家庭教師に物語を読んでもらうって、プチ書生生活を行っていたんですね。凄すぎる!

 第7回「TKG」と「日常に起こす変化」

 第7回は、コロナによる自粛生活が続く中、「TKG」こと「卵かけご飯」のトッピングについて。変化の少なくなった自粛生活に対して、TKGのとトッピングという気軽にできる変化を持って、毎日訪れる「食」の時間を変えていくという試みは素晴らしいですね。宇野常寛さんの「遅いインターネット」でいうところの第4象限の「自分と日常」を少しずつ変えていく試みは、今だからこそ見直すタイミングかもしれません。先日、僕も卵かけご飯が出るラーメン屋さんに行きました。

 第8回「日記」と「(ネタバレになるので書けません)」


 第8回は、日記の形式で、徐々に日常が自分の力で変わってしまうということが語られます。しかも、日記ということで、情報は書いている本人がコントロールできるんですよね。僕たちは、第4回で一度彼女の私小説的な手法にやられているので、身構えます。そして、この物語のオチも予想します。今回は、たいだいの人が合っていたんじゃないでしょうか。
 でも、斬新なのは、視点が重層化していることです。この話の中で私を見ている視点は徐々に増えていきます。ふいに日記の一つも「あや」が書いたんじゃないか、とかね。それから海岸で拾ったものって…。
 『WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE…』の著者であり、株式会社コルクの代表である編集者の佐渡島康平さんは、「古典をWITHコロナの時代に多くの人が読むようになった。また、過去に自分が読んだ作品を読み返している。アフターコロナでは、『知っているもの』や『安心できるもの』ではなく、強烈なもの。たとえばホラーとか悲惨なストーリーが受けるんじゃないか」と分析していましたが、彼女の持っている文章力も合わせて、まさに、これからの社会で受けそうな気がしますね。
 ちなみに、最初の桜の写真の日付は…。

 第9回「解説」と「違う一面」

 第9回は、第8回の内容の解説ですね。
 この解説を読むと、結構、自分が読み落としていることに気づきます。第9回の内容を頭に入れた上で、第8回を読み返すと、「私が死んだ後の」とちゃんと多重人格じゃないよ、と分かる記述もありますね。また、本人が暫くしてから解説するのは、映画のオーディオコメンタリーみたいで好きです。
 一つの視点からは、全容が見えないというのは、韓国映画の「哭声コクソン」を思い出しました。
 早く「次の物語」が読みたい!
 そして、過去の写真を見せることで、あくまで僕らの知っている情報は一面的なもので、見方や時間軸を変えることで、全く別の一面があることを感じさせます。

 第10回「呪いの人形」と「誤解」

 第10回は、前回の解説で語っていた「もう二つの視点」のうちの一つ、「呪いの人形」である「プパちゃん」の視点からの物語です。
 この物語で、第8回で出てきたいくつかの謎が解き明かされていきます。
 読みながら明らかになったことも多く、「悠馬くん」、「先生とその家族」を殺したのが誰か明らかになり、「風花ちゃん」を殺したのが誰か明らかになってきます(最後の『風花ちゃん』だけ、第8回の内容をみると少し怪しい?)。
 まさか、「ピンク色のハートの石」があんな使われ方をしていたとは。

 「呪いの人形」の話であるのに、怖さよりも悲しさの方が勝つのは、イギリスの作家ダン・ローズの短編のようです。
 ただ、この物語で「プパちゃん」が、「さや」に出会うのが、「さや」が6歳の時。この時点で「さや」は死んでいるので、正確には「あや」と出会ってるんですよね。つまり、「プパちゃん」がみていた「さや」は「あや」なんですよね。
 この誤解が少し悲しいですね。第8回の「さや」も自分が生きていると誤解していた。「楓ちゃん」も「プパちゃん」を「呪いの人形」と知らずに手を合わせていた。
 ひょっとすると、あと一つの視点の人も何か誤解しているんじゃないか、と予想しています。
 第8回からに第10回にかけては、彼女の解説を含めて、一つの物語を多重の声で語っていく試みをしています。この多重のレイヤーを入れていく試みは、最初のプロットを丁寧に作っていないと結構矛盾が生まれて来るんですが、果たして、次はどうなるか。

 第11回「ちょっと変わったもの」と「好奇心」

 第11回の題材は、喫茶マウンテンから始まり、「甘口パスタ」、「鯉のぼりのひらひらとおじいちゃんの魂」、「ムー」。ここらを全部まとめて、「ちょっとずれた夢と希望」と表現するところが良いですね。
 現実的な答えに「大人ってつまんねーなぁ」という視点は本当にその通りで、「ちょっとずれた夢と希望」を追い求め続ける彼女の「好奇心」ですよね。現実的に考えたら、「甘口パスタ」からの他のメニューは胃もたれしちゃいますよね。でも、きっと待っている何か面白いことを求めて、今日も孤独の早香先生は行くわけです。
 個人的には、「行きは良い良い帰りは怖い」という一文が彼女らしくて良いですね。
 第11回からの彼女の食への新たなる好奇心も、読んでいてわくわくします。

 第12回「違和感」と「成長」

 第12回は、久々の加藤結さんの観察日記。
 加藤さんの一言一言に対する静かなツッコミが面白いですね。たまたま、二人のSHOWROOM配信を観ていたんですが、確かに早香先生が料理しまくってましたね。
 さらに、直接描写はしないけれど、そこはかとなく感じる食器や箸を触った時に違和感。擬音語であえて表現することでこちらに想像させます。
 あとは、「エコパアリーナのあたりでやっと10期生の名前を覚えた」という衝撃の告白がありましたが、僕も人の名前を覚えるのに時間がかかるので、共感しました。一人っ子だった彼女が加藤さんの影響で変わっていくというか、家事上手に成長していくのも良いですね。加藤さんも料理を手伝うようになっていました。二人の成長を感じられる回でした。なんか、徐々に加藤さんのことも気になってきたという方もいるんじゃないでしょうか?
 第12回では、以前使った定点観測的な記録文的な感じになっていましたね。

 第13回「断食」と「非日常」

 第13回は、なんと自分自身を実験台にした断食日記。
 野菜ジュースと豆乳で過ごす5日間。
 毎回の終わりに彼女の脳裏に浮かぶことが面白くてですね。初日の募金をしたくなるところから徐々に食への欲求と食べる意味を考える彼女。
 徐々に肉体が衰え、集中力が増していく様子が描かれています。
 仏教でいう断食行に近いんでしょうか。この時に脳裏に浮かぶことが「悟り」として採用されやすいのですが、阿闍梨クラスになるとこれはまだ「迷い」のレベルなので、もっと長い期間修行をするまで流さなければいけないそうです。
 えっ、なんでそんなこと知ってんのかって?
 京極夏彦の「鉄鼠の檻」の影響で高校の頃、真言宗とか天台宗とかの研究にハマってたんですよ。京極堂も作中で常信との会話で話していますね(『鉄鼠の檻』は書き出しの『拙僧が殺めたのだ』よりも『聞いた話である』の書き出しの方が好きです)。
 「日常」から「食べる」ということを切り離して「断食」という「非日常」の5日間を生きる彼女。
 普段、食に関する内容が多いだけに今回は真逆のアプローチが新鮮でした。
 でも、ちょっと心配なので、無理はしないで欲しいですね。激しいSKE48のダンスとかをやっていくと、断食は必要なくなるんじゃないか、と思っています。
 自粛期間でみんなの「日常」が変わる中、彼女の「日常」の変え方のアプローチが凄いです。「既に何回かやったことがある」と書いてましたが、無理はしないでほしいですね。
 第13回では、いつもの「食べる」ということの逆を走る「断食」というアプローチ。今度は自分を観察した日記にするとは驚きです。

 第14回「妄想」と「異化」

 第14回は、14歳の時の思い出。
 ただ、かなりパンチのきいた思い出でしてね。
 まさか、そんなもん見るかね、という衝撃の内容でしたよ。ちゃんと「幻覚」と自覚しているところはホッとしました。ついつい見てしまったもののインパクトに持っていかれそうですが、ストレスフルな現実の延長にある彼岸の「妄想」は、怖い時もあれば、自分の日常を異化させて、子供の頃の自信を取り戻す手段である、と語っています。
 僕は「厨二病」という冷笑・嘲笑・お前の手口な言葉が、何人の詩人や文学者の卵を殺してきたんだろう、と思うことがあります。ただ、早香先生はそれをポジティブに受け取って、「現実」に「妄想」を混ぜることで、「現実」とは違う物差しで自分を測れるかもしれない、という提案が良いですね。
 第14回は、怪談的な語り口に注目してほしいんですが、まず、うさぎが2メートルぐらいの距離を窓から窓へ横切った違和感。その後に、実はここは3階だったという、もう1段上の驚き。ここを読んだ時、僕はうなりました。さらにこの後にとどめが待っています。是非、確認してみてください。

 第15回「安定」と「価値観の転倒」

 第15回は、久々の創作。
 自分は恵まれている、努力していると思っている30代の公務員が、通っているラーメン屋さんの店主の一言がきっかけで、自分の価値観が180度変わり、新しいスタートを切るという話ですね。
 これまで、心をざわつかせる内容が多かったですが、今回はとても爽やかな感じになりましたね。暑いけどラーメンを食べる場面は、主人公の心情とリンクしていましたし、人生の冒険に出る勇気が描かれていて、乃木坂46の「きっかけ」を僕は連想しました。また、作品の構造を確立してきたんじゃないかと思っています。
 第15回は、一人の男性が変わるまでのストーリーなんですが、彼女の成長が感じられましてね。それは何かというと、年齢も性別も違う人の声を描き切ったところですね。太宰治が「女生徒」を読んだ時、「全く違う声」をリアルに表現しきった彼の才能に驚嘆しましたが、彼女もまた「違う声」をこれから徐々に使っていくようになるかと思うと楽しみです。

 第16回「辛い物」と「選択肢」

 第16回は辛い物克服について。
 前回を振り返り、「自分と異なる人物」を描くことで、成長への可能性を感じた彼女。
 今回は、「辛いラーメン」が食べられるようになる為に、この1週間で努力していくという決意を書いたもの。
 その理由が、「人生損している気がしてならない」ということで、食から人生の選択肢について書いています。ううむ、「食べられない」と決めると、ずっと人生の選択肢から外れていきますからね。
 これを更に考えていくと、「食」だけじゃなくて、色々な選択肢を外しているのかもしれないな、と考えさせられました。よく考えると、早香先生も「ハッピーエンド」という新しい選択肢を前回増やしていますね。
 第16回は、「辛いラーメン」を入り口に選択肢を増やして、人生を豊かにしていくことについて書かれています。
 「辛い」は味覚ではなく「痛み」という表現は、当たり前を当たり前としない彼女らしくていいですね。

 第17回「妖怪」と「引き寄せてずらす」

 第17回は「妖怪」!
 初めて読んだ小説が京極夏彦の人間としては、たまらない題材です。
 民俗学者の小松和彦教授の言葉を借りるなら「共同体における問題の解決策」としての妖怪や、水木しげる先生の「見えんけど、そこにおるんですよ」的な妖怪も好きです。
 さて、今回早香先生が紹介している妖怪は、ほとんどが江戸時代に鳥山石燕や竹原春泉が創作したものですね(絵に描かれているものの情報が気になる人は多田克己先生の著書を読むと、絵解き的な楽しみ方もできますよ)。


 遠い時代のものたちを現代に引き寄せてどうなるかを楽しむ彼女の視線。最終的に現代にいる自分を妖怪側に立たせてみることで、どんな感じになるかを描いているのも面白いですね。
 ここ数回は、自分から離れたものを題材に書くことが多かったですが、まさかの妖怪とは。妖怪の見方を少しずらしてみるとこういう面白い見方もできるよ、という指摘が素敵でした。僕は特に豆腐小僧の現代版アップデートは思い浮かばなかったです。
 第17回は、「妖怪」のイラストに混じった自分の写真もありましたね。妖怪紹介の後に現代だとどうなるんだろう、という想像を広げ、最後はそのフォーマットに自分を落とし込む。図鑑やカタログ的な手法が面白いですね。
 

 第18回「もう一人の自分」と「解放」

 第18回は、長く続いた小説の最終回。
 最後は双子の姉である「さや」視点の物語。 
 序盤の「あや」と「母親」の「ピアノ」ではなく親子の歪んだコミュニケーションの方に主眼が置かれた関係の異常さ、そして、「あや」の死が描かれます。
 ここで、「自分に興味を持つ」ということに執着した「母親」を描くことで、「さや」が自分を捨て、なかなか自分を大事にできない下地が作られていますね。
 更に、異常な宗教団体、死んだのは「さや」ではなく自分であること(自分を偽ることで人格の死も暗喩している)。
 人形である「プパちゃん」との出会い。両親を放火で殺したこと、引き取られた先での連続殺人事件。
 犯人の楓ちゃんの最期。
 自殺を試みたが生き延びてしまった自分。
 数年後、妹の墓で「プパちゃん」との再会。
 6年間の空白の終わり。
 いやあ、面白かった。
 自分に重ね合わせた「プパちゃん」との再会が凄く良くてですね。間違いを犯し、傷ついた状態の「さや」ではなく「プパちゃん」という自分を重ね合わせた、もう一人の自分との再会が良くてですね。やっと「あや」は自分を大切にして、自分に興味を持つことが許されるんだなあ、と感じたら泣いてしまいましたよ。 これまで自分にまとわりついていた「家族」の呪縛からの解放感も凄く良かったですね。 この多重視点で早く書籍化してほしいです。 

 第19回「サウナ」と「宣伝」

 第19回は久々のエッセイ回。
 サウナの魅力をまず語っていくんですが、サウナ好きの人を「サウナー」というのは、「アトロク」における「ウルトラマンエース」好きの人を「エイサー」と呼ぶ感じで良いですね。ちなみに、僕は友人と「ロッキー」シリーズのポリーが好きな人(僕と友人を含む)のことを「ポーラー」と呼んでいます。言ったら、「なんだその呼び方だせえなあ!」と言われるので注意しましょう。
 SKE48になるまでに何度もフィリピンと日本を往復しながら、サウナに出会い、サウナの為にカプセルホテルに泊まるというサウナーぶり。今までサウナをあまり利用したことがなかったんですが、こういう楽しみ方もあるのか、という発見がありました。
 ただ、このサウナに出会うまでの背景にあるのが、審査の度にフィリピンと日本を往復するコストの高さですよね。低コストにおさえる為のカプセルホテルであると。
 本当に来てくれてありがとうと思いました。
 あと、この回は、要所要所に告知を入れる手法なんですが、「EX大衆」さんに登場する3人のメンバーの中で自分だけ「etc」と書く控えめさも素敵でした。
  宣伝とSKE48に辿り着くまでに出会ったサウナの魅力。構成をまた工夫してきたなあ、と思うんですが、海外在住の子がSKE48になる大変さをさりげなく書いているところが良かったですね。映画「天気の子」でさりげなく格差社会の広がりを描いていたことを思い出しました。
 サウナについて書いていましたが、次にスーパー銭湯や温泉に行ったら、サウナを試したくなるような文章も良かったですね。

第20回「同好会」と「かくれんぼ」

 都市伝説や心霊・オカルトを語る会で名前は「ハイアンドシーカーズ」。「かくれんぼ」が名前の由来だそうですが、なかなかカッコ良さそうな名前で良いのではないでしょうか?
 これまで自分の趣味を一人で楽しんできた彼女が、趣味を楽しく語れる仲間を探していくというのは、「そこそこ友達がいない」という悩みの解消にもつながります。
 心霊スポットに行ってみる企画も面白そうですが、オカルト同好会が、心霊スポットに行くというのは、完全にホラー映画の前半部ですよね。そこから本当の恐怖に巻き込まれたら、大変なので、ちゃんと大人の人たちを連れて、番組の企画とかで行って欲しいなと思いますね。
 とにかく、「おかくれになった」不思議な現象だけでなく、仲間が出てくるといいですね。
 個人的に、今、会社でも新しい企画に向けての仲間探しをしていたり、プライベートでもブログでの発信以外にSKEのことや映画のこと、本のことを語れるサークルを作れないかな?と思っていたので(多分、noteでやるかな?)、なんともタイムリーな内容でした。
 いよいよ、今度は活動記録編になるんでしょうか?
 とにかくこれからも目が離せません。
 最後の暗号のメッセージが「かくれんぼ」している。
 さりげなく、「サケ」と「シャケ」と「サーモン」の違いについても、問題提起していますが、どれも一緒に見えるのは、僕が食音痴だからでしょうか?

 第21回「冷やし中華」と「組み合わせ」

 第21回は「冷やし中華」。
 冷やし中華にマヨネーズをかける文化から始まり、じゃあ、他に何をかけると美味しくなるのかを探求した回です。
 これがまあ、凄い。
 どこまでこの人は探求していくんだ、というぐらい探求していくわけですよ。しかも、珠理奈やちゅりのような作る楽しみというよりは、調べる楽しみ、知る楽しみの方が伝わってくるんですよね。
 全9種の組み合わせを書き連ねているんですが、冷やし中華とラー油の組み合わせは意外でした。
 そうそう、前回の「同好会」に加藤結ちゃんが加わったのも目出度い。でも、「人間以外」のメンバーって、やはり「観察対象」なんでしょうか。
 やはり、書ける人は何かを調べ続けたり、とらえ続ける腰の強さがあるな、としみじみ感じました。
 第21回は、細かいところですが、「冷やし中華」にマヨネーズをかけて食べた時の表現として、「強欲な味」という表現を持ってくるのが面白いです。そのまま、マジック・ザ・ギャザリングのカード名で使えそうです。この回は研究や実験の記録文みたいで、彼女の「食」への愛が伝わってきて、読みながら笑みがこぼれてきました。
 冷やし中華の組み合わせについてでしたが、これはゴマだれドレッシングを試してみるか、となりましたよ。


 第22回「七夕」と「歪み」

 第22回は創作回!
 この人、月に1回のペースで短編を創作してますね。
 アイドル活動をしながらこれが出来るのは凄い!
 さて、今回の題材は「七夕」。
 短冊に願いを書いていくこのイベントの歪んだ捉え方をしている主人公を、更に大きな歪みが襲うという構造です。ふと、映画ライターのギンティ小林さんが一部の映画を形容する時に使う「なめてた相手が殺人マシーン」という言葉がありますが、「なめてたクラスメイトがサイコパス」な怖さがあります。
 「起承転結」の「転」が180度じゃなくて、360度回転した気分にさせられます。自分のゲームのルールを根底から覆すような恐ろしい奴に出会った時の恐怖。
 「願いごとが叶わないように」という間接的なものではなく、「足がなくなりますように」という直接的な歪み。自分より上の歪みが現れた恐怖でもあります。
 しかも、「結」にあたる部分で、主人公はこの状況を楽しむことを選択します。つまり、主人公も結局ヤバいやつということで、「結」と「転」を同時にして終わるわけです。勿論、強がりにも聞こえるんですが、僕は、「楽しむ」という方を読み方を採用しました。本当に面白い構造の短編だと思います。
 第22回は、創作で「俺」語りの文章なんですが、彼女のこれまでの作品との大きな違いは、意識的な改行量の差と、風景描写を極力抑えて心情を中心に描くことにシフトしていますね(第15回と比べてみてください)。だから、あの構造が生きてくる。そして、小学生男子の言葉を意識した文体。今回も面白かったです。もう、「叶わなかったかも」の意味を理解した時のゾクゾク感。
 

 第23回「両立」と「芽生え」

 第23回のテーマは「両立」です。
 ついに始まったSKE48の公演のレッスン。
 今までコロナ禍でストップしていたんですが、動きだしたんですね。これまでの研究生たちと違うパターンのスタート。
 いつも締め切りぎりぎりでブログを仕上げるという「Real Face」な生き方の早香先生。
 肉体的にも精神的にも疲れた状態でスタートします。
 何も書いていないようで、実は彼女の日常と内面が変わりつつあるのが、文章から感じられます。まず、レッスンが始まったという変化、そして、頭の中で文章化した独り言を言い始めたということ。そこに他人が読む文章に実際に書くという第3のレイヤーを持ち込んでいます。
 簡単に図にすると、【普段】→【頭の中の文章】→【文章】という人よりも一つ多いレイヤーを挟んで自分の日常を見ているというか、文章に変換しているわけです。
 完全に文学者じゃん!と僕は思いました。
 これに発語を加えたら近代詩人になるし、このまま行っても小説家やエッセイストと同じです。「ストック」を用意する為には、より文章化を意識して日常を見ることになるので、彼女の世界がより研ぎ澄まされるのかな、とも思います。
 うまく、アイドルと文筆を両立して欲しいなあ、と思います。
 頭の声が錯綜しているようで、凄く大事な芽生えを僕は感じました。
 第23回は「両立」に関することなんですが、彼女の文筆家としての才能がメキメキ伸びている中、アイドルとしてのレッスンもスタート。焦りを描きながらも、しれっと子供時代の思い出を混ぜたり、スキャンダルと無縁ですよアピールも素敵でした。

 第24回「心霊スポット」と「意識」

 第24回のテーマは「心霊スポット」。
 第20回で作った心霊やオカルトに関するサークル「ハイアンド・シーカーズ」の活動がいよいよ始動…するかと思いきや、まだ出来ません。
 誰かと一緒に心霊スポットに行きたい早香先生は、愛知県の心霊スポットについて調べていきます。相変わらずユーモア満載のツッコミも冴えてましたね。「頼朝さんの声を知っている方がまだいらっしゃることの方が気になりますね」というのは確かに衝撃!
 僕も早香先生が調べた神社だったり、廃墟だったり、公園だったり興味を持って夜中調べてみました。
 最初に出てきた浅間神社は「オカルト」や「心霊」というワードを入れないと、普通の神社としてのホームページや観光協会のページしか出てこないんですよね。
 つまり、彼女のブログによって僕は初めて、怖いとこでもあるんだなと「意識」したわけです。
 僕としては、知的遊戯や歴史文化の楽しみとしての「オカルト」は好きですが、その中に土地や物や日付に「意味」や「意識」を一つ落とすというのは興味深いと思います。
 ひょっとすると、アイドル、特に48グループは普通の女の子に何か一つ「意味」や「意識」を落とすものなんじゃないか、とふと考えたりしました。
 そして、この「意識」を喚起するという彼女の今回のブログ。最後にもう一度機能します。
 それは、生誕Tシャツ!
 箪笥の肥やしにしてしまうことが多いので、あまり買わないんですが、このブログを読んで珍しく買ってしまいました。
 彼女のTシャツを着た人々がオカルトスポットに集まる、という謎の最終決戦感がある光景が8月以降に起こるんでしょうか。
 第24回は「心霊スポット」に関することなんですが、実は一つ一つの場所に関する説明がしっかりと出来ているからこそ、彼女のツッコミがきちんと機能すんですよね。
 こんな場所あるんだ、からのこんなTシャツあったな、の意識の移動をさせる構造も素敵でした。

 第25回「カツ丼」と「飽食」

 第25回は、久々の「孤独のはやか」こと、グルメ探訪シリーズ。
 今回、早香先生の好物トップ5に入るカツ丼を食べにいきます。しかも、ただのカツ丼じゃなくて「質より量」重視のお店。
 自己紹介で「はい!カツ丼っ…埼玉県出身…」と言ってしまったところから、カツ丼不足を解消すべくとんかつ屋さんに向かった早香先生。
 とんかつ屋さんで、定食ではなくあえてカツ丼を頼むロマン。お味噌汁とキャベツが食べ放題ということで、とんかつがくる前にうっかりキャベツを食べてしまいます。これ、あるあるですよね。
 そして現れたマウンテンカツ丼。
 てこの原理でご飯やキャベツを救出しなきゃいけないぐらい、カツが乗ってるカツ丼ってどういうことよ。
 食べても食べても減らないカツ丼に幸せを感じる早香先生。しかし、その幸せも10分後には減らないことへの恐怖に襲われることになります。
 飽食の恐怖。
 僕は芥川龍之介の「芋粥」を思い出しました。
 最終的に全部食べ切れずにテイクアウトをお願いした早香先生。食べ終わってすぐに食べることが出来ないというのがリアルですよね。本当に食べ過ぎた時ってこうなってしまいます。
 普段は、食に対して貪欲な(失礼)早香先生が、食から手を離すというのが新鮮です。
 最後に「次の山」へ登ることを誓った早香先生。次はいよいよ喫茶マウンテンでしょうか。
 何はともあれ、彼女が色々なところへ食べに行ける世の中になって良かったです。
 第25回は「カツ丼」を食べに行ったエピソードなんですが、一つ一つの食べ物の擬音語が素晴らしいのと、食べ物の擬人化した呼称が素敵な回です。
 そして、見事に自己紹介での失敗をブログのネタにしてくれているのも素晴らしいですね。僕もカツ丼を探すために職場の近くをウロウロしましたよ。本当にアイドルを推すと色々なことを知っていきますね。
 

 第26回「普通のブログ」と「反転」


 第26回のはテーマ「普通のブログ」。
 前半は、アイスの当たりポイント的なのが当たらないから始まる、不運についてというまあ、正直、アイドルのブログとしては大変微笑ましいものの、「これ、今週、僕のブログ更新するのに時間かかるやつだな」と思いながら読んでいると、まさかの反転!
 映画「ヒメアノール」を思い出しましたよ。
 「普通のブログがつまらない」という感性は、流石の一言。読む方も書く方も「普通」じゃなくて心が動くブログの方がいいですもんね。でも、早香先生の文章はかなり言葉のチョイスや文の切り方が上手いので、「普通のブログ」でも楽しめますけどね。
 反転してからは、自分のキャッチフレーズやサインについて。なかなか思いつかないので、大募集ということなんですね。
 1ファンとしては、もう、貴女から出てくるものでしたら、何でも嬉しいです、という感じです。
 彼女だけでなく、ファンという「外の要素」が加わることで、どんなものが誕生するのか、次回の更新が楽しみです。

 第27回「なぞなぞ」と「答え」

 第27回のテーマは「なぞなぞ」。
 今回は、独自のポエムに乗せてそれぞれの事物が何かを考えさせるなぞなぞ構造のブログでしたね。
 具体化しているようで、実は抽象化しているのが、なぞなぞなんじゃないか、とふとこのブログを読んで思いました。
 こういう特徴を書いていってそれがどんなものか考える時、自分がその事物のどこに注目しているのか、また、どんな見方をしているのか、ということを意識させられますね。
 あとの文体のところで書きますが、五十嵐早香という人を自分はどう見ているのか、も改めて考えさせられますね。
 第27回は、なぞなぞ構造を上手く使っていますね。
 最後に出てきた自分の「はやか」という名前についての一文。
 わざわざ、「読んでくださってありがとうございました」の後に書いてるわけですよ。 なぞなぞの終わりに答えが来るように、ブログの終わりに自分の名前について考えさせることで、じゃあ、五十嵐早香は読者にどう見えているか? それを考えさせられるものになっていると思います。 「変わった名前」と書いていますが、これは彼女から見た自分自身の答えにもなっているようにも感じます。

 第28回「事故物件」と「前フリ」

 第28回は久々の創作回。 事故物件を題材にしたストーリーでまだお話は始まったばかり、というところで続きます。 物語はまだ「前フリ」の段階なので、「起承転結」の「承」ぐらいのところでしょうか。 映画監督の三宅隆太監督がホラー映画と心霊映画の違いについて、「スクリプトドクターのプレゼンテーション術」て語っていましたが、心霊映画は「ホラーとしては、そんなに怖くないけど、何かおかしいぞ」ということが描かれているそうです。 今回のブログでは、まさに「何かおかしいぞ」という異変が描かれています。 天井に何かが居るというのは、江戸川乱歩の時代から2020年の映画「透明人間」にいたるまで、さまざまなアプローチがありますが、果たして早香先生はどう描くが楽しみです。 次回は、どう転調していくのか。
 第28回は、最初の会話劇で説明を予めしておいて、場に没入する準備を丁寧にしていきます。 まだ、前フリの段階なので、果たしてどんな展開が待っているのか予想はつきませんが、ジェットコースターがゆっくりと頂上まで登って、下り始めたのではないか、と思います。次回を含めて、構成にも注目したいですね。

 第29回「忌み地」と「レシピ」

 第29回は、「レシピ」。 早香先生が嫌いなトウモロコシを使った料理のレシピを紹介していくと見せかけて、中身はなかなかスプラッターですね。親子の薬指を料理に使うなんて、斬新! で、このスプラッター要素に引っ張られると、本質が見えなくなります。 ポイントは、なんで二つの料理の間に「忌み地」という言葉を入れていたのかです。 気になった僕は、福澤徹三さんと糸柳寿昭さんの共著「忌み地」を購入して読んでみたんですね。 まあ、人が死んだり、事故があったせいで、その建物や場所で正体不明の事故や人死があったりする場所ですね。 で、ちょっと気になった話がありましてね。 ある「忌み地」は、意図的に殺していた結果、「忌み地」になったと。 ひょっとして、早香先生がレシピで書いてるのって、料理の作り方じゃなくて、「忌み地」の作り方なんじゃない? あるいは、神社に備えるということは、「忌み地」を抑えるためのやり方なんじゃない? とにかく、「レシピ」というお題をこんな風に使えるところが、本当に恐ろしい才能だと思います。
 第29回は、もう本当に構造が素晴らしい。 こういうテクニカルなブログは、個人的には好みなので、ワクワクします。さらにこれが第28回とは無関係と見せかけて、第28回の最期に出てきたものを思い出すと…。次回も楽しみです。 

 第30回「謎」と「引き」

 第30回は第28回の創作回、そして、第29回のレシピと完全に繋がる続編。
 まず、読んでいて気が付いたのが、会話文で使うかぎ括弧が使われていないこと。ただ、忘れてるだけなのか、意図的なものなかのか。
 いよいよ、怪異がはっきりとしてきましたが、身体の一部が欠落している状態の女。
 そして、更に提示される謎。何故住み続けると大金が出るのか?
 何故、「カエセ」とか「ヤクソク」と女は言っているのか? 神社の名前が「指切神社」。 ゆびきりげんまん…。 「ヤクソク」…。
 「代償」というタイトルってひょっとして…。 いよいよ、次回、謎が明らかになりそうですね。
 それにしても、ちゃんと29回が伏線となり、30回と繋がっていく展開、たまらないですね。  第31回のテーマは「開示」。 少しずつ、謎が明らかになっていきます。 第29回のレシピ、第30回の「ヤクソク」、今までの謎が徐々に開示されていきます。でも、一番大きな謎が残っていますね。 そう、なんで主人公の家に指があったのか。
 そして、なんで女の霊のようなものが出るのか。 僕が今回素晴らしいな、と思ったのが伝説の創作ですね。民俗学大好き人間としては、柳田國男が収集した民間伝承にありそうな伝説をよくぞ創作したと。
 たとえば、創作された伝説にミステリーの要素をはめこんだのが横溝正史の「八つ墓村」とかだと思いますし、ホラーの要素をはめこんだのが、今回の小説ではないかと思います。
 さあ、神社の中には何がある?
 僕の予想では、あるべきものが無いのではないかと予想しています。
 第30回は、とにかく「引き」が素晴らしい!
 最後に神社と神社の名前が出てきたところで、「よーしっ」と何故かなりました。 起承転結における、「転」にあたるところでしょうか? 早く続きが読みたい。

 第31回「伝説の創作」と「開示」

 第31回のテーマは「開示」。
 少しずつ、謎が明らかになっていきます。
 第29回のレシピ、第30回の「ヤクソク」、今までの謎が徐々に開示されていきます。でも、一番大きな謎が残っていますね。
 そう、なんで主人公の家に指があったのか。
 そして、なんで女の霊のようなものが出るのか。
 僕が今回素晴らしいな、と思ったのが伝説の創作ですね。民俗学大好き人間としては、柳田國男が収集した民間伝承にありそうな伝説をよくぞ創作したと。
 たとえば、創作された伝説にミステリーの要素をはめこんだのが横溝正史の「八つ墓村」とかだと思いますし、ホラーの要素をはめこんだのが、今回の小説ではないかと思います。
 さあ、神社の中には何がある?
 僕の予想では、あるべきものが無いのではないかと予想しています。
  第31回は、まず風景描写が上手くなっていることに皆さん気が付きましたか? しかも、時間を明確に書かずに想像させるところが上手いですね。さらに、上でも書きましたが、昔の伝説というフォーマットで自分なりに創作をしているというところが素晴らしかったですね。ホラー映画あるあるの「ホラー映画じゃあるまいし」というお約束を入れていくのもいいですね。あと、凄く嫌なことが行われたであろうことを「退治」と表現しているところも素晴らしいですね。だんだん作品を連想させる写真を貼るところが、講談社ノベルズの京極夏彦の小説のカバーみたいですね。

 第32回「面白さ」と「質」

 第32回はエッセイ回。
 地獄のリハーサルの為に、小説の続きが書けなかったんですね。いや、書いてはいたけど、途中で手を止めた。ここが素晴らしい。つまり創作者的な目線と編集者的な目線をどちらも持っているんですね。よく、文学者にとっての最初の読者は自分自身といいますが、早香先生がどんな本を読んで自分の「面白い」の物差しを作ってきたのかがとても気になります。 もうね、質にこだわる早香先生の姿勢。見習いたい。
 リハーサルで疲れて、自分のことだけを考えれば良いのに読者が読んだ時に本当に「面白いのか?」という視点を持っているのが彼女の凄いところです。 是非、納得できる作品を作ってほしい。
 第32回は、久々のエッセイ回。自分の視点から見て、「面白くない」とボツにした作品。でも、冷静に考えると、今回のブログ自体も彼女の読んで「面白いか面白くないか」の「視点」はあったはずで。実は彼女の編集者としての一面が見えた回でもあります。どんな本を読んできたのか、知りたくなりましたね。

 第33回「約束」と「指切り」

 第33回は創作「代償」最終回。
 今回のテーマは「約束」。 いやあ、終わりましたね。
 ホラー小説の構成でいえば、「起承転結」の「結」にあたる部分ですね。
 なんで部屋に出てくる女の霊に共通性がなかったのか、なんで「ヤクソク」と言っていたのか。この辺りの事情が明らかになりましたね。
 あとはもうホラー小説の醍醐味であるフィクションラインが一瞬消える時が訪れます。
 ここまで丁寧に現実の中に怪異が現れる状態が続きましたが、今回は現実と怪異のバランスがひっくり返るところが素晴らしかったですね。
 ちゃんと「指切」にまつわる怪異ですしね。
 そして、「指切り」は「約束」する時に使いますよね。
 嘘をついたらどうなるのか?
 一定期間、部屋に住むという「約束」、それを破った「代償」。 これまでの伏線をどんどん回収していった感じですね。
 終わり方に関しては、早香先生は納得いってないようですが、どういうところに納得していないのか、が気になりますね。最後の言葉でしょうか?でも、ここを書いておかないと、「指切り」と「約束」の関係性が見えにくくなる気もします。それとも怪異の部分でしょうか?「指切り」の歌とのリンクでしょうか?
 個人的には、京極夏彦の「百鬼夜行 陰」のような終わり方もどうかな、と僕は思いました。ただ、あれは他の作品読んでおいてこその部分もありますしね。
 第33回は、怪異の表現がポイントですね。
 ホラー小説というのは、創作者の想像力が試されるジャンルだと思います。何が怖いか、何が嫌か、それが表現できていないと、その後の行動に納得が出来ない。
 早香先生の考える怪異がなかなか興味深いものでした。
 そして、やっと彼女がこの連作で書きたかったものというか、お題が見えた回だったと僕は感じました。
 強いていえば、もう少しスケジュールに余裕があればと思います。今、12周年公演の準備で大忙しですもんね。
 次作も楽しみです。

 第34回「誕生日」と「締める」

 第34回のテーマは「誕生日」。 まず、代償シリーズの振り返り。
 しまった、「完」がないのに気付いてなかった。
 また、自分の創作したものに実在の恐怖を抱くというのが、面白いですね。 あと、「」表記がないのはトラブルだったんですね。深読みしすぎました。 ブログの中に配置された、まだしめていない、つまり、閉じていない物語と、締めた18歳の日々、という関係も面白かったですね。フィクションの時間は自分でコントロールすることができるのに、しめられない。逆に現実の時間はコントロールできずに進んでいくけれど、しめられる。というね。 ちなみに、本日9月19日は彼女の誕生日ということで、配信が21時からあるそうですよ。僕は仕事で見られませんが、皆さん、是非彼女の誕生日をお祝いしてあげてください。
 丁度、今、12周年公演に向けてあたふたしているので、のんびりと祝えないかもしれませんが、良い誕生日になれば良いなと思っています。 個人的には「フィリピン界の異端児」という表現が気になりましてね。
 彼女のフィリピン時代はどんな感じだったんだろう。先日読んだ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」というノンフィクションを読んだんですね。イギリスで暮らす主婦の方が息子さんの生活を中心に描いた面白いものなんですが、彼女の9歳の頃の誕生日はどうだったのか、日本で暮らす誕生日はどんな気分なのか、と考えてしまいました。どんな風に彼女は作られていったのだろうと、時間の流れを逆行させてみたくなりました。
 第34回は、久々のエッセイ回ですが、「919」を「クイック」→「早い」→「早香」という連想が華麗です。普段からモバメで言葉遊びをしている人だな、と感じます。

 第35回「レッスン」と「戻る」

 第35回のテーマは「レッスン」。 
 こんな書き方をするのも変なんですが、珍しくSKE48のことを書いている!
 そして、SKE48のハードなレッスンを経験していく彼女の姿。もっというと、研究生の日常。コロナ禍で止まっていたSKE48の流れが動き始めたんだな、と感じます。
 あと、覚えたはずのことを忘れていってしまうという苦労は、本当に分かります。僕個人の話をすると、普通の人が1回で覚えられることを6回はやらないと覚えられないですし、文章を読むのもめちゃくちゃ遅いので、基本的にTwitterはミュートにして、読みたくなったフォロワーさんから順番にミュートを解いて読んでいくというやり方をしています(それでも読んで理解するまでに時間がかかります)。 話を早香先生に戻すと、今回も食事に注目した部分がありましてね。大変さに応じて、何を持ってきて食べるのがベストかが見えてくるのが面白いですね。読者の僕らもレッスンを一緒に体験している感じになります。 彼女のブログが次に回ってくる頃には、12周年公演間近ですが、果たしてどうなっているのか? 果たして、焼き肉か、牛丼か、どっちも牛肉のような気もしますが、早香先生がどのポジションでどのユニット曲を担当するのか、楽しみにしています。明日の昼食はメロンパンにしようかしら。 なんというか、SKE48の研究生っぽいブログに違和感を感じながらも、これが普通だったんだよな、と何かが戻ってきた感じがします。
 持ってくる食べ物でその子の性格が分かるという視点が素敵ですね。親からメロンパンを持たされるというオモシロエピソードも聞けました。次回はもしかすると、研究生のご飯事情がさらに分かるかもしれません。

 第36回「ネタ切れ」と「募集」

 第36回のテーマは「ネタ切れ」。 いや、どこがだよ、とツッコみたくなる感じですね。劇団大人計画の松尾スズキさんが、ネタ切れだけで年に何回か書くのに似ています。 さて、いよいよ本格的に迫った12周年公演。ハードなレッスンの日々を過ごしていますね。最近みたローランド・エメリッヒ監督の「ミッドウェイ」中であった「これを乗り越えれば、人生のどんな時でも乗り越えられる」的な試練を彼女は今、乗り越えている最中ではないでしょうか。
 そして、彼女から特技の募集が始まっているじゃないですか?彼女自身が今後のブログの展望を色々と語ってくれていますし、それだけで十分面白そうなんですが、更に刺激を求めますか。
 僕は彼女に「創作」を願います。 アイドルとして「創作」を極めていってほしい。まだまだ五十嵐早香のクリエイティビティを自由に開放していってほしいです。
 第36回は、ちらっと登場するこれからの展望が楽しみでしてね。かとゆい観察日記やハイアンドシーカーズの活躍、そして気になるのが、マウンテンですよ。えっ、関西にマウンテンってあるの?
 ひょっとして、これ、名古屋まで行かなきゃいけないやつ?
 次回も楽しみです。

 第37回「12周年公演」と「メイキング」

 第37回のテーマは「12周年公演」。 彼女が初めて迎えたSKE48の周年公演です。 今回は3日間の彼女の心の動きが、様々な事象と重なりながら描かれています。 特に印象的なのが、初日の花の描写。 メンバーの背中を後押しする重要なものなんだな、と感じました。
 そして、徐々に姿を現す緊張。 
 今回のブログでは実際にステージ上でのことは省かれているので、さながら、12周年公演のメイキングを五十嵐早香という人の視点を通して、追体験しているようにも感じました。 
 特に待ち時間が長くて、緊張がなくなってしまうところとか、リアルでしたね。10期で一つのことを達成した喜びも静かな文体から伝わって来ました。 最後まで読むと、祭りの後の寂しさはありますが、次はどんなイベントが彼女たちを待っているのか、楽しみです。
 第37回は、報告文の形式でメイキングをつづっていますが、最近彼女のブログに出てくる「普通」という言葉が気になりましてね。
 別に社会の物差しに支配されずに、彼女の書きたいように、ブログは更新してほしいなあ、と感じます。
  何より、今回のような心情の変化が激しいのに、文体は抑えて書く工夫をしているだけで、「普通」のアイドルではなかなか出来ないことだと思います。
 果たして、次回は何がくるか。楽しみです。

 第38回「概念」と「自立」

 第38回のテーマは「概念」と「自立」。
 いやあ、今回はエッセイ回としては、なかなか読み応えがありましたね。というのも、「概念」と「アイディア」の関係を考えさせられるもので、大人になればなるほど、既成「概念」に囚われてしまい、「アイディア」の幅が狭くなってしまう。
 少なくとも、SKE48の中でかなり「概念」に囚われてないように見える早香先生ですが、「概念」を認識しているからこそ、そこをこれまで時間をかけてすり抜けていたのかな、と感じました。 「序・破・急」における「序」をどう「破」っていくのか。ただ、4歳の頃の早香先生は、知らないが故に「概念」を破ることが出来た。やがて、成長した彼女は「概念」に囚われているように見えますが、その「概念」を超えた体験は今でも残っていて、最後の1文からまだ戻れるかも、という可能性を示して終わるのも良いですね。 
 少し、現在の彼女に引き寄せて考えると、「SKE48」の既成概念も、彼女の才能が壊してくれるんじゃないかとも思っています。新しい才能の発露、世に出ていく方法がきっとあると。 
 まさか、「自立」に繋げるとは、という驚きもありましたが、構成がしっかりとしていて、全然「手抜き」感はありませんでした。 「オードリーのオールナイトニッポン」でたまにある、学生の頃の思い出のエピソードトークが毎回面白いように、彼女のこれまでの思い出編もまた、読んでみたいですね。
 第38回は、イノセントなアイディアの現出が素晴らしかったです。
 子供ならではの自由な発想の素晴らしさ。
 思わず自分の子供時代を思い出した方も多いんじゃないでしょうか。
 ちなみに僕は4歳の頃の記憶がありませんでした。

 第39回「喫茶マウンテン」と「別れ」

 第39回のブログは、SKE48を卒業する木内俐椛子さんと喫茶マウンテンに行った時の観察文です。
 前半は喫茶マウンテンでの木内さんの様子とグルメブログという、これまでのかとゆい観察日記とラーメン行脚のハイブリッド型です。丁寧な状況描写と料理のレポートが同時に味わえるとは。
 しかし、今回の白眉はお店を出てからなんですよね。
 駅と反対の道に行ってしまったり、降りる駅を過ぎてから降りたりと、二人の別れたくないという気持ちが伝わってきます。 やがて、「SKE48」として会っていた木内さんから、等身大の女子大生の木内さんの顔を知り、メイド服のくだりから、「覚えておく」ことについての文章が切なくて良いんですよね。僕のブログの由来になっている名曲「桜、覚えていてくれ」をふと思い出しましたよ。 人生の中でほんの僅かな間、同じステージに立てた仲間との思い出。やがて、その視点は「私達」へと移っていきます。彼女の存在をどう自分の一部にしていくか、これは、アイドルを推す人間にとってだけではなく、全ての人が人生においての出会いについて考えさせられる箇所でした。 そして、観察文という静かなトーンの文章が徐々に熱くなっていき、最後の1段落で、観察者から当事者に変わって感情が溢れるところが本当に素晴らしかったです。 
 こういうブログが読めるから、早香先生のブログは面白い、と改めて感じました。
 もう構成が素晴らしかった。
 ブログを読む多くの人は木内さんの卒業を既に知っています。何気ないお出かけブログではなく、特別な意味を持つことを。だからこそ、前半が素晴らしいフリになって後半の感動を誘うんですよね。風景から心情への切り替わりも素晴らしくて、これからも読んでいきたいな、と改めて思いました。なんとなく、スピッツの「楓」をイメージしましたね。

 第40回「企画の発表」と「拡張」

 第40回のテーマは「企画の発表」! 
 第36回でちらりと自分のこれから頑張るものについて、募集していましたが、色々なことをやっていくぞ、ということを発表しています。 ずっと早香先生のブログを読んでいると麻痺してきますが、心霊スポットに行くアイドルって、今更ながら充分異色だと、と思いますが、ひょっとして「配信」を使って心霊スポットに行くという映画「事故物件 怖い間取り」的なアプローチもできるんじゃないかな、とふと思いましたよ。 個人的には、日曜日の「オカルト配信」よりは水曜日の「英語配信」がどんな感じの「配信」になってどれぐらいの層に響くか楽しみです。ひょっとして、いつもとは違うリーチを持ったアプローチが世に出来るかもしれません。ただ、FacebookやTwitterの方が海外を視野に入れると良い気がしますけどね。 ネタと企画と実行力、早香先生なら全てできるんじゃないかとこれまでのグルメ探訪や心霊スポットへの冒険を観ていると感じます。 あと、前回の木内さんのブログに4日間かけたことをさりげなく書いていますが、本当に素晴らしい。いつも、1時間ぐらいの手癖でブログやnote書いてる僕も見習っていきたいと思います。
 うーむ、どんどんSKE48のメンバーとしての枠を拡張していく動きが始まっている気がします。
 第40回は短めなんですが、意図的に「ブログ」と「配信」に鍵括弧をつけているのに皆さん気づいたでしょうか?五十嵐早香の強みとして、僕はこれまで「ブログ」を挙げてきましたが、実は「配信」も大きな五十嵐早香の武器なのでは、とふと考えさせられました。もうすぐ、今の仕事も辞めるし、ちょっとチェックしていこうかしら、と思っております。

 第41回「メモ」と「抽象化」

 第41回のテーマは「メモ」。
 皆さんは、普段メモは取りますかね? 前田裕二さんの「メモの魔力」や「ほぼ日手帳」大好きな僕としては、ワクワクするような回でした。 よく作家の死後に明かされるノートなどに書かれたメモから、過去の作品に隠された作家の狙いや思考の断片、創作の分かれ道が見えてきます。また、美術でいえば、デッサンや彫刻が途中で終わっているものも興味深くて、何故、そこで止まってどこに続いていたのかを考えるのが楽しみです。
 そして、メモの面白いところは、読者が自分だけというところですね。自分だけのために書いたので、断片的なものが多いんですよね。アイディアの元になる抽象的なものだと思います。もっというと、抽象化される過程を試されるのがメモであると思います。自分の体験を言葉にして抽象化できているかが試さると。
 前置きが長くなりましたが、早香先生の場合はどうだったか。
 2019年11月8日のメモは、SKE48前夜というか、物凄く余所行きのメモですね。そして、1月23日のメモは、彼女の観察力が光る内容になっていて、見学した公演での気持ちの高鳴りが書かれています。 2月24日はキーワード的なメモですが、頭韻を踏んだメモですね。ブッダブランドの「人間発電所」のような気持ちよさがあります。 3月2日のメモは、体験と内省があり、時間の価値の変化を考えさせられる素晴らしいメモでした。メモを取る意味ってこれだよね、と思わされる瑞々しさを感じます。
 そこからは、食やコミュニケーションなどに関することが書かれていき、5月30日の大喜利のメモを観ると、そっちの部分でどう戦うのか見てみたくなりました。笑いという面で五十嵐早香がどう戦うのか。
 いやあ、メモというものについて改めて考えさせられましたし、メモも表現手段になるという文学的にも面白かった回でした。
 第41回は実に文学的な回で、メモというトピックの羅列をどう読者に見せていくのかが面白かったです。ある時はストーリーになり、ある時は感想になり、ある時は内省になる。かなり、上級者向けの表現を使いこなしているところをみると、早く彼女に表現の場を与えた方が良いのでは、と思います。たとえば、noteの有料マガジンとかね。


 

 第42回「スキップ」と「常識」


 第42回のテーマは、「父の提案」。
 五十嵐家は、お父さんも自由な思考の方なんですね。お父さんに同意するお母さんも素敵でしたね。
 「スキップ」はどんな時にするのかを考えるところも面白かったですね。確かに真顔でスキップしている人はいない。そこから、早香先生のサラリーマンたちのスキップ出勤の妄想も面白かった。 昨日の深夜、思わずスキップを試してみましたよ。
 ううむ、自由な早香先生の思考の源泉は五十嵐家にあるのか、と感じましたよ。 第38回で概念にとらわれたということを書いてましたが、今回は本当に自由な発想の回でしたね。
※なんとなく、イメージしたトモフスキーの「SKIP」を貼っておきますね。ここではスキップの意味が違いますが、早香先生のブログを読んでいると、初めて聴いた時とまた違った味わいがあります。 



 そして、P4U?
 えっ、早香先生もやってんの?
 僕、前の推しの岡田美紅がお世話になった深井ねがいちゃんの支援を宣言したばかりよ?
 で、調べてみると、8期生までとドラフト3期以降に分かれてるんですね。ということは、二人が争い合うことはないのか。じゃあ、半々に投票しよう。うん、そうしよう。ただ、スマホのゲーム自体、あんまりしないので、微力ですが、がんばりますよ。
 第42回は、常識という概念や面白さについて考えさせられる回でしたね。常識からはみ出ることの恥ずかしさと面白さ。自由な発想の五十嵐家ならではの回でしたね。いやあ、この家族の会話、もっと聞きたいです。

 第43回「葛藤」と「独白」

 第43回のテーマは「葛藤」です。
 まるで、自分に言い聞かせるような内容でしたね。
 具体的にどんな決断をしたのかは書かれていませんが、ちょっとブログの内容を拾ってみると、下記の情報が読み取れます。

・怖くて逃げることが出来ないことである。

・直観で決めたことである。

・人生最大の高級品である。

・絶対的な保証がないことである。
・痛いかもしれない(物理的に?心理的に?)。

 今週のブログを1回目は素読して、「えっ?何?相当進退かけた選択をするの?」と思いましてね。「物理的に痛い」に気を取られて、「ピアスでも開けるのかな?」と呑気に思っていたんですが、全体的に解釈する為に上記の情報を取り出していきました。

 ヨハネス・ケプラーの仮説形成で行くと、おそらく「SKE48になったこと」ではないか、と思うんですね。ケプラーの言葉を借りるならば、「美しい結論が描ける」ものとして。
 だとしたら、ひょっとして、「P4U」のイベントの順位のことも関係しているのかな、ともふと思いましてね。「回数を重ねていない」というところがその根拠です。ただ、「劇場公演」とも読み取れるんですよね。
 「機材にぶつける」、「無事に終わる」という表現からですね。

 うーむ、今回は仮説をひたすら並べていくだけになりましたが、果たして次回に結果が分かるでしょうか?

 一つだけ心配なことがあって、自分の書くブログについて、本来書きたいことが書きにくくなっているのではないか、と心配になっています。新しいものや珍しいものばかりに囚われずに自分の長所を磨いて行ってほしいかな、と思います。まだ、焦るには早い。
 なんというか、「第3の新人」が台頭してきた時の芥川や太宰の言葉を思い出して、少しだけ心配になりました。貴女がブログを書いていくれるだけで嬉しい人間もいるよ、ということを伝えたいです。見つけるから、ちゃんと面白いところは。だから、焦らないで欲しいなと思います。毎回が傑作だったり、斬新だったりする必要は全くないですから。
 第43回は、モノローグ的な文体でしたね。
 中心となる事象の周りを独白で語っていく形で進んでいきます。
 しかも、自分のパーソナリティを表すための具体例とその中心となる事象と他のものと対比で、いかに優れたものかを表しています。
 最後の結論は、芥川龍之介の「暗中問答」のようで心配ですが、どうかまだキャリアも浅いので、焦らずに活動していって欲しいなと思っています。

 第44回「トウモロコシ」と「意味の追加」

 第44回のテーマは「トウモロコシ」。
  皆さん、普段からトウモロコシについて考えてきましたかね。まあ、SKE48ファンの皆さんは、トウモロコシリテラシーが高い方ばかりだと思いますが、今回僕は初めて知ったことばかりで、今回のブログを読んだのがカフェのある本屋さんだったので、その後、早香先生がファクトにした本がどれか暫く探しまわりましたよ。
 まず、何が面白いって、ここまで嫌いなものを詳しく語るか、という「語り口」ですよね。普通、食べ物の嫌いな理由って味や匂いや食感といった五感に関わることじないですか。でも、彼女の嫌いな理由は「こじつけ」的な都市伝説に起因しているんですね。
 ① 祖先が明確ではない。
 ② 他の植物と同じ子孫の残し方をしない。
 ③ 人間よりも先に生まれた伝説もある。
 ④ 我々の生活の中にも潜んでいて、主従関係が逆転している可能性も。

 ううむ、2020年11月現在、海の向こうではびこっている政治的な陰謀論とかと比べると④番とか、カワイイもんですが、これは「価値転倒」の実験としては、かなり面白いです。文学の世界でいえば「文脈」を一つ重ねるということになりますし、民俗学の世界でいえば「意味づけ」になります。

 読む前と読んだ後でトウモロコシの見た目や意味が変わっていたら、早香先生の思うつぼですね。
 第44回は、民俗学的な意味付けとして面白いことは上に書きましたが、言いたいことの構成が凄くしっかりしていますよね。
 また、書き出しが面白くて「『トウモロコシ』をご存じでしょう」という断定形。普段、僕のブログを読んでいらっしゃる方は、僕が軽い疑問形から始めるタイプの書き出しが多いことをご存じだと思います。
 この自分と真逆のアプローチは、「宇宙刑事ギャバン」のオープニングテーマの「男なんだろ?」という人類の半分を切り捨てた潔さに似ていますね。
 

 第45回「応仁の乱」と「待つ」


 第45回のテーマは「応仁の乱」。
 「応仁の乱」に参加中ってめちゃくちゃ混沌としてるじゃない、というのがストレートな感想です。ううむ、早く元気になってほしい。今は元気になるのを待ちましょう。
 何回かお休みした後、書いてくれたブログだっただけに、もう発信してくれただけで感謝です。

 第46回「記憶の断片」と「消費」

 第46回のテーマは「記憶の断片」。
 おそらく、一番彼女と仲が良かった加藤結の卒業。
 前半は、早香先生がメモした、かとゆいが断片的に書かれていきます。
 それは下手に感傷的な文章よりも、彼女の存在と喪失を我々に意識させます。
 そして、後半は決して装飾された言葉ではなく、「当たり前」に思っているメンバーとの思い出も、計り知れず見えない「消費」の上に成り立ち、記憶の不確かさが語られます。
 その不確かさや消費に関する認識を提示した上で、「人生の一瞬」を共にしたことを語っていきます。
 そして、辞めていくかとゆいへの思いと、素直になれない実際の自分の対応を僕らに明かしていきます。上記のように彼女自身が言葉や人との関わりについて考えているからこそ、気軽な言葉はつかえないというのも、きっとあったと思います。
 もの凄くヒリヒリするような思いのたけ。
 「諦めてたもの」を「SKE48」でくれた人。
 皮肉ですが、彼女に訪れる「別れ」は、毎回、彼女の文章を美しくしていきます。

 そして、ここまで読んで、僕らも五十嵐早香とお互いの様々なものを消費して、出会うことが出来、人生の中の僅かな時間を共有しているのだと意識させられます(読んでいるあなたの推しメンでも良いです)。
 なんで、僕のブログのタイトルが「栄、覚えていてくれ」なのか、改めて認識させられもしました。
 今回読んだメモも、ブログも映像もすべて加藤結という人の「断片」に過ぎません。相手の気持ちも全部分かることは出来ないし、思い出を覚え続けられるか分かりません。でも、だからこそ、大切にしたいと思います。1日でも長く。
 最後にまとめると、前半でメモという形で「記憶の断片」を提示し、真ん中では客観的に記憶や認識の危うさを語り、後半ではそこまでの論理的な内容をおしやる自分の心情を語る構成になっています。
 本当に切なくて素晴らしい回でした。
 第46回は、彼女の心情をこれでもかというぐらいぶつけられた素晴らしい回でした。創作者として改めて惚れ直しました。

 第47回「化石」と「復活」

 第47回は、休養明け半年ぶりの更新。
 まずは、タイトルが「化石の、はやかです」とSKE48の時間から離れた自分を「化石」と表した彼女。同期たちへの感謝を語りながら、「化石」になりアイドルとして止まっていた時間について語ってくれています。
 そこにあったのは、SNSやインターネットを絶った、自分だけの時間を持った早香先生の姿。そこで、英語の勉強に向き合っていきます。固定された毎日は、まるで石のようでもありますね。
 ただ、英語で結果を出しても、アイドルの刺激には敵わない。
 だから、もう一度、「化石」から蘇って行く。
 また、刺激的なスケジュールと共に。 
 第47回は、もう更新してくれただけでも、嬉しい復帰回。普通の毎日、ストイックな勉学、立派な結果。でも、アイドルの生活と比べたら、刺激が足りない。彼女のこれからを期待させる静かですが、熱さがあるブログでした。うう、応仁の乱が終わって本当に良かったよう。

 第48回「長さ」と「期待」

 第48回のテーマは、「長さ」。
 ブログが更新されるスパンが1日短くなり、以前のような長々としたブログではなく、「独り言」という形式に変化していくようですね。
 でも、前から早香先生のブログを読んでくださっている方なら分かる通り、彼女の文章の本質は「長さ」ではないですよね。
 「孤独のはやか」シリーズのナイスミドルな量や、第41回のメモ形式のように、短い中に様々な想像の余白がある表現もありました。また、「ホラー」の3文字も楽しみでしてね。創作もショートショートになるのか、だとしたら、どんなものを仕掛けてくるのか。早くも想像が広がります。多分、締め切りが短くなることで、最初は試行錯誤があると思いますが、彼女なら、きっとペースを掴んでくれるのではと思います。
 そして、27日の「復活祭」と呼びたくなる復活公演。
 SHOWROOMも復活するそうで、楽しみですね。
 そう、本当に先週ぐらいまで想像も出来なかったんですが、今は、ブログ、公演、SHOWROOM、全てに期待しているんです。どんなものが来るんだろうって。
 こんな気持ち、久しぶりです。
 とりあえず、皆さん、27日は公演みましょう。
 僕も久々に観ます。
 第48回は、何気ない文章ですが、ブログの本質について考えさせられるものでした。重要なのは、長さではなくて思考の表出、創作の素晴らしさ。ただ、締め切りの長さが変わるのは、思考の組み立て方の変化が生まれるかも知れません。果たして、どんなシリーズが始まるのか、楽しみです。

 第49回「一人暮らし」と「進化」

 第49回のテーマは「一人暮らし」。
 半年の休養の間に、一人暮らしを始めていたんですね。
 自炊からコンビニの総菜マイスターというのは、本当に一人暮らしあるあるですよね。
 個人的には、ブログの写真機能の進化や新しい公演とまだまだSKE48の時間では化石の状態の早香先生。SHOWROOMで「生きているシーラカンス」と言っていましたが、ついに6月27日には化石が割れて甦る時がやってきますね。
 まずは、ブログに書いてあるキャッチフレーズに注目ですね。
 そして、短い文ながらも注目なのが、写真ですよ。
 机の上にぼんと置かれた魚の切り身に目が行きがちですが、何気なく置かれた読みかけの本や、センスの良いライトが気になりますね。
 短文になった分、これからは写真にも注目ですね。
 あと、何気に今のこと、これまでのこと、これからのことを散りばめた内容になっていましたね。
 第49回は、短文形式の2回目ですが、ブログ機能の進化、公演の告知。そして、一人暮らしと、今のこと。離れていたSKEのこと、半年間の空白のことと、時間軸を散りばめた内容になっています。
 まだまだスタイルを探している気も少ししますが、早香先生の書いている通り、生暖かい目で見守りましょう。

 第50回「幻影記録」と「文学」

 第50回のテーマは「幻影記録」。
 まず、もうタイトルが良いですよね。
 「幻影」の意味を調べると、「まぼろし。幻覚によって生ずる影像。心の中に描き出す姿。」と出てきます。
 心の中に描き出す姿を言葉と写真で記録していくこの試み、非常に文学的だと思います。
 かつて、20世紀後半に「純文学」を浮かび上がらせるために、多くの作家が幽霊を使おうと試みました。僕が成功例だと思っているのは、高橋源一郎の「ゴーストバスターズ 冒険小説」ではないかと思います。幽霊という「眼には見えないけれどあると言われているもの。」それを捕まえるために旅に出る。
 まさに今回の早香先生のブログも似ていると思いましてね。
 このブログでは、以前書いていたフィクション作品と違い、とんでもない現象や異形は現れません。でも、ぼんやりと何かが浮かび上がってきます。それは彼女が感じた「何か」をぼんやりと感じました。最後に振り返ってみた、描写が本当に秀逸で、トンネルと言う闇の中ではなく、その先に異界の気配を感じるのが、良いですね。
 トンネルの入り口が口で、トンネルが喉、出口は…。
 昼間の写真を見てみると、何気ない山道かもしれませんが、その空間に違う意味を与えている気がします。
 今回の早香先生のブログを読んでピンとこなかった方は、上記のことを意識して読んでみると、また、違う味わいが出て来るかも知れません。
 ここから、どんなアプローチをしていくか、果たしてどこに行き、何を描いて行くのかが楽しみです。 
 心霊スポットという非日常の場に来ているためか、彼女の世界の捕まえ方が素晴らしくて、「ぼんわりとした空気の音」って、生活の中で感じるものの言葉の中で描写するのが凄く難しいと思います。
 そして、五感の聴覚から視覚に意識が変わった後に待っていたものの不気味さ。このシリーズは、まだまだ読みたいですね。
 

 第51回「コインランドリー」と「雨」

 第51回は「コインランドリー」。
 まず、導入がとても素敵でしてね。
 コインランドリーで洗濯物が洗い終わるのを待ちながら、文章を書く、素敵じゃないですか。
 僕も2年前の今頃に一人暮らししていた部屋の洗濯機が壊れて、近所のコインランドリーに通っていたんですが、洗濯物が洗い終わるまでの時間、本を読んだり、当時は古畑奈和ちゃんの番組に関する記事を必死で仕上げていたもんです。
 そんな中、振り返るのは前回の「幻影記録」について。
 昨年に行っていた心霊スポットの1年越しの文章化だったんですね。1年の間に彼女の頭の中でどのように熟成されていたのかを考えると、興味深いです。
 そして、後半は雨に濡れてしまったことが分かる記述が出てきます。洗濯物も早香先生も濡れてしまっています。
 最後に次の心霊スポットへの予感も書いていますが、無理せずにじっくりと書いて行って欲しいところですね。
 彼女がコインランドリーを出る頃には、雨が上がっているのか、それとも止まずに暫くまったのか、そんなことを想像させれるブログでした。
 第51回はなんといっても舞台設定。
 何気ない内容に思えますが、雨が降る町にあるコインランドリーで文章を書いている早香先生を想像させる素晴らしい設定です。
 風邪を引いてから元気みたいになってないかが心配ですが、次はどんなところが舞台になるか、非常に楽しみです。

 

 第52回「回ってくるもの」と「時間を区切ること」

 第52回は2週間ぶりの更新。
 テーマは「回っていくもの」というところでしょうか? 
 彼女に回ってくるブログの順番、彼女が乗っている名城線、どちらもぐるりと回っています。そのどちらにも彼女の感覚はフィットしていません。
ただ、このフィットしていない感は、凄く共感できましてね。僕もよく考え事に夢中で電車に乗り間違えたり、全然人の話を聞いていなかったり、ということがあります。
 あとのコーナーで書きますが、涙が零れるところの表現が今回は秀逸ですよね。
 さらに、時間を無駄にすることに落胆する彼女ですが、鈴虫の鳴き声を感じたり、カマキリとふれあったり、と人間の時間とは違う時間で生きる者たちは、皆、彼女の世界に寄り添います。
 人間は時の流れを時間と区切り、時には期限を作ります。「〆切り」、「終電」なんかもそうですね。逆に言うと宇宙人や心霊の世界には、そういう概念からが自由なのかな、とふと思いました(このあたりは詳しくないですが)。
 カマキリが手を広げるまでの時間、カマキリが彼女の肩まで登っていくまでの時間。それは、前半の内容とは真逆の時間を僕らに感じさせます。
 これからも「豊かな失敗」を沢山しながら、違う世界にどんどん触れて欲しいです。書き溜めた心霊スポットに行ってきたエピソードを楽しみに待ちましょう。 
 第52回は、まず涙が落ちる時の表現ですよ。
 もう、ここだけで今回は大満足です。
 45度に上げた顔から、垂直に落ちる涙の様子を想像しただけで素晴らしかったです。
 そして、前半の区切りのある時間の中で暮らしながら、そこから解放された時間の写真を載せる構造も素敵ですね。

 

 第53回「心霊のドキドキ」と「重い愛のドキドキ」

 第53回のテーマは「ドキドキ」。
 いやあ、今回は感情を揺さぶられたという方、多かったんじゃないでしょうか。
 前半は「前田公園」という心霊スポットの様子を「普通」に書いているんですが、とにかく写真が素晴らしい。大きな石碑の写真はそのままミステリー小説の表紙に使えそうな1枚です。刀を持った像がぼんやりとした姿しか見えないのも怖い。ここで僕はドキドキしました。更に、鳥居の写真も六角堂の写真もぼんやりとして、静かな怖さがあります。早香先生、世界の切り取り方の妙ですね。
 そして、「普通」の心霊スポットが一転、急に語りかけるような口調に変わります。
 その口調はめちゃくちゃ重いタイプの愛でしてね。正直、心霊より生きてる人間の業の方が怖いと思った方は多いんじゃないでしょうか。読みながら、いったいどこに連れて行かれるんだろう、とめちゃくちゃ不安な気持ちのドキドキに襲われました。
 最後はちゃんと僕らの心を安心させてくれましたが、読み終わってしばらくざわめきが止まりませんでした。
 二つのドキドキによる挟撃作戦にやられてしまいました。 
 第53回は、なんと言っても文体の変化からの言葉の洪水の恐ろしさ。「自覚あるよね?」とか超怖かったです。二種類の「ドキドキ」を味わわせてくれる彼女の文章力に脱帽ですよ。だって、どんどん文章が進めば進むほど、自分のプライバシーをこの子は知っているんですよ。いやあ、絶対自分のことじゃないのに、すごくドキドキしました。

 第54回「月刊ムー」と「ハイアンドシーカーズ復活」


 第54回のテーマは「月刊ムー」。

 いやあ、僕も初めて「月刊ムー」を買いましたよ。

 正直、「それが真実だったら、大変なことになるんじゃない?」という記事もあるんですが、東昌夫さんが書かれた近代文学の作家と怪談話の記事がめちゃくちゃ面白くて、漱石一門のエピソードとかは、初めて知りました。

 前回の2つのドキドキを感じるブログに対して、早香先生はアップされるのか?という別のドキドキを感じていたんですね。臨場感を出すために記憶を辿ろうとするもなかなか出てこないもどかしさって、みんなありますよね。

 そして、後半は「ハイアンドシーカーズ」の復活。「月刊ムー」は、都市伝説大好きな早香先生からしたら、たまらない内容だったんじゃないでしょうか。ここから、また知的好奇心の広がりが生まれますように。
 第54回は、独り言シリーズに戻ったんですが、ついついミメーシスが起こる内容。多分、「月刊ムー」を買いに走ったいがどん推しの方も多かったんじゃないでしょうか?

 第55回「メロンパン」と「熱する」

 第55回のテーマは「メロンパン」。
 前半は、彼女のサウナ体験から始まるんですが、サウナを利用したことがない僕には、所謂、「ととのう」という感覚がまだ未体験でしてね。
 サウナーになった早香先生に、サウナ雑誌のオファーとか来ないですかね。
 そして、高温で熱するといえば、早香先生流の美味しいメロンパンの食べ方。これは、週末の朝ご飯はメロンパンをチンする早香先生推しの方も出てくるんじゃないでしょうか?
 そして、「メロンパン同好会」の復活を意識させらる文章(正確には『メロンパン同盟』)。かつて、松井玲奈と島崎遥香の二人が結成したこの同盟は、同じくメロンパン好きのNMB48の福本愛菜さんの卒業と共に解散しました。
 思えば、メロンパンを通して仲間が増えて行ったこの「メロンパン同盟」、再び、復活することで早香先生にも仲間が増えていくんでしょうか? なんとなく、心霊やオカルトを愛する「ハイアンドシーカーズ」よりはとっつきやすい気がしますよ。
 そして、スマホゲーム「SKE48の大富豪は終わらない」も徐々に熱くなってきましたよ。3日は圏外でしたが、着々と順位を上げています。
 果たして、どうなる?
 第55回も独り言シリーズです。「サウナ」と「メロンパン」のイメージが重なったんですが、皆さんはどうだったでしょう?
 さりげなく、「大富豪は終わらない」の集合時間も書かれていたので、皆さん要チェックですよ。

 第56回「行ってはいけない場所」と「Googleマップ」

 第56回のテーマは「行ってはいけない場所」。
 活動の「自粛要請」という日本語としての矛盾をはらんだ4文字熟語が日本中に広がる昨今ですが、あえて行ってはいけない場所をピックアップする彼女のアイディアですよね。
 で、今回のブログなんですが、文字だけで終わらすのが凄く勿体ない回なんですよ。
 今すぐ、僕の弱小ブログは閉じて、Googleの画像検索やGoogleマップで早香先生が挙げた4つの場所を打ってみてください。
 たとえば、「地獄の門 トルコ」。
 なんとまあ、美しい溶岩の光景でしょう。
 うう、科学的にもヤバいものが沢山出ているそうですが、行ってみたくなりますね。
 逆に北センチネル島はやばそうな弓矢が写ってましたね。
 「八幡の藪知らず」は鳥居を覆う、木々の背丈の高さ。日を隠して、不気味な感じがしますが、白黒写真の画像をみると、神秘的な感じもしますね。民俗学的には、いらずの森ってだいたい何かを隠す為にあることが多いです。水戸黄門のエピソードは初耳でした。休みの日に原書にあたってみたいですね。
 「ボヴェーリエ島」は骸骨の写真が多めなので、苦手な人はご注意を。しかし、この島の歴史を知ると、なんだか美しい夕陽の写真や夜の洋館の美しさに、少し悲しさが伴いますね。
 こういう、普段は検索しない言葉を検索させてくれる機会って、凄く大事なので、この企画は定期的にやって欲しいと思っています。
 第56回は、文字情報だけで読むと面白さを感じにくい方もいらっしゃるかも知れませんが、早香先生が描いたGoogleマップに注目して、実際にウェブ上で画像を見たり、マップで地形を見たり、ストリートビューが使えそうなところは使ってみると、面白さが爆上がりですよ。
 そして、検索ワードが固定しがちな生活を送る僕には、こういうハックは嬉しかったりします。皆さんはどうでしょう?

 第57回「音」と「思い出」

 第57回のテーマは、「音」。
 久しぶりの創作回でしたね。
 僕らの世界には、心地良い音と雑音がまずあります。
 そして、それ以外の音も。
 まず、今回の物語は失恋から始まります。
 大好きだった彼女と別れたことで彼の世界は反転します。
 寂しさを埋めるように知らない奴らと騒いだりしますが、彼女の居ない空白は埋められません。
 五月蠅かった蝉の鳴き声も彼女と別れた後の空白を埋めるかのように気にならなくなります。でも、上記のような「雑音」では、寂しさは埋められません。

 主人公は「柄にもなく」イヤホンを着けます。
 もはや我々の生活の中で音楽を聴きながら過ごすのは、当たり前のことになっていますが、イヤホンの持つ働きを考えれば、周囲の雑音をシャットアウトして、音楽の世界に我々を導くものではと思います。
 そして、本文中の表現から、主人公はイヤホンを持っているものの、普段はあまり使っていないんですかね。
 流れて来るのは彼女がよく聴いていたアーティストの曲。
 知らない曲が流れるということは、自分でダウンロードしたものではなく、配信サービスでしょうか。余談ですが、失恋した後、歌詞の世界に自分を重ねるのはあるあるですよね。
 さて、話を戻すと、今度は彼女がカラオケで歌っていた曲が出てきます。ここの描写が素晴らしくて、アーティストの声と彼女の声が重なるというのが、音楽という質量のないものに大事な思い出がずっと残っているのが、この後の展開を含めて純文学的だと思います。
 さて、すぐに思い出の曲の再生時間は経ち、悲しい曲になって、再び主人公は悲しみにくれます。

 電車を降りると、世界と自分をシャットダウンしてくれていたイヤホンが落ちます。
 何気ない表現ですが、シャットダウンしていた世界に少しだけ触れあう予兆のように感じます。その後、イヤホンには明るい曲が流れますしね。
 部屋に戻った主人公は、イヤホンを外して静かな現実を受け止めます。音のない部屋が孤独感を連想させますね。
 ただ、ここから主人公は、泣きながら前を向くことを決意します。「綺麗な箱」に入れることにします。
 そして、僕はイヤホンという世界と自分をシャットダウンするものを通してではなく、世界の中で思い出の曲をかけます。
 それは「他の誰でもない、僕が大好きな曲」であると。
 ここは凄く解釈が難しいところだと思います。
 直前の彼の言葉を参考にするならば、彼女を思い出にしてしまったとも取れます。ただ、携帯電話という「綺麗な箱」の中に「大好きな曲」が入っているとすれば、彼女との思い出をやっぱり大事にしているようにも読めます。
 曲を「再生」するということは、思い出を「再び生き返らせる」気もしますしね。
 皆さんはどう読んだでしょう?
 「最大音量」にすると、他の人からしたらまさに「雑音」ですが、自分にとってはとても「大好きな曲」というのは、まさに失恋の思い出にも似ている気もします。

 とにかく、今のところ今年のベストです。
 音も思い出もどちらも目に見えないけれど、ずっと愛おしいものです。

 第57回は、2021年のベストに挙げたいぐらいの素晴らしい創作回でした。「音・雑音・その他」というタイトルが、読み解くヒントになっていくかと思うんですが、イヤホンの使い方だったり、大好きな曲の使い方だったりが、本当に素晴らしい。僕らの恋愛や失恋の中で感じたことのある一見するとどこにでもあるようなストーリーを「音」という語り口で描いているのが素晴らしいですね。

 第58回「詩」と「追い風」

 第58回は、まさかの詩の創作です。
 もうね、近代詩ファンとしては、たまらない丸山薫的な情緒観あふれる詩になっています。
 まず、題材として選んだのは、「追い風」です。
 第1連は「あの子」と「僕ら」の「いつも」が提示されます。
 海に出る準備をして、帆船を勢いよく出すための風をまっています。周りの人たちは、面白いと言いますが、決してボートを漕ごうとは言いません。
 目指し方を知らず、風を待つしかできない「あの子」は、孤独に待ち続けます。「僕ら」は知らんぷりしながら見ているだけです。
 さりげなく朝食の場面が挿入されているところが、「日常」感を強めています。

 第2連で変化が起こります。
 待ち飽きた「あの子」は、ついにボートを動かす風を自分で作りだします。
 その方法は、「大きな大きな扇」です。
 自分の目標への追い風が吹かないのなら、自分で吹かせば良い。
 ボートが動き出し、「僕ら」は「あの子」が飛び出していく様子を眺めるしかできません。
 「いつも」が消えて、次の出発者が現れる予感が「僕」の中に現れます。
 ちなみに、このラストについては、色々と解釈ができそうです。第1連の最後と変わらない朝食のトーストにジャムを塗る描写が書かれていることから、「日常」の延長でまだまだ変わらない読み方がまずできます。でも、「僕ら」ではなく、「僕」になっているんですよね。「僕ら」から飛び出しているということは…。あなたは、どちらの解釈をしたでしょうか?
 これは、今、何かにチャレンジしている人やチャレンジしてきた人には、とても響く詩なんじゃないかな、と思います。 
 第58回は、詩作ということで、物凄くリズム感が良いです。リフレインもそうですが、7・5調が要所に配置されることで、テンポも整えられているんですよね。まずは、是非音読していみてください。
 さらに各連のラストに倒置法が使われているので、よりジャムを塗っている情景が強調されます。いやあ、次は何を作るか楽しみです。


 第59回「独り言」と「一人焼き肉」

 第59回は久々の「独り言」回。
 スイカ、かき氷、冷やし中華と、色々な夏を感じさせるものを食べた話から始まり、一人焼き肉の話へ。
 一人焼き肉の魅力として、自分の好きなタイミングで食べられることを挙げた早香先生。
 かつて、中高の部活で大会が終わる度に、保護者の方々のご厚意で焼き肉に部員みんな連れて行っていただけることが多かったんですがね。1年生の頃は3年生の先輩たちが肉の所有権を支配し、2年生に入れば、誰がどの肉を何枚食べていたかを暗記し、無駄に憎しみの炎で肉を焼いていた僕からしたら、ガンダーラのような愛の国、それが一人焼き肉かもしれません。
 肉の焼き加減も人によって違いますしね。
 そして、ここからが、今回のブログの重要な部分だと思うんですが、「孤独シリーズ」のように、一人で美味しいものを食べて、頭の中から独り言をつぶやく。それをメモしながら再び食べる。その時、食べている物の味が鮮明になる。
 ここですよね。
 味という本能的なもの、もっというならば、自分の味覚という究極の自分事を言語を使うことで、僕ら読者にも伝わるようにしていく。
 この何気ない、インプットとアウトプットは、言葉や表現を豊かにしていく行為だと思います。

 誰しも、頭の中で独り言を呟く時はあると思います。
 しかし、その独り言を表現のレベルまで昇華するには、様々な工夫だったりメディアだったりが必要です。
独り言を歌詞や近代詩にする方もいれば、言葉のレベルから抽象画のレベルに一旦変換する人、そして、組み合わせて物語にする人。この辺りは、町田康が小説家になるまでの過程を思い出させられました。
 一人で静かに対象に向き合い、自分の頭の中に溢れる独り言と向き合う。この時間は、きっと僕らの生活の中にもきっとあるはずだ、と意識させられた回でした。
 そして、頭の中に言葉が溢れている限り、彼女の表現は生まれ続けるのではないかと思います。
 第59回の独り言回は、構成の妙ですよね。
 一人で何かを食べる話から始まって、独り言の話へ。
 外的な入力から内的な抽出へ。
 短いんですが、切れ味が鋭い回です。
 スランプと書いていたんですが、たまたま見た配信では、かなり良さげな創作のアイディアを出されていたので、うまく運営の方に理解してもらえたらいいなあ、と思います。
 いっそ掲載してくれるメディアを探すというのはどうですかね。


 第60回「愛」と「重さ」

 第60回は「愛」がテーマ。
 「愛」という質量が無いものに「重い」、「軽い」という言語上の質量を我々は持たせています。
 それは自分が思う「愛」の量と比較した時に生じるのかもしれません。
 この「愛」について書いた後に、早香先生の過去のコミュニケーションのルールについて説明されていきます。それは相手を傷つけたり自分を傷つけたりしない、とてもフラットな関係を保つための試行錯誤の歴史だったのかもしれません。
 愛は質量もないし、数字としても見えません。

 昔、歌人の穂村弘さんがエッセイに中で異性の頭の上に自分の好感度を数値化して出しておいて欲しいということを書いていましたね(さらに平均点も出しておいてほしいとも)。

 そして、話はファンの人との交流について書かれていきます。
 配信には来ないけれど必ずメールの配信をされる方、なんかを例に挙げていましたが、配信には来ないし、メールの返信もろくにしないけれど、ブログには極端に反応する僕みたいなのもいますしね。
 「愛されるのも愛すのも怖いのだ」という彼女の一言は、誰しもコミュニケーションの中でぶつかったことのある問題かもしれません。どちらの愛の量がぴったりになることは難しい。

 僕は有島武郎の「惜しみなく愛は奪う」の岩波文庫版の82ページに記されている「愛は自己への獲得である。愛は惜しみなく奪うものだ。愛せられるものは奪われてはいるが不思議なことには何物も奪われてはいない。しかし愛するものは必ず奪っている」という言葉を思い出しました。
 僕らファンの側も重すぎる「愛」を推しにおしつけてしまうと、それは「厄介」になるのではと考えさせられました。

 伊藤整の「変容」の中に「愛とは何か、本当は私には分かりません。愛と言うのは、執着という醜いものにつけた仮りの、美しい嘘の呼び名かと、私はよく思います」という言葉がありましたが、「愛」の渡し方を間違えると「執着という醜いもの」になるかと思います。

 僕自身も毎週のように公式ブログについて書いていますが、それが本当に推しへの「愛」になっているのかを考えさせられました。
 ちなみに、僕の好きな詩人萩原朔太郎も「愛」について書いています。
 「愛をもとめる心は、かなしい孤独の長い長いつかれの後にきたる、

 それはなつかしい、おほきな海のような感情である。

 (『萩原朔太郎詩集』「青樹の梢をあふぎて」)より」

 推しが孤独な時、それでも推しを待っている変わらない見方でいられることが「愛」なのではないか、と思っています。
 今回のブログの背景には、実は書いていたブログが、運営からOKが出なかったということがあります。
 「くそう、運営がSKE48の公式ブログに載せられないなら、こっちで文芸誌を創刊して早香先生の作品の掲載の場を作ってやるぜ!うぉおおお!」と謎の野望を抱いていたんですが、これも重い「愛」ですね。
 これからも丁度良い距離感で推していかねば、と反省しました。
 第60回は、少し哲学的であり倫理的である内容でしたね。
 自分の伝えたいことを伝えるために、具体例をいくつも並べながら伝えて行く文章でした。
 そして、アイドルとファンとの関係。
 丁度、良いお互いの「愛」の量について考えさせられました。ううむ、僕も考えなおさねば。

 

 第61回「誕生日」と「大人」

 第61回のテーマは「成人」。
 ついに本日、2021年9月19日に20歳の誕生日を迎えた早香先生。
 まずは子供の頃に想像していた20歳の自分と現実の自分のギャップ。
 確かに、子供の頃の20歳って凄い大人に感じてましたよね。よくNHKの大河ドラマを観るんですが、主人公たちの年齢と成し遂げたことを考えるだけで、クラクラします。
 話を戻すと、早香先生も「立派な大人」になっているのでは、と想像していたんですが、頭の中に浮かんだのは「食への愛と貯金」。ダサいと切り捨てつつも、それは実は良い点だと肯定します。
 そして、思考から行動へ。
 20歳の瞬間は、コンビニでアルコールを購入します。
 年齢を重ねることで手にできるものの一つがお酒だと思いますが、大人になる通過儀礼を超えたように幸せに夜道を歩く早香先生が目に浮かんできます。
 次に彼女に20歳を教えてくれるのは、税金。
 法律というものを言わないですが、確実に課せらるもの。
 そんな税金すらも彼女を大人と認める印。
 ここでも早香先生は嬉しくなります。
 今は、16歳の頃と変わらない自分でも、いつかビールジョッキや赤い口紅という、一般的な「大人」にいつかなっていく。だって、僕らは大河ドラマのように突然、子役から突然大人にはなりません。デジタル時計の数字が変わるようにではなく、アナログ時計のようになめらかに進んでいきます。
 多分、これからの人生で何度も失敗するでしょう。
 「社会」とか「常識」とかいう定規で何度も測られるかもしれません。
 その度に、理不尽を感じたり、腹が立つことがあったりするかも知れません。感受性の高い方なら特に。
 でも、自分の大事な感性から両手を話す必要はないと思います。社会と握手しながら夢とも握手する手段もきっとあるはずだと僕は信じています。
 大人のスタートラインに立った、早香先生の喜びと静かなわくわく感が伝わってくるブログでした。 
 第61回は、いつもと落ち着いた文体でしたね。
 でも、静かな中に大人になる喜びが伝わってきた文章でした。
 20歳になる喜びはみんな一生に一度。
 自分の時はどうだったか、とふと考えさせられる文章でした。


 第62回「アイス」と「難病」

 第62回は久々の創作回。
 謎の奇病「アイスキ病」を主人公が告げられるところから始まります。
 アイスが食べたくなると浮いてしまうという病気です。
 「シンプルかつ厄介な病気」である「アイスキ病」。
 世の中に広がったのが、コロナウイルスじゃなくて、この病気が世界に広がっていれば…。いや、それはそれで大変そうですね。
 起承転結でいえば、まだ「起」のところなんですが、よくぞ思いついたという「奇病」の設定ですね。アイスを食べまくることと、身体が浮くこと。そして、忘れてはならないのが、「何があってもそばに居てくれる人」が、どうこれから物語に作用していくか。
 それは「母」なのか、これから出て来る人物なのか。
 ここから、いったいどんな物語が待っているか、楽しみです。 
 久々の創作回だけに細かいところも見どころ読み応えがたっぷりです。
 まずはいきなり始まる会話が魅力的です。
 もう、なんというかサビ始まりという感じがして、今回のブログでいきなり引き込まれた部分です。
 そして、「アイスキ病」という言葉の響きも良いですね。
 毎回、思うんですが、丁寧な文章や綺麗な文章は訓練によって定着させることはできます。しかし、発想力だけはそう簡単に生まれるものではありません。
 だから、五十嵐早香のブログは、毎回面白いんだと思います。


 第63回「他人からの評価」と「勇気」

 第63回は「他人の中の自分」について。
 冒頭ではまず「力作」を例に出して自分の感じる力作ほど、他者からの評価が低いことを語ります。もうね、これは何かを作り続けている人なら感じたことのあるズレではないでしょうか?
 この現象に名前が無いと早香先生は語っていますが、まさにその通りで「面白い」とか「素晴らしい」の基準値は、人によってそれぞれです。だから、「イマイチ」だと思う作品が評価されることもある。そして、それが評価されるとまた言葉に出来ない「悔しさ」がこびりついていく。
 もうね、読みながら、僕は自分のブログ生活を思い出して泣きそうになっていました。めちゃくちゃ気合いを入れて書いた記事よりも、10分ぐらい軽くラジオで喋った内容の方が圧倒的に閲覧数が多かった時の絶望感(ラジオはラジオで好きなんですけどね)。
 そこから、「他人に求められるもの」を考えないことの難しさ、そして「他人の世界」で生きることを考えていきます。
「他人」の中の自分像というのは哲学でも長年考えられてきたテーマです。
 TOMOVSKYの「カンチガイの海」なんかでも、「僕自身は変わっていないが、『君の中の僕』が変ったこと」が曲の中で描かれています(物凄く好きな曲なので、興味がある方は是非、聴いてみてください)。
 さて、「誰かの世界」に抗うには、勇気を持ってどこまでも突っ走ることを解決策として、彼女は提示します。
 しかし、そこには「どこまで走れば良いのか分からない」という迷いがあります。
 本当にこの道で良いのか、という迷いも。

 このすぐ後に彼女は、すぐに「もうこの道しかなかろうに」と決意します。

 僕はこの決意に言いようのない悲壮感と美しさを感じます。
 そして、「火星」というどこまでも高いところを目指します。
 ここで「酸欠」という、「息苦しさ」を連想させる言葉が登場します。それは創作についてかも知れませんし、配信などで色々な試みをしていくことに対してかもしれませんし、急に注目度が増したことについてかも知れません。
 最後の叫びは、火星に向かう空からか、雲の中からでしょうか?
 僕は夏目漱石の「草枕」の一節を思い出しました。
「雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句は、流れて雲に入って、漂うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡に残るのかもしれない」
 そう「他人」が低い評価をしようが、丹精を込めて創った作品という「声」は残ります。
 今は評価がイマイチの「声」も、必ず聞こえる人はいます。
 1924年4月に自費出版された宮沢賢治の「春と修羅」は、1000冊つくられましたが、あまり売れませんでした。ただ、そのうちの1冊は中原中也が手に入れ、彼を大いに刺激します。宮沢賢治は残念ながら、それを知らないまま死んでしまいます。
 でも、確かに彼が作った「声」が聞こえた人がいたんだと思います。
 ショウペンハウエルの「読書について」の中で「熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる。食物は食べることによってではなく、消化によって我々を養うのである」という箇所があり、僕は気に入っています(岩波文庫の訳なので、他の出版社の全集だと違う表記かもしれません)。
 彼女が作るものとじっくりと向き合って、丹精を込めて書いたものを一つでも時間をかけた箇所や頭を使った箇所、愛を込めた箇所、犠牲を払った箇所から聞こえる「声」を、聴きわけられる耳を持ちたいと改めて思いました。 
 第63回の文章は、本当に近代文学好きの方にはたまらない内容だったんじゃないでしょうか。創作と評価の関係、でも、少し破滅的な強がりを言いながら、自分の信じる道を走る彼女の姿を連想してしまいました。
 作品というのは、観客が触れて初めて完成という映画監督がいましたが、「他人」の評価軸なんて本当に難しいものだと再認識させられます。
 そして、「火星」からのくだりが本当に大好きです。
 きっと、彼女を「酸欠」で殺さないように出来るのは、運営の皆さんであり、メンバーたちであり、僕らファンではないかと思っています。
 

 第64回「買い物」と「ハプニング」

 第64回のテーマは「買い物」。
 今回の「五十嵐の独り言」はエッセイ回ですね。
 ちなみに、タイトルにくっつける「五十嵐」と「はやか」と「早香」の使い分けもいつか考えねばと考えている今日この頃です。
 まずは早香先生がブログを書いている時間から始まります。なんと午前4時。ううむ、「ゲゲゲの鬼太郎」のオープニングみたな妖怪時間になっていますね。ちょっとだけ心配ですが、静かな時間にひっそり最近のことを思い出す感じが良いですね。
 そして、「五十嵐健全化計画」という強烈な8文字が登場します。思わずネーミングセンスに笑ってしまいました。そうか、例の件をうまくこれからの配信のコンセプトにしていく姿勢は流石です。
 今回は買い物に行く早香先生が、ハプニングに出会っていくんですが、買った物とその時の彼女の気分に注目してみましょう。
 ① 月刊ムーのTシャツ
 いやあ、これ、僕も欲しいんですが、田舎だから「ある量販店」が無いんですよ。だから、通販で手に入れるしかないか、と思っております。お店の演出や誰一人としてそこを見ていないこと、周りの視線。「月刊ムー」の異質感が伝わってきますね。
 こちらをゲットした早香先生の気分はおまけのキーホルダーもあり「アゲアゲ」です。

 ② 写経セット
 店員さんの「え…」から「月刊ムー」とは違ったベクトルで異質感があるのかもしれません。多分、お坊さんとかがご老人が買い物にきたらまた違うんですかね。
 別の書店の文具コーナーまで行って発見した写経セットに、早香先生はツチノコというムーに関連深い生き物を発見したような喜びを感じます。

 ③ スーツ
 こちらは別の日に買いに行ったスーツなんですが、外国人の店員さんとのやりとりが良いですね。最初は「気分が上がり」、ルンルン気分で購入しますが、カード作りやアプリのダウンロードまですることになります。その後に行った洋服屋さんで、スーツが半額以下で売っていたという衝撃。気分が最高潮に下がったまま何軒かハシゴします。
 帰りの電車の中で見た自分の顔が死んだような顔になっていました。
 ううむ、異質感のあるものを買いに行った時は、ルンルンで帰ることができたのに対して、スーツだと疲れてしまったというのは、早香先生が好きなものとの関係もあるような気がします。

 是非、「誰か」とも買い物も試してブログに書いてみて欲しいですね。こういう配信の裏側を楽しめるブログも良いです。
 それから写経配信も拝見したんですが、個人的にはラジオ配信的で大好きです。なんとなく、早香先生の中の語彙力に突然変異が起きるのではとも思っています。
 この1か月で毎回違うジャンルのブログを書いてきているますね。次はどのジャンルかこれまでの続きが来るか、楽しみです。 
 第64回の文章は、構成の妙ですよね。
 何をオチに持ってくるか、どんな並べ方をするか。
 個人的には最初の時間と静けさを連想させる始まり方が好きです。
 突然ノイズ的に入ってくる外国人店員さんの方かな表記も良かったですね。あれ、何か良くないことが起きるかもという不穏感がありました。
 

 第65回「トーク会」と「はじめまして」

 第65回は「トーク会」がテーマの独り言回です。
 初のトーク会に挑む早香先生ですが、配信とは違う緊張感が冒頭の2行目で伝わってきます。
 配信のアバターでしか知らない方々と、リアルで会うという体験。
 僕も以前、Twitterでフォローさせていただいている方々と1対1で60分間雑談をするというイベントをやったことがあるんですが、「あ、あなたが…」という嬉しさがあります。
 誰もいなくなった時に「また来たよー」と言ってくださるファンの方の優しさたるや。今、田舎住みでなかなかイベント現場には行けないんですが、昔、よく見た光景ですね。そんな方々の優しさに、読みながら思わずニヤニヤしてしまいました。
 そして、早香先生が反省している「相手が話すまで待てば良かった」とか「時間が足りなかった…」というのは、我々ファンも感じていることではないでしょうか。

 そう考えると、握手会に来る我々を待つメンバーも同じ気持ちなのかな、とふと思いましたよ。
 あと、ファンの方の声が聴こえなかったというのは、会場の音だったり距離だったりが関係しているのかな、ともふと思いましたよ。
 後半からは、ケータリングに関することなんですが、早香先生の食への欲求、略して食欲にホッとすると共に笑ってしまいました。一緒に笑ってくれた熊ちゃん(?)の優しさを感じると共に、コンタクト無しでその他のことは大丈夫だったのか、という微かな心配もあります。
 ううむ、いつか早香先生と生で会ってみたいな、と思わせてくれるブログでした。書き忘れてましたが、ファンの方のことをメモする姿勢も素敵ですね。
 第65回は、トーク会の楽しさが伝わってくる独り言回でしたね。
 毎回、独り言回では、早香先生の暮らしや考えていることが伝わってきて好きなんですが、今回はSKE48のトーク会イベントですね。
 個人的には、ファンの方の声が「聴こえない」ことがあったり、メンバーの顔が「ぼやけている」ことがあったりと、まだまだ「SKE48」のリアルイベントにおける輪郭がぼやけているのかな、と深読みしてしまいますが(考え過ぎ)、ちょっとずつ経験を積んで、色々なことが明確化して行くのかな、と感じています。

 第66回「父」と「好奇心」

 第66回のブログは、お父様の様子がおかしいぞ、という内容から始まります。
 最近、クマが好きとお母さまから聞いた早香先生。
 youtubeで熊の動画を観ているお父様。
 熊にドハマりして、目を輝かせながら熊について語るお父様。このあたりは、何かオカルトについて語る早香先生に通じるものがあるのではと思います。
 「元々変だったから」というお父様への評価も面白いですね。

 そして、「鬼滅の刃」の映画を観て「このノリ苦手だな」からの数日後の「鬼滅の刃」を読んでハマるお父様。
 個人的には、社会現象になったのは、映画「鬼滅の刃」ブームというよりは「鬼滅の刃語り」ブームじゃないかな、と分析しています。
 あと、お父様の好みのアニメ、良いところを押さえてらっしゃいますね。

 最後に用事以外のLINEは送らなかったのに、ラーメンの画像を送ってくるようなったこと。
 この3つから見えて来ることは、早香先生のお父様の年齢がおいくつか分かりませんが、いくら年齢を重ねても感性が鈍くならずに好奇心を広げられることです。
 人間は何歳になっても常に変化していけるんだなあ、良いお父様をもっているなあ、と感心した回でした。
 第66回は、お父様の変化がたんたんと描写されつつ、要所要所でお父様の柔軟さを感じさせられるように書かれています。
 次は、「かとゆい観察日記」のような一味違う文体でじっくりと観察する文体でも読んでみたいですね。

 

 第67回「一人暮らし」と「派生」


 第67回のテーマは「一人暮らしの生活」。
 今回は、早香先生が自分の暮らしを振り返っています。
 振り返る原因になったのは体調の不良。彼女のモバメを取っているんですが、時々心配になることがありました。

 今回の内容は、五十嵐早香という要素を外して一人暮らしの若者の生活として読んでいただいても楽しめる内容になっているかと思います。
 かくいう僕も今年の始めぐらいまで一人暮らしをしていたんですが、無職になるとこんな感じです。深夜が活動時間帯になりがちですよね。誰もいない静かな町を歩き、みんなが動き出す頃に眠るというね。社会復帰するためにオールをするというのもめちゃくちゃ分かります。
 早く早香先生の体内時間が元に戻って欲しい。
 そして、今回のブログから感じるのは、生活の中にある「連想」です。家に帰って誰かの声が聴こえたら、ペットとアイドルは似ているのでは?それぞれが次のブログへの派生が生まれています。思考のより道が垣間見えます。
 この辺りは書きながら様々なアイディアが生まれて行く過程を見ているようでワクワクします。いやあ、もっと色々なところに思考の寄り道しながら次の面白いものを生み出して欲しいですね。
 第67回は独り言回。
 内容が一人暮らしを語って行くというものなんですが、もう、一人暮らしあるあるが満載です。
 昼夜逆転生活と最高の毎日。
 多分、創作者としては大正解という気もするんですが、健康面ではちょっと心配という気もしています。
 彼女自身もそれを認識していることがちゃんと述べられていましたね。何気ない一人暮らしの料理や行動から違う何かを派生させられていくのが、彼女の素晴らしさではないでしょうか。
 ちなみに、モバメでお馴染みの「頑張り」のあとに単語をくっつけるシリーズがついにブログにも来ましたね。これかららも頑張りマンモスしてほしいです。気になる方は是非是非、モバメで確かめることをおすすめします。なんちゅう単語をという面白さがありますよ。

 第68回「一筆書き」と「自由」

 第68回は「水没」がテーマです。
 ブログの締め切り前だというのに書きあがっていない早香先生。「今から書くことは一度書いたらもう消せない縛り」をします。しかも、それが最近続いていたことが今回のブログで明らかになります。ただ、追い詰められた時に出て来る言葉って勢いがあるんですよね。
 それから、「孤独のはやか」について書かれています。ご時世的に外に出にくかったですが、そろそろ新しい食体験ができるかもですね。
 今回のブログでは早香先生がとにかく、水難に合い続けます。スマホをトイレに落としてしまし、飲んでいたお茶も盛大にこぼします。しかも、そのレベルは体を温めてくれるはずの肌着であるヒートテックが塗れてしまっているというから、よっぽどですね。
 そんな中、時間だけは彼女に迫ってきます。それは、近い将来の時間であるブログの締め切りだけでなく、翌日のラジオの収録、翌々日の生誕祭のスピーチもちょっと先に控えています。彼女のアイドル活動の中で注目すべき日がどんどんと近づいています。
 用意しておいたお父様ネタも不発に終わるんですが、僕からしたら、この追い詰められた早香先生の思考から出る言葉や思考が面白いです。どんなものが土壇場で出て来るんだろうと。
 それは彼女自身も「こうやって書いている最中にアイデアが浮かぶからだ」とブログの豹変の秘密について語ります。そして、これこそが、「書く」ことの楽しみではないか、と思います。
 頭の中に思い浮かんだ何かを言葉でつかまえて、文章にしていく中で最初に思い浮かんだことのその先や違う考えが見えて来る。自分の頭の中を分かったつもりだったのに、書いているとまだまだ何かが出て来る。
 このような書き方は80年代後半から90年代にかけて、純文学の世界では試されてきた手法です。現在もこういう書き方をするという作家さんもいらっしゃいます。
 これからも、時々一筆書きの回があっても良いんじゃないないかな、と思います。
 英語の方に関しては秘密を守る約束なので、詳しくは書きませんが、「By the way did you know that, that I can right literally anything in here coz only few can understand English in Japan?」がすべてじゃないでしょうか?
 どんな言葉でも良い、早香先生が面白いと思える自由な場所や言葉があるなら、僕はそれも使うべきだと思います。
 第68回は、なんといってもいつも以上の一筆書きの文章。そして、そこから漏れてくるブログの構造についての記述。読みながら、さあ、どんな言葉や思考が出てくるんだ、というワクワクがありました。
 そして、英語での表記とその内容は笑ってしまいました。
 自由に描けるのが英語ならば英語で書いて行けば良いと思いますし、タガログ語の方がしっくりくるならば、それも面白そうだと思います。いつか、全編英語や全編タガログ語のブログがあっても面白いのではと思っています。
 あと、生誕祭のスピーチがいったいどんな感じになったのかも気になりますね。答えは金曜日の公演で。

 

 第69回「手紙」と「父の視線」

 第69回のテーマは「父の視線」。
 まずは、先日行われた生誕祭の舞台裏を早香先生の視点から書いていきます。僕もこの日は残業をなんとかくぐり抜けて、時間ギリギリにDMMの前に集合しましたが、研究生たちの熱、観客の皆さんの熱を感じる良い公演でした。

 ミスの多さや足がつったことも書かれていましたが、僕は全く気付いていませんでした。皆さんは気づきましたか?
 そして、お父様からの手紙(ブログでは『スピーチ』と書いています)が大公開されます。

 いやあ、これが良い手紙なんですよ。
 日本を離れたフィリピンでの生活。
 それはすぐに馴染めるものではなく、涙することもあった。でも、ある日勇気を出してコスプレをしてみた。それが今のエンタメ業界へつながる第1歩になった重要な一歩だった。まず、僕はこの日の早香先生を想像するだけで泣きそうになりました。The Pillowsの曲で「アナザーモーニング」という曲がありますが、まさに早香先生にとってその日の朝は、新しい誕生日だったのかもしれません。
 運命的に日本でSKE48のオーディションを知り、見事に合格した奇跡。
 そして、2年目の「人生最大の挫折」。
 もう、ここでのお父様の言葉が全部、心にささって、もう涙でしたよ。娘の焦燥がわかるからこそ、何かしてあげたいけれど、慰めるしか出来ない。しかし、お父様の経験からいくらでも取り戻せるし、同じ境遇になった仲間にアドバイスも出来るようになるという未来への希望を持てる言葉。20年間見てきたからこそ信じられる彼女の底力。
 本当に良いお父様を持たれた、と感動しました。
 ゆっくりと前に進んで行って欲しいというのは、僕も同じですね。
 最後のお茶目なところはクスリとさせられました。
 さて、これに対して、早香先生の「愛してるぜっ!」も好きなんですが、手紙の前の「すまんな、父。ありがとう、父」が照れながら言っている早香先生の声が聴こえてきそうでうるっとしました。
 なんか、今週は「ぐっと」とか「うるっと」ばっかりなんですが、たまにはこんな週も許してください。それぐらい良かったんです。
 来年の生誕祭では、だれからの手紙なのか。
 できたら、今年よりも沢山笑ってほしいなあ、と思います。

 第69回はなんと言ってもお父様からの手紙ですよ。
 僕は手紙を読むのも書くのも大好きでして、メンバーの生誕祭で読まれる手紙も本当に好きです。
 何故手紙がすきなのか、というと、ブログのようにオープンで多くの人向けに書かれたものではなく、ある一人の方に向けて書かれているので、使う言葉がより個人的なものになることがあるからです(複数の方向けの手紙もありますけどね)。
 今回の手紙も僕らが知らなかった早香先生の時間と呼び掛けるような優しい言葉がよかったですね。
 ファンの僕らが見るアイドル五十嵐早香像ではなく、20歳の娘である五十嵐早香像が見えましたね。
 来年の生誕祭は、誰の手紙でしょう?

 第70回「家系ラーメン」と「持ち時間」

 第70回は、久々の「孤独な、はやか」回です。
 早香先生が一人孤独にご飯を食べにいって、訪れた先のお店やご飯、そして、食を通して生まれる自分の内面の変化を書いて行くシリーズですね。
 今回はオフィス街にあるラーメン屋さんにやってきた早香先生。
 お店の看板や内装、かかっている音楽、券売機がお店の情報として出て来るんですが、皆さんはどこか分かったでしょうか。名古屋にお住いの方は「もしやここでは?」と推理できるのかもしれません。ううむ、羨ましい。
 さて、ここでお店に着くまでで少しだけ書かれている箇所が印象的でしてね。
 サラリーマンに混ざって食べるのが苦手であるというところです。何故なら「私と違って時間が無いから」と早香先生は書いています。確かに自分が今、どんな役割をしているかで、食事をする時の持ち時間は変わってきます。
 早香先生が店を訪れたのは15時頃ですが、平均的な勤め人ならば12時頃からお昼休憩があります。与えられた時間はだいたい60分間、オフィスへの行き帰りの時間を考えるともっと少ないかもしれません。
 後から来たサラリーマンが、自分よりも先にお店を出て行くことを早香先生は心苦しく感じると書いていましたが、早く食べてさっさと出て行くのはお店的にはありがたいし、待っている人にも嬉しいですが、食べるスピードは人によって違います。
 ここまで書きながらふと考えたのが、自分の出先での食事時間はどれだけなんだろうということです。いや、もっというならば、ちゃんと食事として味わっている機会ってどれだけあるんだろう、ということです。早香先生のようにブログに書くことを前提に食事に向かった時に得られる体験と、平日のお昼の時間に食べる時に得られる体験に差はないだろうか、もっというと「作業」になっていないだろうか、と久々にこのブログを読んで思いました。
 さて、話をブログの内容に戻すと、ラーメン屋に流れるオペラ調の曲に違和感を覚える早香先生。昔、大阪にだんじり祭りにまつわる「ケヤキの神」が流れているラーメン屋さんの情報を聞いたことがあるんですが、ラーメン屋さんの懐の広さって凄いですね。ちなみに、京都の四条にあったおいしいつけ麺屋さんは、つねに三味線がBGMで流れていました。
 で、やってきたラーメンがまた美味しそうなんですよね。この辺りの演出の良さは後ろの章で書くとして、早香先生の麺を最後の1本まで食べて行くスタイルが書かれます。
 早香先生が食べている間にも、後から来たサラリーマンがラーメンを食べて出て行きますが、僕も14時出社、22時退社の会社で働いていた時は、この時間ぐらいにまとめてご飯食べてましたねえ。空いてるし、ちょっとゆっくり食べられるから良いんですよね。
 ブログに戻ると、早香先生がお店を出ると秋の日はつるべ落とし、あっという間に夕方です。
 この濃いラーメンがサラリーマンたちの力の源になっているのでは、と思いを馳せる早香先生。
 「お疲れ様でした」と書いていますが、毎日、忙しい中、こんな素敵なブログをいつもありがとうございます、と感謝したくなる回でした。
 第70回は、久々の孤独の早香回。
 構成の工夫で面白く感じたのは、写真の使い方ですね。
 最近は文章で引っ張って行く回が多かったのですが、今回は素晴らしいタイミングでラーメンの写真が登場しましたね。
 料理を味わう文章だと、僕は池波正太郎をよく連想するのですが、作品の中でその料理がその土地でどんな風に愛されているのか、他の地域との違いは何か、という書き方を「剣客商売」などで何度か読んだことがあります。
 今回のお店でいえば、麺の短さがそうですね。
 ただ、お店の違和感は更に詳細に描かれていて、流れるオペラ音楽と小さな店員さんの声。
 もし、心当たりがある方は、是非、お店まで足を運んで今度は自分の味覚で体験してみてほしい(少なくとも僕は行ってみたい)、ミメーシスを呼ぶ回でした。 


 第71回「特別な場」と「青春」

 第71回は「独り言」回です。
 まずは、前回の振り返りからなんですが、「孤独の、はやか」なのか、「孤独な、はやか」なのか、というタイトルの差異から始まります。
 元ネタ「孤独のグルメ」に寄せていたところもあったんですが、これからは「孤独な」という形容詞で行くことが決まりました。
 個人的には「孤独の」の方が古典の土地とか人の名前っぽくて好きなんですが、「孤独な」も雰囲気があっていいですね。なんとなく夕陽の商店街に早香先生の後ろ姿を想像してしまいます。
 更に11月19日はフォロワー6000人記念SHOWROOM配信もあるそうです。なんとメイド服でオムライスを作るそうですよ。まともな配信宣言をブログには書いてくれていますが、もはやちゃんとした振りを置いてきてくれたのでは、とちょっと期待しています。
 最近、仕事やらブログの調べものやらで配信に参加出来てないので、明日は僕も参加したいと思いますよう。
 色々とお知らせが続きましたが、これが凄く嬉しくてですね(しみじみ)。ちゃくちゃくとアイドル活動を進めてくれているなあ、と感じます。ただ、早香先生のことです。進めて行く活動の中でまた新しいムーブメントを作って欲しいと願っています。
 後半は、生誕祭のスピーチのメモですね。
 生誕祭という特別な機会だからこそ、普段は照れくさくて言えないことを語れることがあるなあ、と改めて思いました。
 お父様の手紙と合わせて読むと、お互いのことを大事に思っていることが、ちゃんと伝わってきます。改めて前々回の早香先生のブログを読んでみてください。
 そして、自分のことが好きではないが、信頼しているファンのみなさんが自分の事を好きでいてくれるので、少しは自分に自信が持てるようになったこと。そして、失敗を恐れて無難な人間にならずにカオスと笑顔で生きて行くという箇所はハイロウズの「青春」の「混沌と混乱と狂熱が俺と一緒に行く」という歌詞を思い出しました。できれば僕もファンの一人として、「混沌と混乱と狂熱」の一部になりたいなと思いました。ううむ、そう考えると、SKE48をしている今が早香先生の「青春」なのかな、とも考えた回でした。
 もうこのシリーズも14回目になったんですね。
 前半は様々なお知らせが続きますが、後半の生誕祭スピーチの骨組みメモがなかなか素敵でしてね。
 構成は自分のことから始まって、徐々にファンの皆さんへのメッセージに変わって行く構成でしたね。
 DMMのアーカイブで、改めて生誕祭を観てみるのも良いのではと思います。
 

 第72回「覚える」と「記憶に残す」

 第72回のブログは、前回に続き独り言回。
 今回はトーク会での出来事です。
 アイドルになって待ち望んでいたトーク会は、早香先生にとっては、恐れていたものでもあったそうです。なぜなら、「覚える」のが苦手だからです。この気持ち、凄く分かります。僕も文学者や哲学者、画家や映画監督の名前はすぐに覚えるのに、周りにいる人間の名前や誕生日をすぐには覚えられません。わりと付き合いが長い方々のものも。
 更に、メモを走り書きして、後から読めなくなるのも、「凄く分かる!」と共感の嵐でした。初めて入った会社で小さいメモに色々と走り書きするんですが、あとで読み返そうと思っても、断片的にしか覚えていないこととかありましたねえ(遠い目)。
 そして、彼女に降りかかる「名前、覚えてる?」という言葉。まず、令和にもなってこんなカスタマーハラスメントみたいなことしてる人って、まだいるんだ、という驚きがありました。お金を払って買ったトーク券なら何を言ってもいいわけではないんですが。勿論、メンバーとの信頼関係が出来た上での「遊び」なら全然良いと思うんですけどね。ブログを読み進めると、彼女の負担になり過ぎていないか、心配になります。
 そして、SNSでエゴサーチした時に早香先生が感じる複雑な気持ち。「被害妄想」と書いていましたが、ファンには単推しもいれば、1推しから70推しまでいらっしゃる方もいます。DDの方も。
 自分の為に時間を作ってくれることが嬉しいと書いてくれていますが、ここの文章が凄く良いので後の章で書きたいと思います。

 Twitterなどのタイムラインに握手会のレポートはよく上がってきますが、少なくとも僕のフォロワーさんには「名前覚えた?」的なことをする人はいないようですが、もし、本気で覚えて欲しいなら、メンバーのプレッシャーにならない覚えられ方がいくらでもあるのではと思います。
 たとえば、僕は一度も彼女のトーク会やオンライントーク会にも参加していませんが、彼女は僕の名前を覚えてくれていますし、ありがたいことにブログも読んでくださっています。
 でも、一度も覚えてくれとは言っていません(『覚えていてくれ』というややこしい名前ですが)。自然と「記憶」に残っていた。
 彼女は「覚える」ことは苦手だそうですが、それでも「記憶に残す」為に懸命に努力していくことでしょう。
 僕個人の考えを書くと、ファンの名前を覚えることは握手会や配信では重要なんでしょう。でも、アイドルとしてこれから躍進していけば行くほど、ファンの数も増えていくと思います。その数に見合った「覚える」努力をしていくことになるので、負荷は大きくなるのではと思います。別にファンを覚えることが全く必要ないということではないんですが、それが全てではないよ、というところでしょうか。
 今のSKE48は握手会の売り上げが選抜への指標として、わりと大きなウエイトを占めているのでは、と推察しています。だから、握手が強いメンバーが選抜に入る。ファンもみんなで買い支える。でも、それとは違うブレイクスルーが彼女なら出来るのでは、と可能性を感じているんですよね。
 上記のことはあくまで僕の考えです。
 誰かの考える物語に収まらず、早香先生自身の物語を描いて行って欲しいです。だって、どのファンの言葉よりも、早香先生の言葉の方が面白いですもん。だから、どうか誰かの価値観だけに縛られず、自分のやり方でSKE48でのアイドル人生を楽しんで欲しいな、と思います。そして、僕もファンの一人として、彼女のサポーターでいたいと思っています。
 第72回は、トーク会という体験から生まれる感情の機微が丁寧に描かれています。特に素晴らしかったのが、トーク会後のSNSでのエゴサーチでの「被害妄想」の描写。他の女の子の写真と「この子たちは名前を覚えてくれている」というメッセージが聴こえて来るかのような表現。いやあ、メンバー側からみたら、こんな風に感じるのか、という発見がありました。「掛け持ち可」と書いているものの感じてしまうアンビバレントな感情。この辺りは本当に丁寧で素晴らしい心情表現だと思います。
 そして、トーク会に来てくれるファンの方への感謝の文章の描写も本当に良くて、レーンの長さを入れることで(しかも『長い』という言葉を繰り返す)、レーンへ向かって歩いて行くファンの方の姿を、上からのカメラで想像できました。何気ない一部分ですが、いれるか入れないかで全然違うと思います。前の段落での「妄想」から生まれる不安を「想像」によって喜びに変えて行く。この構成も本当に素晴らしかったです。
 凄い単純な感想になりますが、この人の真っすぐな気持ちにちゃんとファンとして何か応えたい、そう考えた回でした。

 

 第73回「本気」と「ギリギリ」と「ラーメン」

 第73回のブログは、独り言回。
 3週連続で独り言の形式で書いていますが、取り上げている内容は、第71回が生誕祭、第72回はトーク会、そして今回は特別公演やラジオ仕事と、以前の独り言シリーズが何気ない日常でのことが多かったのと比べると、アイドルとしての活動がメインに書かれていますね。
 さて、今回の「特別公演」の内容に関しては、当初、「えちえち公演」と6期生の北野瑠華さんがテーマを語った時は、「ううむ、大丈夫か?マネージャーさんから止められないか?『SKE48とは何か考えてください』って言われるんじゃないか?」と心配したんですが、無事に公演を終えましてね。
 今回のブログで一番気になった表現が「本気を出さない」です。補足しておくと、露出度の本気です。先輩と衣装さんと相談したとあるので、いつか来るグラビア仕事の時を期待したいと思います。
 ちなみに、露出度に目が行きがちですが、公演曲の選曲も欲、「パジャマドライブ」でのセンターも、いつもの公演曲とは違う早香先生が観られて、こういうイベントは今後も続けてほしいですね。
 そして、12月16日の下北FMへのアシスタント出演、これも嬉しいですね。恥ずかしながら、前回の早香先生出演回で初めて下北FMを聴いた(正確にはアプリで観た)んですが、凄く良い感じの番組で是非定着してほしいな、と思っております。ううむ、番組からメールテーマが提示されたら何か送ってみようかしら。ちなみに、僕のメールの癖は「全部教えてください」と質問メールに書きがちです。
 ここで「プロはギリギリを攻めるのが上手い」と書いていましたが、ここも面白い発見だと思いました。「オードリーのオールナイトニッポン」では、若林さんがよく番組中にプロデュサーの石井ちゃんやマネージャーのDちゃんに確認しつつもギリギリの線を結構攻めていることが多いですね(情報解禁日守らないとことか最高です)。早香先生も色々な場に出て、是非是非自分のボーダーラインを見つけて行って欲しいです。そうして、ボーダーブレイクも時々してほしいとも。
 最後は「ベトコンラーメン」について何ですが、びっくりするぐらい食についての知識がない僕は、当然こちらのラーメンも知らなくてですね。「ベストコンディションラーメン」の略だったんですね。
 店内で突然SKE48の曲がかかって嬉しかったと共に恥ずかしかったというのも、素敵なお店の仕様ですね。レジ前にSKEグッズがあったり坂本真凛ちゃんが立っていたりと、早香先生をきっかけに行ってみたい場所がまた一つ増えました。「孤独な早香」シリーズにこのお店も加わるのも楽しみです。
 今回は3つのトピックに分かれていましたが、いずれもこれからが楽しみになる内容ばかりです。近い将来といつか来る未来。全部、目撃できればいいなと願っております。 
 第73回は、3つの部分に分かれた内容なんですが、とにかく写真が凄い!いつも私服の写真だったり、食べ物の写真だったりを見慣れていたので、今回の衣装写真は衝撃でした。早香先生、落ち着いたトーンの私服が多いですが、サンタ衣装のような「赤」も似合いますね。これからも様々な衣装を着て、新しい発見を沢山していきたいです。
 えっ、いつもより短い?
 いや、写真の力って大きいな、と今回のブログは思ったからですよ。
 

 第74回「味変」と「豊かさ」


 第74回は「孤独な、はやか」回です。
 前回の独り言で、ラーメン屋さんに行った話がトピックの一つとして語られていましたが、その体験を「孤独な、はやか」文体で再構築されていきます。
 読んだ感想を率直に書くと、「食べる」という体験は、「食べ方」でこんなに豊かになるのか、と感じました。
 というのも、以前も書いたかもしれませんが、このブログを書いている僕は早香先生に出会うまでは、「食べる」ということにそこまで興味が無かったんですね(好きな食べ物もありません)。しかし、早香先生のブログを読むと、食べ物との向き合い方が、「食べる」時間の使い方が圧倒的に豊かなんです。
 特に今回は、久々に食べられる野菜増しのラーメンの喜びがガンガン伝わるので、余計に豊かさを感じるのかも知れません。
 ただ単に具を食べながら麺をすすり、スープを飲むのではなく、自分で麺や味のタイプをコントロールする。ラーメンを食べていくだけなのに、今回のブログは読んでいるこっちもラーメンを食べたくなるぐらい早香先生の楽しい気持ちが伝染してきます(実際、僕はお昼ご飯をラーメンにしました)。
 特に面白かったのが、味変に関する工夫ですね。その前の「天誅返し」という技も面白かったんですが、味変の盛り上げ方が凄く良くてですね。
 「なんとも言えないぼやけた味」の前半戦から、火がついたように「味がはっきりする後半戦」と、ラーメンを食べるのに前半戦と後半戦があるのかい!と衝撃を受けました。また、ラーメンのカスタム自由性も感じるんですよね。
 最後まで読むと、ふと、自分にとって食べ終わった時にもう一度食べたいと思った店はどれぐらいあるだろう、と思います。このブログを読んでいるあなたにもあるでしょうか?

 早香先生のラーメン愛とそのラーメンを食べる時間や場所の豊かさを感じつつ、読み終わる頃に良い疑問が生まれた回でした。
 第74回の「孤独な、はやか」回は、文体からも早香先生の楽しい気持ちが伝わってきます。おそらく、食べている時も笑みがこぼれる瞬間があったのでは、と場面を想像しながら思います。 
 そんな中、一番しびれたのは、ラーメンがテーブルに来たときの「高々と盛られたもやしが一瞬揺れた」という表現。写真もブログの中にあるんですが、この一文だけ揺れるぐらい盛られているのか、という驚きとラーメンという本来静止している物なのに躍動感を抱ける面白さがあります。
 また、名残惜しくて、スープをなんでも飲むという行為のところも凄く良くてですね。ここがあるのとないのでは、心情の変化が弱くなってしまうとも思います。
 そう、この「孤独な、はやか」シリーズは、早香先生の内面の変化も楽しめるんですよね。
 ううむ、早香先生と「食べる」という行為や時間の相性は良いのかもしれません。次は何を食べにいくのか、楽しみです。
 
 

 第75回「空白」と「罪悪感」

 第75回は、正規メンバーに昇格した2021年12月20日の新世代コンサートとその前日にスポットを当てた回です。
 まず、書き出しが良いですね。
 「人生トップクラスの過ち」とは何のか、という縦軸が生まれます。
 ちゃんとした朝食を久々に買った早香先生の爽やかな描写がこの後の過ちの良いフリになっていますよね。
 そして、遠くにいる同期に合流する直前で自分の忘れ物に気づきます。
 なんと家にキャリーケースを忘れていた彼女は「先輩や同期の目線」を気にする余裕もなく猛スピードで家に戻ることになりました。
 皆さんも人生の中でこういう失敗ってしたことないでしょうか?
 そして、部屋のど真ん中に置かれたキャリーケースに対して書かれた「なんでこんなところにいるんだよ」。これが後でじわじわ効いてきます。
 同期の仲間たちとではなく、新幹線の中で一人「冷めきった朝食」を食べます。朝食は冷めていてもおいしい。
 結局、色々な偉い人達の前で謝る早香先生。
 この時、額には汗がじんわり落ちています。
 ううむ、繰り返し書きますが、皆さんも人生の中でこういう失敗ってないでしょうか。

 さて、翌日。
 「今まで食べてきた弁当で一番うまい中華弁当」を完食して、コンサートへ向かいます。
 無事にコンサートは進み、いよいよ研究生の昇格が発表されます。
 この時の同期のソワソワと他人事の早香先生のニヤニヤの対比からのチームK2に自分も昇格したことへの困惑。
 そして、同期たちが涙を流している中、彼女の顔にあるのは前日と同じくやはり「汗」です。

 前日は、遅刻した焦りや申し訳なさの「汗」と仮定すると、今度の「汗」も何か申し訳なさのメタファーにも僕は読み取れます(大前提としてコンサートの汗でもあるんですよ)。
 それは、「自分が昇格していいのか」という申し訳なさではないかと思います。
 同期たちの中に交差する昇格に対する意味と思いたち。
 じゃあ、彼女はその真逆でしょうか。
 この辺りは最近、SKE48や早香先生に触れた方の為に補足しておくと、彼女は約半年間の休養期間があります。これを念頭に入れて置くと、この後の展開もより分かりやすくなるかと思います。

 楽屋に戻ってもろくにまだ先輩と関わった経験がない彼女には「1人の地獄の時間」になる、「居場所がない」ことを感じて、トイレに彼女は向かいます。
 そして、このトイレという一人になれる空間、コミュニケーションが、一旦断ち切られる「空白」の中で、彼女は涙を流します。
 入ったばかりの頃も、みんなの前で泣くのではなく、一人で泣いた彼女。
 自分の弱さをかんじます。
 みんなと一緒に泣く権利もなく、みんなの前で泣く勇気もないと。「ガチ泣き」してる人がいたら迷惑だとも。
 そう、彼女の涙は、同期たちのようなうれし涙ではない、ということがここまで読んで見えてきます。 

 結局、彼女は帰りのバスの中でも好きな曲を聴いて泣いてしまいます。
 SKE48メンバーにとって「大切な日」である昇格した日。この日を次に思い出すのは、またトイレで泣く時かそれとも遠い日のことといえるぐらい先なのかと思いを馳せます。
 最後にオチのように前日のキャリーケースを忘れたことについて、最初の書き出しをきっちり回収して第75回のブログは終わります。
 研究生時代の終わりを描いた素晴らしい回でした。
 まず、今回を通して意識させられるワードは「空白」です。忘れ物という物質的空白、休養期間という時間的空白、トイレというコミュニケーション間の空白。
 様々な「空白」を読みながら意識させられました。
 いずれの「空白」も彼女に孤独やそれに近い状況を与えます。
 この「空白」が読んでいて、とても辛くなり、泣きそうになります。
 自分が本当に昇格していいのか、という罪悪感。
 多分、これは簡単に消えるものではないと思います。
 人によっては、まだ昇格は早いという方もいるかも知れません。全員昇格のためだろ、と。心無い言葉を書く、人生の中で固有名詞になれなかった名前の無い人達もいるかもしれません。
 それでも、活動しながら評価を変えていくしかないと思います。僕は早香先生推しなので、充分に正規メンバーとしてお客さんを呼べる個性があると思っています。
 彼女のこの葛藤は、これからの活動の原動力にきっとなると思っています。
 第75回は、とにかく構成と細かい描写がうまいです。
 多分、昇格の一日だけを書くことも出来たはずが、前日のエピソードを置くことでより「大切な日」が引き立つことになっています。
 イントロとラストの繋げ方のうまさは勿論ですが、状況はなかなか好転しないのに対して、食べ物だけは彼女を裏切らず、ちゃんと毎回おいしいのも読んでいて面白いところでした。
 汗と涙の対比、同期の涙と自分の涙の対比。
 外の喧騒と内面の戸惑いを意識させられる「いいのだろうか。」の配置。
 自分だけが別の世界に取り残されてしまった感覚を見事に表現していて、ここの一文だけNFTにして所有権をいますぐに欲しいぐらいです。それぐらい一人の人間の孤独と後ろめさが透明に広がっていて、この美しい瞬間を切り取るのが文学だと感じて、僕は涙が出ました。
 誕生日の時の連続BANからの「SKE48とは何か考えてください」といい、今回の昇格発表といい、いつも早香先生の「大切な日」には試練がやってきますね。
 こうして文章に残してくれて、本当にありがたいです。
 公式ブログの最後を飾るにふさわしい本当に本当に素晴らしいビターエンドの回でした。

 

 最終回「アイドル」と「記憶」

 五十嵐早香さんは2022年2月15日に卒業を発表しました。
 最終回のブログは、2月28日、彼女の活動最終日に更新されました。
 そこでは、アイドルになるまでの心の動きと、アイドルになったからの日々がまず綴られます。 
 そして、苦労して手にいれたものを手放す自分を「分からない」と書きながらも、自分の決断を否定したくないことも語られます。 
 それでもアイドルだった2年間、そして自分を推してくれた「みんな」を「おばあちゃんになっても」覚えていると語ってくれます。 
 彼女にとってSKE48がいかに幸せな時間だったかが伝わってきます。 
 それだけでは、ありません。 
 彼女にとって「みんな」と同じぐらい幸せなもの楽しいものがSKE48に加入して手に入りました。
 それは、「書く」ということです。
 文字を書いている時に感情が大きく動かされる。
 この感覚は何か創作をしたことがある人なら、きっと感じるものではないでしょうか?
 この楽しくなって予定とは違うものを書き始めるという行為こそが、創作の面白さだと思います。
 彼女は、あと数時間だけ、SKE48にいる間だけ自分のことを思い返して欲しいと語りかけます。その後は、決してしまっても構わないとも。
 なんて切なくて儚い呼びかけ。
 まるで、アイドルみたいじゃないですか。
 限られた時間の中でファンを笑顔にして、惜しまれつつも去って行く。でも、きっと彼女や彼女の推しだった人の記憶の中ではずっと生きていく。
 こんなのまるで、アイドルです。
 早香先生のことを邪道と語る人もいますが、彼女はしっかりとしたアイドルだったと思います。
 ひょっとすると、明日になれば彼女のことを忘れて、次の推しに行こうする方も居るかもしれません。それを全く責めようなんて思いません。

 それから、最終回は、自分が書くことを今まで以上に意識した回だと思います。
 村上春樹の「ドライブマイカー」の中に出て来る、表現するために一回自分というものを脱色していく、それでもにじみ出てくるものが表現となっていくのと同じ感じがします。
 自分の文章について何度も内省的なことを書きつつ、徐々に核心の部分が浮き上がってくるところが本当に素晴らしかったです。そして、思いました。まだまだ「書くこと」で色々と楽しいことができるよ、と。
 多分、明日から暫くは、聞こえてくるテレビの情報番組の言葉も、読みかけの小説の文章も、映画の中のセリフも、全部退屈に感じるかも知れません。
 だから、早めに次の早香先生の文章が読みたいなと思っています。
 ああ、本当に楽しかったなあ。
 ただ、僕はまだお別れしたくない。
 特に、「書くこと」の楽しさを知った彼女にここで別れたくない。

 そこで、彼女の「書くこと」を守る場を一つ作りたいと思います(紙で一つ、ひょっとするとwebでもう一つ)。多分、2022年2月28日の時点では多くの人が一笑に付すと思いますが、笑わなかった人達と一緒に、笑った人達を良い意味でびっくりさせたいと思っています。
 だから、五十嵐早香さんのことを忘れません。
 むしろ、これからの活動でずっと覚えていたいと思います。

 ありがとうございました。
 あなたがSKE48に居た2年間は、あっという間でしたが、とても楽しくて幸せでした。

 おわりに 

 最後までこの記事に付き合ってくださってありがとうございます。
 いかがでしたでしょうか?
 五十嵐早香という人と、彼女が書く文章のことを考えている時間が、本当に楽しかったです。
 あなたも楽しかったら、凄く嬉しいです。
 でもね、まだまだ彼女の面白さはこんなもんじゃないと僕は思っています。
 だから、もし、彼女が短編集や長編を出したら、またきっとじっくりと読んで、感想を書きたいと思います。評論なんて良いものではないですけど、自分のこれまで勉強したことをフルに活用して、言葉にしてみたいと思います。
 ありがとうございます。

2022年5月7日 
もうすぐ春が終わる夜に「渚のイメージ」を聴きながら。
 

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