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バーで飲む日々から自粛に至るまで

私は都内で会社勤めをしながら休みの前の日には気になったバーで酒を飲む生活をしている。
もう少し若い頃は週5で飲んでいた時期もあったが、今は休み前の週2日ぐらいに落ち着いた。

週5で飲んでいた頃には、近場のバーに行けば誰かしら知り合いがいて、別のバーに行けばまた違う知り合いがいた。朝方にはバーテンダーも含めて一緒に飲むような愉快な日々もあったが自然とそういう飲み方からは遠ざかってしまった。

今は月に1度ぐらい仲の知れた酒好きと2人でバーに行くこともあるが、独りの方が酒やバーと深く向き合えるから好んで独りで飲むようになった。

歳を重ねるに連れて自分の内側に向き合う時間がより必要になり、独りを好むようになったのかもしれない。
バーは観察しながら内省が出来て、意識を外側に向けながら自分の内側とも対話が出来る丁度良い空間なのだろう。

バーで酒を飲むようになって10年ぐらいだが、去年は大阪と札幌への長期出張の機会に恵まれ、見ず知らず街のバーに行くことも多くなった。

最初はバーテンダーも私も知らない同士だが酒を通じて語り合えば、店を出る頃にはある程度気心が知れた仲になり、気に入ればそのバーに改めて足を運ぶことになる。
それは知らない街に酒好きの知り合いが出来たような小さな喜びを伴う日々だった。

帰京してからはバーテンダーの方に「誰の作ったカクテルが美味しいか」を聞き、プロ目線で2人以上名が上がったバーテンダーのカクテルは漏れなく味わいに行っていた。

バーで酒を飲むようになってからの10年間で、まさに今がバーとカクテルへの興味がピークに達している頃合いだった。

そんな中でウィルスが世間の話題を独占し始めた。

幸い私の仕事や収入に影響はなく、私生活の変化はバーへ行くことを自粛していることぐらいだ。元々本を読んだり、文章を書いたりすることが好きだから休日に自宅にいることに苦痛を感じることも少ない。

それを前提として私が飲みに行くことを自粛した心の流れを書いていく。

3月半ばまでは近隣の飲み屋街は賑わっていたし、私も感染リスクよりも自身の生活の楽しみを優先していた。
経済を回すとか、好きな店を存続させたいという意識よりも、バーで酒を飲むことがあくまで自分にとって大切な営みであると自覚していたからだ。

3月末の小池都知事の外出自粛の要請以降に、私の周りでは危機感が1段高まったように感じられた。
その心的背景は自身が「感染すること」から「感染させてしまうこと」へ意識がシフトしたようだった。
言い換えれば被害者になる可能性は自己責任と自分を納得させることが出来ても、加害者となり得ることを踏まえると、店への好意を含め飲み続ける理由を保つことが難しくなったのかもしれない。

私はといえば小池都知事の会見以降、同じく危機感が高まったものの、すぐに自身の生活サイクルを変える決断には至らず迷いに留まっていた。

決断出来ないまま数日が過ぎ、休みの前の日が訪れた。その日は仕事が終わった時点でも迷いが拭えず、迷いを抱えたまま幡ヶ谷のウォーカーというバーに行き着いた。

私の迷いとは裏腹にマスターの渡辺さんは、いつもと変わることなく接客をされ、オーダーが入ったカクテルを淡々とメイキングされていた。

私はウィスキーソーダ、サイドカー(やはり最高に美味しい)ジョ二ーウォーカー黒ラベルの水割りを味わいお会計をした。
渡辺さんは私を見送り、別れ際にいつもそんなことはしないのに握手をしてくれた。
恐らく渡辺さんは、私がこの状況で来てくれたことの思いを伝えたかったのかもしれない。酒に酔っていたこともあり、その握手は私を感傷的にさせた。

その感傷を伴った想いはそのバーに対する好きな気持ちを高めただけでなく、何故だろう、しばらくバーで飲むことを控えようと意識させた。

その時に初めて、もうしばらくバー飲むのは控えようと結論が目の前に現れた。その結論を固めるためにも当面の最後の1杯として、大好きな代々木上原のカエサリオンへ行った。

カウンターに座りジントニックをオーダーする傍らマスターの田中さんは、世間に対する不安や不満を口にすることなくいつも通り飲み手と絶妙な距離で対話をされていた。

田中さんは他のお客様との会話の流れで
「こういう時こそ日頃やってきたことの差が出ますね」とさらりと言っていた。
その言葉は、同業でもなくただの飲み手の私を芯から勇気付け、田中さんのような方が営むバーで酒を飲めていることに喜びを感じさせてくれた。

最後のジントニックはいつもと変わらず「美味し過ぎない」ジントニックだった。

私はその日の帰路の途中、心地好い酔いの中でありながらも明確にしばらく飲みに行くことを控える決意をした。

思えばもう10年以上バーで酒を飲む生活を続けている。バーで飲むことを辞める気は全くないが、その習慣を1度変えて、飲むことを辞めた日々から感じることを大切に留めたいと思った。
そしてその期間に感じ得た感覚と共にまたバーで酒を飲む日々を味わいたいと思った。

結局のところ私がバーで飲むことを控える決断に至ったのは、世間に対しての正さよりも極めて個人的な思いからだった。
それは恐らく積極的で個人的な自粛ともいえるのかもしれない。

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