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仕事にやりがいを感じるとき

 私が仕事を楽しく感じる時はいつも何かを作り出そうと悩んでいたり、程よい緊張感と興奮を感じながら何か新しいものにチャレンジしているときです。でもそれを応援してくれたり見守ってくれる同僚や上司ってなかなかいないものなんです。
 料理人というのはそれはそれはプライドの高い生き物であるのでたとえばインスタグラムの投稿で素人さんの料理がすごく素敵だったり、ほかのレストランで食べたものが斬新だったりしたとき料理人の胸の内は心地悪く泡立ち、焦りと自信消失でいてもたってもいられなくなります。
 料理という物は一日三度、常に日常生活にあるものなので料理人たちは仕事とプライベートを分けることができません。休日や仕事時間外でも常に料理のことを考え続けているのです。
 料理人は他の料理人のインスタグラムを必ずフォローしており、会ったこともない名の売れたレストランのシェフのことをまるで友達かのようにファーストネームで呼び、常にライバル視しているのです。インスタグラムでは新しいアイデアや盛り付け、キッチン風景、たまに垣間見れる家族構成などたとえ交流がなくても軽い友達程度の情報を写真から得ています。
 料理人のライバルは同僚だけではなく料理好きの素人さんからトップシェフまで膨大な数になってしまいます。そんな人たちが集まっているホテルレストランのキッチンでは常に嫉妬や不安でお互い牽制し合っています。

 私が以前ホテルの朝食シェフとして働いていた時期があります。
 当時そのレストランでは朝食シェフというのはレストランキッチンの中では決して優遇されている立場ではなく縦社会の料理人たちからはあまり尊重される仕事ではありませんでした。私がその仕事を選んだ理由は朝は6時から仕事は始まるが昼の2時には仕事が終わること。また、仕事は一人ですすめることができるので誰かとコミュニケーションを取ったり指図されることがない事。他の社員より勤務時間が短い上に給料がよかったことでした。
 そこで私は2年間働くことになるのですが一年くらいたった時、自分の料理技術があまり向上していない事にとても焦りました。
 決められた食材で決められたメニュー、季節感のないメニューを毎日毎日同じ時間内で作り続ける事に苛立ちをおぼえました。
 そこで私は考えました。自分の料理技術を向上させて料理長やほかの同僚たちに朝食シェフという立場を尊重させ、納得させる方法はないかと。

 まず最初に私がしたことはすでにあるメニューの見せ方、盛り付け方をもっと洗練させようと考えました。料理長というのは皆、大体プライドが高く、自分以外のレシピや技術を認めたくありません。自分の上を行こうとする者にはすごくプレッシャーをかけてきます。なのでそのプライドを傷つけないようにゆっくりと盛り付けや焼き加減、料理の出し方を変えていったのです。
 そうしてしばらくたった時、料理長は私をみんなの前で褒めだしました。
 料理人というのはプライドが高いのが普通ですが自分より上の立場の人が
認めた者を足蹴にすることが出来ないというとても封建的な職場なのです。
 そこで私は朝食シェフではありながら少しずつ認められていったのです。

 次に私がしたことは存在するメニューはそのままで少しずつゆっくりとビュッフェメニューを増やしていきました。その速度は本当にゆっくりだったことで皆、いつビュッフェメニューが増えたかということに気づかない程度でした。そうやっているうちに私は自信と欲が出てきてもっとお客さんを楽しませたいと思うようになってきました。

 次に私は大幅な改革をしていきました。朝食ビュッフェに出来たてパンやドーナッツを出すようになりました。これは研究に研究を重ね、どの段階まで前日に下準備ができるか、朝の忙しい時間にどのようにスケジュールを組めばパンを焼いて時間内に間に合わせることが出来るかを考え続けました。
 誰でも知っているようにパンというのは発酵に時間がかかる食べ物です。  
 それによって朝食サービス時間までに出来たて手作りパンをサービスするということは不可能に思われていました。しかし前日の入念な準備と、朝
30分早く出勤することで7時の朝食時間開始までに朝食の準備を終わらせると同時にパンが焼きあがることが出来るシステムを作りました。
 そしてパンの種類はイギリスにはあまり見られない総菜パンや日本のパン屋さんでよく見られるような甘いパンでした。これによって私の評価は爆上がりしました。今まで私の立場に不満のあった同僚たちも何も言わなくなるばかりではなく、地位の低いシェフたちが私を慕ってくれるようになり、私から技術を学びたいと言って私のそばで仕事をしたがるようになりました。一人で仕事をするのが落ち着く私にとってこれは閉口しましたが今までの不遇な対応への悔しさもあってこれには甘んじて受けることにしました。また料理長からの信頼が大きくなり私の意見を尊重してくれたり重要な仕事を任してくれたりとかなり働きやすい仕事場になりました。

 この頃からレストランに寄せられるネットのコメントが多くなり、毎日のようにホテルの朝食に対する高評価が来るようになりました。評価が朝食に対する物ばかりだったためにこの頃から何人かの同僚と間に深い溝ができてしまいましたがこの頃からホテルのオーナやマネージャーが直接仕事を褒めてくれるようになりました。本来ホテルのマネージャーはキッチンには全く顔を出さず料理人と話をすることはほとんどありません。
またオーナーはイギリス国内に5つもホテルを持っている経営者でほとんど
ホテルを訪れる事もありませんがこの頃はかなり頻繁に訪れていつも私の仕事を見るようになりました。

 私はこの時ほど仕事に手ごたえとやりがい感じたことがありませんし、あの時の感動は忘れられません。職場でたった一人の外国人シェフで弱い立場にあった私が遂にイギリスの社会に認められたのです。こういう素晴らしい可能性があるのでその後のどんなに大変で苦しいキッチンの仕事でも続けていくことが出来たのです。料理という仕事は人の三大欲求にかかわる仕事であるために人に最大の喜びを与える事が可能な仕事だと思っています。だけどその裏には信じられないくらいたくさんの料理人の涙と怒り、憎悪が隠れているのです。


 

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