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9歳のクリスマス、私はサンタクロースになった

枕元にプレゼントを置くってどんな気持ちだろう?

サンタの正体がなんとなくわかり始めていた9歳の初冬、ふと思った。

プレゼントをもらうのは嬉しい。

朝起きてプレゼントが目に入る瞬間。はやる気持ちを抑えて包装紙のテープを丁寧に剥ぐ感覚。

どこを取ってもパーフェクトな最高な瞬間。

でも枕元にプレゼントを置く側は?どんな気持ちでプレゼントを置くのだろう?

嬉しい気持ち。優しい気持ち。義務感のような気持ち。そのほか色々?

大人になればわかるだろうとなんとなく思っていたが、9歳は好奇心の塊。

私は今すぐその正体を知りたかった。


というわけで9歳のクリスマス、私はサンタクロースになると密やかに決意した。

贈り先は母親。

なんとなく自然とそう決めたが、父が数に入らなかった。すまん父。

とにかく準備は念入りだった。

クリスマスのひと月前から母の買い物にくっついて欲しいものをリサーチ。

プレゼントを開けた時のリアクションに期待したかったからテキトーなものはイヤだった。

しかし近所のイオン、当時はジャスコだったが、その中の品で考えるのが9歳の限界。

どうやら母は気に入ったバッグがあるようだ。

プレゼントの目星はOK。


問題はどうこっそり準備するか。

9歳の子どもにとってバレないようにプレゼントを買い、家まで運び、隠しておくのは至難の業だった。

自転車で買いに行くか?

しかし、プレゼントなのでラッピングしてもらうとかなりの大きさになる。

自転車のカゴには入らないし、包装紙に傷をつけたくない。

当時、地元には100均なんてなかったから店で包装してもらう他ない。

やはり親が食料品の買い物をしている間にこっそり買う。そして車のトランクへ隠す。家へ運ぶ。物置に隠す。

これしかない。

実にリスクを伴う。バレたら台無しだしかっこ悪い。

完璧に、完璧にやり切らなくては。


12月のある日、実行に移った。

母の買い物について行った時に車で待ってると言った。

これはたまにやること。自然だ。

母も特に疑問は持たず車の鍵を私に預けて買い物に行った。

時は来た。時間は限られている。

真っ直ぐ婦人用品売り場へ行き、お目当てのカバンを掴み取ってレジへ直行。

プレゼントにしてくださいと言って貯めていたお年玉を財布から出した。

母でなくとも知り合いの誰かに会ってしまう可能性は十分にある。近所の人とか。

それはいけない。確実に母の耳に入る。

包装が終わるまでレジ台に縮こまって待った。

ラッピングされたプレゼントは思ったより大きかった。

早く隠さなくては…!

赤くハッピーな包装の箱を両手で抱えて、キョロキョロしながら急いで車に戻った。

当時、実家の車はセダンタイプで座席からトランクが見えることはなかった。

母は買い物を座席に載せるし、トランクにさえ入れてしまえば家まで持ち帰れる。

何度も後ろを振り返りながらトランクにプレゼントを運んだ。

第一関門クリア!!

これが額の汗を拭うという状況かとその時思った。本で読んだよりずっとスリリングだ。

次の関門は車から家への運び入れだが、これは簡単だった。

母は日中、仲の良いご近所さんの家へお茶をしに行くことがよくあった。

その時を見計らい車からプレゼントを下ろして、納戸の中でも家族が滅多に触らない場所に隠した。

プレゼントの目隠しにした物の位置がズレてないか定期的にチェックし、バレてないことを確認する念の入れようだった。

私はサンタクロースになろうとしている。確かにそうだ。

しかし、この時は完全犯罪でも成し遂げるが如くの緊張感と臨場感だった。

9歳の12月、私の胸は謎の興奮とスリルで満ちあふれていた。


そしてクリスマス前日の夜。

あとは母の枕元にプレゼントを置くだけ。

そう思うとソワソワしたが挙動不審なのがバレてはいけない。

なるべくいつも通りに過ごそうとして逆に素っ気なくなってないかと気が気でなかった。

約ひと月に渡る計画がついに完遂されようとしていた。

明日の朝は絶対に寝坊してはいけない。

失敗できないプレッシャーから眠りが浅かったのをよく覚えている。


そしてクリスマスの早朝、誰よりも早く目を覚ました。

枕元すぐにあるコタツに目を向けると私へのプレゼントが置いてある。

嬉しい。だがそれは後だ。

今はサンタミッションの完遂が最優先。

昨晩、隙を見てコタツに隠しておいたプレゼントをそっと引っ張り出した。

忍足で母の枕元に置く。

完璧だ!!!!!

達成感で小躍りしたいのを必死で抑え、ニヤニヤしながらもう一度布団に潜った。

母が起きたらどんな顔をするだろう。

喜んでくれるかな。

私に何か聞いてくるだろうか。

どうやってとぼけよう。

早くプレゼントに気づいてほしいような、ずっとこの達成感と満足感を噛み締めていたいような、こそばゆい不思議な気持ちだった。


しばらくして母が起きてきた。

枕元のプレゼントに最初は驚いていたが、開けるにつれてニコニコしているような、ハの字眉で嬉しそうにも切なそうにも見える表情をしていた。

喜んでもらえたのかな。よかった。頑張って用意した甲斐があった。

母は色々察して何も聞いてこなかった。

実はプレゼントの準備に気づいていたりしたのだろうか。

確認したい気持ちはあったのだが、サンタがプレゼントをくれたという形を貫きたかったので聞けなかった。

今でも聞こうと思えば聞けるのだが気恥ずかしくて、その話題は大人になった現在まで一切出したことはない。

母からもその話をすることはなかった。

9歳のクリスマスから20年以上経った今でも、あの日はサンタクロースが母の元にやってきたという体が守られ続けている。



プレゼントを贈る側は想像していたよりずっと嬉しくて、楽しくて、ワクワクして、とても一言では表せない気持ちであふれていることを知った。

相手の喜ぶ顔が見たい。

たったそれだけの思いで9歳の私でもサンタクロースになれたのだ。

ちなみにサンタミッションのインパクトが強すぎて、その年のクリスマスに何をもらったのかさっぱり覚えていない。

贈る喜びが贈られる喜びに勝ってしまったのだった。




老いも若きも幼きも、全国のサンタクロースの皆さん。

今年もドキドキしてますか?

大人になった今、9歳の頃ほどスリルを味わうことはないけれど、それでもプレゼントを準備する時間は毎年楽しくて仕方ないです。

クリスマスは愛を感じようとか、そんな大層なことでなくていいと思うんです。

大好きな人の喜ぶ顔が見たい。

きっとただそれだけで十分なんですよね。



おばた


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