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「鰯と鯨」「戦略の行方」と「上から目線」

昔、ベンチャー企業を鰯、大手企業を鯨と例えた人がいて。そして「この鯨」は「やっぱりこう来るか」的なことを最近のMS(マイクロソフト)を見ていて改めて思った今日、過去のnoteやらその時の反応やらを思い出し。。

ZOOM、Whereby、Teams、Webex、Meet、LINE、Echo等々、公私とも昨年は随分使い、Skypeメインだった時代とは隔世の感あり。

Teamsの変化を見てMSの戦略を想い、ふと以前 GAFA騒ぎの頃、「GAFAに隠れてるけど絶対『したたか』なはず!(笑)」とMSの動向を注視し、それが記事になり始めた頃に書いたnoteを思い出しました。

noteを書いた当時、Facebookでこのnoteをご紹介したら、知人から、「文面が失礼だ!」、「『学ぼう』は上から目線では?」といったご指摘も頂きました(^^;

いま改めて読むと、自分の書きぶりらしくない雰囲気もあり、当時はいろんな書き方を試していたんだなぁ、あれ?自分の中には数人の「書き手」がいるんだな、多重人格みたいだな、と苦笑

ちなみに、「遊ぼう!」は上から目線と誰も言わないだろうに、「学ぼう!」はなぜ上から目線なのか?と当時 不思議に思い、言葉のニュアンスを考えたものでした。

そのとき思ったのは「学ぶ」という言葉の語感、周辺には義務感やら強制感やらが含まれているのかな?ということ。

そして私にとっては、「学び≒遊び」「遊び≒学び」なんだなぁと、ご指摘によってそのとき気づいた次第です。感謝。

もひとつおまけに、ご指摘頂いたことで生まれた疑問(^^)

Q:「上から目線」って言葉はいつ生まれたのか?

少なくとも私が若い頃(^^;は今のように当たり前に聞く言葉ではありませんでした。

思うに、ネットが当たり前になり、年齢や職位に関係ない「フラットな関係性」をネットがもたらし、それを無意識にインストールされている人々が、違う「OS」をインストールされている人が無意識に発した言葉からたまに感じる心理現象ではないのかなと。

中学生の頃から体育会系的な上下関係を鬱陶しく思った一方で、それとほぼ「似た者同士セット(必ずしもそうでないわりに)」のように、子供の頃から無意識にインストールされていた儒教的なものの良い面も感じている「古い人間」かつ「リアルとネットのハイブリッド世代」としてはそんな風に思ったりします。

あ、冒頭に戻って、今のベンチャー(昨今でいうスタートアップ)はもう鰯ではないですね。頼もしいスタートアップがいっぱい(^^)

でも鯨も負けてはいない。なかなかに厳しい生存競争。

そして私たちの生活はどう変わるのか?
マイクロソフトのWindows95から四半世紀、ベンチャーが、ネットがもたらした変化、コロナが、DXがもたらす変化、テクノロジーと社会の変化を思うこの頃です。

歩く好奇心。ビジネス、起業、キャリアのコンサルタントが綴る雑感と臍曲がり視点の異論。