「一億総障がい者社会」に向けて「障害」を再定義しよう

障害を他人事と思っている人は多いが、歳を取れば誰もが障害を抱える。一億総活躍の前に一億総障害の問題がある。「障害」を再定義することで、ビジネスチャンスを広げることにも繋がるのではないだろうか?

一般に身体や知的・精神の障害を抱える人を障害者と呼ぶ。

障害者は医療的・制度的支援を受けるうえで基準がある。しかし、発達障害などいろんな障害が明らかになるにつれ、状況は複雑に、対応は難しくなっている。

障害の種類、個人差、環境の違いなど状況は様々。精神に関わるものはどこからが病気なのか本人も周囲もわかりにくいところがある。

他方、障害のない人は健常者と言われる。こちらは基準もなく、もっと曖昧だ。「常に健やかな人(健常者)」などどれだけいるのだろうか?

そもそも高齢になれば誰もが障害を負う

目が見えない(視覚)、耳が聴こえない(聴覚)、足が弱る(身体)、記憶が衰える、認知症になる(精神)といった障害を多くの人が抱える。

日本は超高齢社会だ。
こうした障害を持つ人は存在しているし、ますます増える。
そして皆が障害者になり、皆が公的支援を求めても財源には限界がある。

そろそろ「障害」を「心身の障害」から「活動の障害」に再定義してはどうだろうか?

ここでいう「活動の障害」は特定の病気や症状を障害として取り上げるのではなく、その人がその人らしく社会的な活動に参加するうえで妨げとなるものを障害として捉え、その障害を取り除く、方策を考えるということだ。

現在の障害の定義(「心身の障害」)では障害の問題は障害当事者に限定され、それ以外の人を巻き込むのには限界がある(他人事)。

しかし、「活動の障害」に着目すれば対象を広げることができる。共通/類似した問題を抱える人に対象を広げられればビジネスで解決しようとする人も増えるだろう(自分事)。

ワクワク超高齢社会に移行できるか否かはそうした捉え方、考え方の転換ができるかどうかにかかっていると思う。

オリィさんの考え方には共感するところが多い。

ただ、AIやロボットといったテクノロジーの進化は今まで「障害者」であった人の福音になる一方、新たな「障害者」を生む可能性もある

このとき、障害は「心身の障害」から「活動の障害」に放っておいてもなっているかもしれない。

受け身ではなく、能動的に「活動の障害」を捉えることがより多くの人の活躍、挑戦を可能とし、ワクワク超高齢社会に近づくきっかけとなるのではないだろうか?

そしてAIやロボットと共存する時代に最後に残るのは「意思」と「意志」の問題かもしれない

歩く好奇心。ビジネス、起業、キャリアのコンサルタントが綴る雑感と臍曲がり視点の異論。