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気づきの力の大きさは、人生の質の高さに直結する

こんな素敵な人に私もなりたいという憧れの人がいたら、私はそうした人の本やインタビューなどを熟読するようにしている。そうすることで憧れの人に近づけるような気がするからだ。

先日も自分のコーチのライフストーリーを読んでいたとき、ふと成功している人というのは「自分の気づきを大切にしている」ことに気がついた。

気づきとは、誰かの命令や指示といった外側からの促しによるものではなく、自分の内側で起こる解釈や理解の変化のこと。インスピレーション・ひらめき・直感とも言えるかもしれない。

「好きは努力に勝てない」という言葉があるように、人は誰かから強制されたり義務付けられたことよりも、理由なく自分の内側から湧いてくる「好き」な気持ちからやっていることの方が、はるかに伸びしろがあったりする。

また例え周囲から非常識だと非難を浴びるような選択だったとしても、自分が心から納得し、腹落ちして出した決断による選択には、どんな結果だったとしても後悔は生まれない。それだけ自分の内側にあるものはパワフルな力を持っている。

自分の人生を生きる上で、内側で起こる気づきは非常に大切な役割がある。

他人から言われるのではなく自分で気づいたことを大切にするというのは「こっちだよ、こっちがあなたの道だよ」と、天が与えてくれた自分の本当の人生を生きる道しるべを大切にするということだ。暴論かもしれないが、気づきの質を高めるということは人生のそれを高めることに直結していると私は思う。

そうなるとどうすれば気づきの質を高められるかという問い立つわけだが、それには問いの力が一番いいのではないかと考えている。

私の知っているある人はある日突然、研修の仕事をさせられることになり「どうしたら自分のプレゼンはうまくなるのか」という問いを四六時中持っていたそうだ。
プレゼンに関する本やセミナーに通ったりしたが、どうもしっくり来る答えとは出会えなかった。

「どうしたらプレゼンがうまくなるのか?」

そればかり考えていた彼はある日、家族がテレビで落語を見ているところを通りがかり「こ、これだ!」と思ったらしい。観客に語り掛けるしぐさや、客席ごと噺に巻き込んでいく軽妙な話術などを参考にすることで、彼のプレゼンは大きく変化したとのことだった。

もし彼の中に「どうしたらプレゼンがうまくいくのか」という問いがなかったら、どんなに素晴らしい落語と出会っても、そこにヒントを見出すことはなかっただろう。「どこに答えはあるのだろう?」と問いと共に過ごしたからこそ、彼は落語に自分の答えを見出すことが出来た。

問いと共に過ごすというのは、実はとても気持ち悪いことである。
人の脳は余白を嫌う。何か空いているところがあると、それを埋めたくなるのが人間の性質だ。だから問いと共に過ごすというのは言うほど簡単なことではなく、精神的な熟成が必要である。

気づきとは、いま目に見えている事象から見えない真実を見抜くことである。
それは幸運な人のところに落っこちてくる能力というより、その気づきを必要としている人の元に訪れるプレゼント、言った方が近い。

ただ待っていても素晴らしい気づきを得ることは難しい。大事な問いと、それに付随する気持ち悪さと共に生きている人のところに気づきは訪れるのである。

正しい答えを早く出すことが正解だった時代から、正しい問いと共にどれだけその時を待てるかという力が求められる時代に、私たちはいま移行している最中なのかもしれない。



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