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絶滅危惧種タコノアシを見た。本のお話。かなり徒然エッセイ。

ぽかぽかな陽射しの中、滝さん(お散歩のお友達。私の敬愛する鳥の師匠です。)とタコノアシを見に行きました。

タコノアシをご存知ですか?絶滅危惧種の植物です。
……私のたまに更新される統一感のない怪しい闇鍋noteを今お読みいただいている変人のあなたならもしかすると、タコノアシはタコ好きな筆者の妄想なのでは?と疑念を抱かれるかもしれません。
でも今回は本当です。本当にタコノアシは存在するのです!

恥ずかしい話、昨年の私は渇望していました。なかなかにタコまらず、タコのあまりに遺憾なくタコしたのです。
しこたまタコを求め、タコ極まりた末の妄想を憚りなく公表しました。

そんな私の想いを知り、滝さんが『川にもタコいるよ』と、タコノアシという植物を教えてくださいました。
タコノアシは紅葉すると、まるでタコの足の様に見えるそうです。

去年はまだ行けなかったので、次の秋にはきっと体の調子を良くして、一緒に見に行きたいですと滝さんとお約束をしました。
ということで、一年ごしの夢を叶えに行ってきます!念願のタコノアシを、見る!

軽やかな車輪の音。そよぐ風に揺れる草花。
やわらかな陽気。遠くにふんわりのどかな雲。

滝さん大好き。自然が大好き。
生き物たちの生き方を知るのが好き。
敬う気持ちは縦にまっすぐ通るので、心が凛とします。


お花の名前も覚えました。

アレチハナガサ(荒地花笠)。
河川敷や道端に生える南アメリカ原産の植物。薄紫色の小さなお星さまが地上に遊びにきたみたい。


荒れ地という単語にはどうしてもわくわくしてしまいます。
なんでだろう?と考えてみたのですがたぶん、初めて荒れ地という単語と出会ったのは、海外文学からだったからかもしれません。
荒れ地ヒースと振り仮名表記がある時もあります。

ヒースという音が、語感がかっこいい気がします。風がよく通りそうです。
のちに写真で見たヒースは、遠くまで広がる空に荒涼とした大地が、想像のままの土地でした。場が育む命の力強さを感じました。

こちらはWikipediaより。ヒース荒地に咲くヒース。
ヒースは、イギリス北部、アイルランドなどにおける平坦地の荒地のこと。ヒース荒地の植生を構成するエリカ属の植物もヒースと呼ばれる。



荒れ地の魔女もいますね。ハウルに出てくる魔女です。私はカルシファーが好きです。あとお城の機能が最高すぎるし、見た目も大好き。


荒れ地と聞くとイギリスなのですが、荒野と聞くと、なんだかアメリカのイメージです。
荒野、荒れ地への謎の憧れ。


私はなんとなく物事を知る前に、本から言葉を吸収するパターンが多かったように思います。
見たことのないものや、分からない名詞。
直接的な視覚情報はなく、ひらがなと漢字と文章を分解して再構築し、自分だけのオリジナルのそれはもう自由なイメージが出来上がります。
そして、“日本も外国”も“過去”も、“夢と現実”も、分からなかったので未知の言葉は全部“未来”の箱に入れました。

言葉を全部未来の箱に詰めこめば、自分に繋がる未来が楽しく思える。それに今だって、いつだって替えられる。言葉はどの箱に入れたっていいの。脳内は自由。

つまり当時は出会う言葉は私のいる地点から未来へ繋がった先にあるものという認識をしていました。(それか、時間の感覚がちょっとだけ変わっているのもあるかも。久しぶり、とか実はあんまり分からないです。)

例えばそう、コールタール、やどりぎ、めんどり、バタ、ふくらしこ、王さま、どろぼう、人くい、くろすぐり。

……ぐりとぐらのカステラ、モチモチの木のおもち、ハイジのパン、長くつ下のピッピやムーミンのパンケーキ、百味ビーンズ、ウォンカのチョコレート、ラピュタのパン、

嬉しい!おなかがペコペコだったの。


美味しそうなものを幸せそうに食べたり、自由に遊んだり、あるいは勇敢に戦ったり。
笑い合える穏やかな日常や、はたまた刺激的な冒険、めくるめく魔法の世界など。

本を開いた瞬間に、今ではないところへ連れていってもらえる。


図書館バスひまわり号。かわいいでしょう?よく本を借りました。ありがとう。写真は図書館のページからお借りしました。https://www.lib.city.hino.lg.jp/library/imamukasi-bm.html



本の中には絶対に、どんな時でも、違う世界があります。

子どもの私は本の世界から希望を教えてもらいました。
それは確かにそこにあり、本当に強く輝いていた。
物語を通してだけ見える、心の中に。
たった一つの小さな点。その強烈な美しさ。

ページを開けば誰にでも開かれている。私にも。
だから、未来につながるものだと、希望をかけていたのかもしれません。

希望は遠い憧れ(見えない灯台みたい)でした。
そしていつしか憧れは希望(内に灯された火)であることに気付く。

ふふ。光に気付く鍵は人生の色んな所に散りばめられているの。
好きなもの。きゅんとするもの。



小2の時に買ってもらった大好きな本です。初めは難しくて読めなかったので、冒頭を繰り返し繰り返し読んでいました(上のページの方の黒いとこ。)そうしてだんだんと読めるようになりましたよ。


私にとってこの本は本物の宝物でした。
私のために書かれた本みたい。
触れているだけでも特別でした。

誰も知らない一粒の光がそっと本の中に閉じ込められていて、真暗闇の中でそれを大切に抱えているような。暗闇の中で出会った光。

…それは前述した通り、遥か遠くの見えない希望で、大人になった今は内なる灯になりました。
それは、生きることそのものです。



唐突な詩。

あなたなら見えるよ。それがあることに気付けるよ。
ここにある扉を開け放とう。
勇気を持ってひとつひとつ。
大丈夫、勇気は色んな形があるから。
動くと増える。
あたたかくて、優しくて、強いもの。
あげたりもらったりできる。私からもあなたにあげる。あなたからも私はもらってるよ。
あなただけの大切な鍵もここにある。
何が好きか教えて。
立ちはだかる岩は宝の山。
大きな扉はそれだけ大きな光の通り道になるの。
内へ開かれ虹色の夢へと繋がるよ。
あなたがあなたを見守るいつも。
あなたは愛のなかにいるよいつも。
全てはここに。内に。光。



美しいヒョウモンチョウ。
欠けば生きてきた強さの証みたい。
命は魂の意志+大きな愛。
(ツマグロヒョウモン(褄黒豹紋)のオスかなあ???羽を閉じたところも本当に綺麗な豹柄でした。)


なんかすっごい話がそれちゃった。

話を戻しましょう。

荒れ地に帰りましょう。


なんのお話しをしていましたっけ?
アレチハナガサ……?ええと?
確か、山形県に伝わる花笠音頭の民謡のひとつでしたね。
アレチハナガサは、古くから、土を突いて荒れ地を整える時、土突き唄として、建築の土台作りをする際に唄われていたそうです。………?…そんなお話しの途中でしたね。
盆踊りでよく流れてますね。
ハァヤッショーマカショー!

そんなアレチハナガサの生える
私のお気に入りの場所です。
タコノアシに出会うまで、あともう少し!



じゃん!綺麗な水たまり!
土、石、お水、植物に虫やお魚、微生物や菌類。
ほんの小さく切り取ったこの場所にも、想像もできない程たくさんの命が溢れているんだろうなあ。豊か。



ふふ。靴下のワンポイントになっていたコセンダングサです。


おっと、こんな呑気におしゃれを楽しんでいる場合ではありませんでした。気付いたら私の表面積の25%、左下半身はすっかり種にやられていました。


気付いたら どこでこんなに 種だらけ


ひっつき虫な種は、みんなご存知のやっかい者です。
それも含めて愉快で好きではありますが、ひとつひとつ、服にくっついた種を手で取る作業は如何せんやっかいです。

どんなにAI・ロボット時代になろうとも、しょせん人類はこの小さな生命の生存戦略には勝つことはできないのです。
衣服を纏った人間は種を運ぶ乗り物、植物のしもべです。
今後AIの発展により人間のあり方が大きく変化していくことが示唆されていますが、どんな変化が訪れようとも人類が衣服を手放すことは不可能でしょう。
植物の種がつくリスクと、裸で生きるリスク、どちらを取るかは比べるまでもなく前者だと言えます。



すっぽんぽんは寒いもんなあ。
と、服にびっしりとくっついた種を、つまんではポイ、つまんではポイ、つまんではポイ、つま……しかしタコならどうでしょう?
ツルツルの肌に種はくっつくことができない。
そんなタコの生態は、タコの次世代進化、つまり海から上陸後の大陸支配を見据えていると言えるのではないでしょうか。

人工知能でさえ予測不可能だった生物界知能的頂点タコ至上主義社会。
実は密かに、専門家たちの間では主流の学説となりつつあります。
しかし何故、この迫り来る脅威について大々的に報じられることがないか。それは周りを見渡せば分かります。

私達は、私達だけの世界の中から物事を見、取り巻く外界を段階的に理解し自身を発展させようとしてきました。
社会はそんな私達の脳の具現化と言えるのではないでしょうか。
とすると、現在地点は私達の世界に対する理解の表れとなります。
それはある側面からすると、利益に囚われた限定的な視野により作られているようにも見えます。

囚われているものを外し、自身の調和により視野はでっかく広がります。
限定的な枠組みを超えて。

うちの冷蔵庫に貼ってある新聞の切り抜き。イカすごすぎて貼った。


私達が在るこの場所。大地があり空がありお水があって生き物とかまあなんか色々在る。
どれをどのような視点でも見ることができること、拡大し収縮し重ね合い無限に。それこそが、私達人間の持つ自由だと思います。

私達を生かす自然が、美しい知的調和そのものであることに気付くこと。そして私達自身も同じであること。
制限を作るのも脳であり、見破るのも脳なのでしょう。

つまり、この社会において私達が気付かないこと、見ようとしないことこそが、何よりもの証拠と言えるでしょう。

もうすでにタコの策略の中に……そう人類は、8本の足(脳)の中にいるということに、気付こうとて気付かんのです。

意味深な THANK YOU



そんな場所にいる私達には“ちょうど”好奇心、知りたいという欲求が、生まれた時から備わっています。
知らない。知りたい。という気持ち。
そして行動への欲求は、制限から生まれます。
できない。できるようになりたい。という気持ち。

なりたい、やりたいという欲求に、先程見つけた希望を一匙。推進力という勇気を混ぜて。
知るもできるもここにある。

そんな私達はまるで地球を遊び場とする赤ん坊のようではありませんか。


人類は好奇心と知的欲求から真理を読み解き、制限の中から自由を欲し、様々な分野において進化を遂げてきたのですね。

種の進化すごい。服についた種はとって然るべきもの。 


何故タコの足は8本なのでしょう?
その謎は人間が狩猟採取をしたりして600万年の時が経っても、未だに解き明かされていません。
生物学、水産学、地球科学、デザイン学、栄養・食物学においても、タコ足8本の解明は難しいと言われています。
そう、大ヒット歌謡曲タコズの恋タコれないの歌詞にもあったように、史上最強のミステリーです。
まるで人類の進化を促そうと目論む、タコからの挑戦状のようです。


でも臆することなし。個人の知的探求を邪魔することは何人たりともできません。
基本に立ち返り、心の眼をかっぴらいて見てみましょう。
…ほら…8を…よく見て………
……8888888888……
どうですか。
8はシンプルで綺麗な形です。
滑らかな二つの円からは調和を感じます。
その調和の上を走る列車はまるで宇宙の光として滑る銀河鉄道みたい。
表裏は繋がり、分け隔てなく誰もがその列車に乗り調和を享受できる。すべては巡っている。
美しい永遠性を内包しながら。
 
数字はいつだって身近に溢れています。しかしその奥は美しくも複雑で神秘的です。まるで宇宙からの手紙のようなものにも感じられませんか。
『宇宙は数学という言語で書かれている』とガリレオ・ガリレイは言います。
『やさしさに包まれたならきっと全てのことはメッセージ』とユーミンも言います。

つまり万物を読み解く鍵はいつも私たちに与えられているのです。


裏。


実は、先程お話しした、生物界知能的頂点タコ至上主義社会についての仮説は数字が元となっています。
簡単にざっとお伝えするとこうです。
レオナルド・ダ・ヴィンチの描いたウィトルウィウス人体図(*)によると人間は五角形、つまり数字で言うと5を表します。そしてタコは言わずもがな8を表します。5と8の最小公倍数は40、紀元前よりギリシャの哲学者ピタゴラスが発見し継承されてきた思想をルーツとする数秘術では、40は4+0=4となります。
4は昔から死を想起させる不吉な数字です。
5は8により4。
つまりタコ至上主義社会による人類の死滅が、数字により暗示されているのです。


……さて。
この仮説、あなたはどう思われましたか?
メインストリームの学者たちは主張します。
『来るタコとの戦いに向けて準備をするべきだ』と。
私はこの意見に対して些か懐疑的です。
いえ、はっきり申し上げまししょう。
私はそんな風には思えません。曲解です。タコへのひどい仕打ちです。
人類の死滅も、来る戦いも、まるでわざと人々の不安を煽るような文字の羅列のように感じます。
まさに“タコ式にのっとったタコ”の諺のごとくまやかしの仮説です。まったくのイカサマです。
あなたもそう思いませんか?

自身の目で確認してみれば明らかです。
ご覧ください。

(*)Wikipediaより

まるでたこのようです。


お気付きでしょうか。
人体の調和と呼ばれるこの絵…手足が8本あることに。

本来の手足4本から増えているのに、なぜこの図が人体の調和と言えるのでしょう?
目に飛び込んでくる事実に誰もが違和感を抱きながらも、裸でジタバタしてる人だな、となんとなく見過ごしてきたのではないでしょうか。

ウィトルウィウス人体図は、人体の四肢は4本では未完成であり、8本になることで4では成し得なかった循環と、完全なる調和が成されることが示されているのです。
つまり人体が調和に至るには8が必要不可欠。
私達に必要なのは戦いではなく、8、∞という永遠性、調和への気付きである、とレオナルドダヴィンチは教えてくれています。

そう思うと、裸でジタバタしているのも、
『植物の種への抵抗・警告』かもしくは
『武器は持っていないよ。無抵抗だよ。平和を望んでるよ。』
と言う、愛の身体表現のような気がしてきます。

なんて素敵なメッセージなのでしょう。
今ここで、表現の自由に感謝します。
私もまた違う側面から、活動を入念におこなってきました。タコを通して。
タコは世界で一番かしこくて美しくかわいくて美味しいと。こちらから。noteを媒介にしてタコの良さを人間の脳内に刷り込めば、やがて人々は渇望するようになる。いずれ悪魔に魂を売るようになるのだ。魂1gにつきタコ…

失礼。

…………………ここまで読み進めていただいたあなたにだけは、本当の意味を明かしましょう。
多幸神論派はマイノリティグループです。弾圧を受けながらも密かに生き残ってきた超少数派なのです。
すべての生命の内には多幸神が宿ると多幸神論者は信じてきました。
先程の人体図を思い出してみてください。


レオナルドダヴィンチも暗に伝えていたのです。あなたにも多幸、多くの幸せが宿ると。
そう、この秘密は何世紀も守られてきた、秘密の扉の鍵なのです…………。
もう少しお話ししましょう。



観察、発掘、調査、研究、科学もろもろは、秘密を事実に塗り変えていきます。今日、それは目を見張るほどのスピードです。
さらに今という時代に合わせて、情報は様々な形をとり世界に拡がりをみせていきます。つまびらかに。公に開かれていくのです。

最新の研究により明らかになりましたが、タコ=多幸は本来、地球上の生命全体を、多くの幸せに導く。その重要な役割を担う神として存在していました。
しかしご存知のように人類の歴史は、争いの歴史です。一神教を教義とする宗教的圧力により、多幸および多幸神論者は迫害され、デビルフィッシュという不名誉な名を与えられました。
デビル……それは人々を神から離反させ罪に陥れる者の意味を持ちます。
やがてタコは人々からは疎まれ、追いやられ、幸せの神としての存在は歴史から姿を消したのです。
そのような歴史的背景もあり、残念ながら最新の研究結果は現代にはなかなか受け入れられていないのが現状です。

タコは争いを好みません。デビルと呼ばれても、狭い場所へと閉じ込められても、美味しくいただかれても、長い年月、生きとし生けるものたちの幸せを壺の中でただ願い続けています。
西洋ではデビルフィッシュ、東洋では美味しく食され、今に至るまでの長い長い間、祈りは続きました。
無限なる多幸をもたらす神としての本来の姿は淡くなりつつも、密かに信じるものたちによって、多幸の願いが消えることはないでしょう。


“タコるとて イカはゆめゆめ タコならん”
そうです。イカはイカで素晴らしい。
タコはファンタスティック。ねこはユニーク。
あなたは最高!みんないて色とりどり千紫万紅!




これからの新しい時代において、タコの知性は、AIを…否、人類を遥かに超えていることがいずれ明かされていくでしょう。
世界を計らんとする人のものさしというものは、無限の可能性∞を持つ広く深く大きなこの世界からすると、とてもちっぽけなものなのですから。

知性は細部に宿り、複合して全てがひとつとして働いています。
調和の中で光が和すように。

私達にも気付きの時が訪れます。
臨界点の先の臨界点、タコロジカルシンギュラリティ。
それはきたるべき時にきたる。
支配や争いなどではありません。
私は変革の時と感じます。
多幸の目覚め。それは抑圧されていた厚い壁(壺)を打ち破り、圧倒的で無限なる多幸感を人々にもたらします。
まるで天の岩戸が開かれ、天照大御神がお出ましになられた時のように、世界中にあたたかくまばゆい光が満ちるでしょう。
それはあなたの内に。すべての内に。

タコ、多幸はその存在を通して私たちに教え導きます。
『たくさん幸せでいいんだよ』
『あなた自身が多くの幸せを放つ中心。つまり幸せをもたらす神そのものなんだよ』と。

タコを真の意味で理解できるようになった時、それは、我々の本来の知能才能の全てが解き放たれた時と言えるでしょう。









       🐙






あ、やっと種が取れました!

よかった~。



ふう。一緒にひとやすみしましょう。






……では。ではでは!
無事に種も取れたことですし。
大変長らくお待たせしました!
じゃーん!こちらがタコノアシです!

やったー!!


赤いです。なんと吸盤もあります。
川にもタコがいた!!
見ることができて本当に嬉しいです。
会えて嬉しいです。

タコノアシの一年。滝さんが作ってくれました✨
川にもタコがいるぞ!って書いてあります。
いとしいです。



川のそばに生える絶滅危惧種のタコノアシ、あなたもいつか見つけることができるかも。
見れた日はミラクルハッピーデーですよ。



ということは……
今日のあなたはミラクルハッピー!
タコノアシ、一緒に見てくださりありがとうございました(*´ ˘ `*)


今日も明日もあなたにたっぷりと優しさの光が降り注ぎますように。
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サポートありがとうございます!とっても励みになります。 いただいたお気持ちはずっと大切にいたします。 次の創作活動を是非お楽しみにされてくださいね♡