見出し画像

なぜか書けるようになる文章教室をやっています

今お世話になっている自分塾という学びの中で「小さい頃に好きだった絵本や物語に、大きな影響を受ける」というお話を聞きました。

例えば「ぐりとぐら」が好きだった人は、大人になっても大きくてふわふわした温かいパンケーキを見ると幸せな気持ちになったり。
「大きなカブ」が好きだった人は、みんなで一緒に何かすることにワクワクを覚えたり。

自分のベストオブ絵本は「こんとあき」。
キツネのぬいぐるみ・こんが相棒・あきちゃんに「大丈夫、大丈夫」と優しく何度も語りかけるところが好きでした。
周りの人が深く安心してたり、心から笑っているのを見るのが私の喜びなのは、こんとあきから来ているのかもしれない。

そういう意味では、今やっている文章教室も、来てくださった人に「安心して自由に書いてほしい」という願いからやっている気がします。書く上で絶対に必要な基盤、安心。
ライターの古賀さんはそれを自信と表現してしました。

「文章を書くのは、孤独な作業だ。どんなに苦しくても誰も手伝ってくれないし、手伝えるものでもない。冷たく、光も音も届かない、誰もいない漆黒の海だ。あきらめて、さっさと光のある海上に引き返したくなるだろう。陸地に戻り、あたたかな食事をとりたくなるだろう。

このとき、一つだけ「限界のもう1メートル先」まで潜らせてくれる命綱がある。自信だ。根性でも、才能でも、編集者でもなく、みずからを信じる気持ち、自信だ。
自分なら大丈夫、自分ならもっと先まで行ける、深淵のなにかに触れられる、という根拠なき自信だけが「限界のもう1メートル先」まで潜らせてくれるのだ」

自信をつけたくて自己啓発講座系に数百万突っ込んできた自分の経験だと、外側から自信をつけようとするのは、まあ大体うまくいかない。
自分の内側にある「忘れていた大切な何か」を思い出した時に、自信は自然と湧き出てくるようなもの、な気がしてます。

「よき自信家であろう。迷いのない文章を書き、自分を信じて推敲に臨もう。ぼくが保証する。あなたはすでに、不遜すぎるほどの自信を持っている。まったく図々しく、見当違いの自信ではあるが、それこそがもっとも大切な、最後の拠りどころとなる」

『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』より

書くことから人生を見つめる文章の講座が、10月から始まります。
土日クラスはまだまだお席ございます。「3回の講座を受講したら、なんか知らんが書けるようになった」を体験しに、ぜひいらしてください。



入門クラスは毎月やっています。次回は8月22日(木)、24日(土)


最後までお読みくださり、ありがとうございます。
今日も明日も、適当にしっかりで参りましょう。

いいなと思ったら応援しよう!

小澤仁美|1/19文学フリマ京都さ-17
最後までお読みくださり、ありがとうございます。書き続けます。