君の名は?

 こんにちは、この手記を手に取ってくれて、そして読んでくれてありがとう。私はこの手記を未来に向けて書いた過去の人間だ。
 具体的にどれくらい過去かを書くと私の年齢がばれてしまうのでここでは伏せておこう。いつの時代も人は若く見られたいものさ。
 私がこの手記を書くに至ったきっかけは色々とあるが、端的に言えば、今この世界の状況を書き記したいと思ったからだ。
 この手記は地下深くに埋めるつもりなのでよっぽどのことがなければ掘り起こされることはないだろう。
 もし掘り起こされた時には今とは全く違う価値観になっていると、この手記を残した甲斐がある。
 
 まずは何から話そうか。
 今君の生きている時代に、野球というスポーツはまだあるだろうか。
 野球、それは人が投げたボールをバットと呼ばれる棒状のもので打ち、それを取ったりして競うスポーツだ。わからなかったら是非とも過去の文献を読み漁ってくれ。
 あでももしかしたらスポーツという言葉もわからない可能性があるのか。いやそれどころか今と未来では文字すら変わってしまっている可能性もある。
 いやそんなことを考え始めたらもうきりがないので、それについてはいったん考えないようにしよう。
 先人からの知恵として一つ言えることは、学びとは自ら進んでするものである。
 こんなことを言いながら年寄り扱いされたらされたで怒ったりしてしまうのだからどうにもばかげた話である。
 
 さて本題に戻ろう。
 私の生きているこの時代にはその野球というスポーツにプロの選手がおり、そのプロの選手だけで構成されたプロ野球界なるものが存在する。
 世界的なスポーツかと問われればサッカーというスポーツに比べてみればそうでもないのかもしれないが、この国では古くから愛されている。
 そしてそのプロ野球界には永久欠番というものがある。
 永久欠番とは、野球選手はそれぞれ背番号を持っているのだが、多大な功績を残した選手の背番号を尊敬や畏怖の意味を込めて欠番とした番号のことだ。
 そして今この時代ではあるものが永久欠番のような扱いを受けている。
それは、人の名前だ。
 
 私が生まれるよりも遥か前の話。あるところに大熊健司という男がいた。
 大熊健司はとにかく色んなことを成した,とされている。というのも、あえてこう書いたのには理由がある。
 それは、実際のところ大熊健司が何を成したのか、正確には誰にもわからないのだ。
なぜなら、本当に成したことと逸話や伝説とがごっちゃまぜになっていて、史実が不明だからだ。
 曰く、大熊健司には様々な才能があったそうで、一説には、世界の言語を統一したとか(確かに今世界は一つの言語で話されているが)、円周率を割り切ったとか(これも確かに円周率は割り切れているが)、他にも文学、絵画、音楽など様々な面でその名を残したという。
 しかし疑うべきポイントが一つある。それは大熊健司の最期だ。
 曰く、若くして全てを極めた大熊健司は自らが作ったタイムマシンに乗って、さよなら、の一言を残してどこかの時代へ飛び立ったとされている。
 
本当か?
 
 これは子供の頃にみな一度は思った疑問である。
しかし大熊に近しい人たちがこぞってそのような手記を残しており、それゆえ世界中でそう信じられているのである。
私自身、このことに関してはとても疑いの目を浮かべていたが、歳を重ねて様々なものに触れていくうちに、確かに世の中の素晴らしいというものを調べているとどこかで大熊健司という名前に突き当たるということに気付き、信じざるを得なくなった。
またこの真実を解明すべく幾多の科学者がタイムマシンの製作に着手したが未だに成功したという話はなく、大熊健司の言葉が本当であるとするならば、未だかつてタイムマシンを作り上げた人間は大熊健司しかいないということだ。
この手紙を君が読んでいる時代では、すべての謎が明らかになっているのかな?
どんどんと話がずれてしまった。失敬失敬、話を基に戻そう。
 そして、彼がタイムマシンで飛び立って以降、大熊という名字の人間はすべて改名させられ、また健司を含む、ケンジがつく名前も全て改名の対象になり、それ以降に生まれてきた子供たちにももちろんケンジと名付けるつことができなくなった。
 つまり実質的に、大熊健司という名前は永久欠番ならぬ永久欠名となったのだ。
 
 長々と書いてしまったが、これが私が書き記したかったことである。
 ここまで読んでくれてありがとう。
 この手記を手に取ってくれた君のも、大熊健司の加護がありますように。
 
 この手記を大熊健司の生誕日である三月十七日に記す。

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