黒松という男

「じゃあまずは、乾杯!」
「乾杯、お疲れ様です。」
 そう言うと黒松はジョッキ一杯のビールをぐびぐびと飲み干した。
「かあ!舞台終わりはこれに限るなあ。」
「そうですね。」
 北もにこにこしながらそう答えた。
「舞台終わりの酒ってのはなんでこんなにもうまいんかね。」
「まあやっぱり、目いっぱいやったからじゃないですかね。」
「いや、俺の限界はこんなもんやあらへん。まだまだいったるで。」
「もちろんです。」
 北はもしかしたら黒松は少し面倒くさいタイプの人かもしれないと思い始めた。
「てかあれやない、なんだかんだ飲みに来たの初めてやない?」
「ああそうですね。あの、何人かではこの前ありましたけど……」
「ああ、せやせや。あの、十人くらいいた時やんな。」
「ああ、そうですそうです。でもこうやってサシで飲ませてもらうのは初めてですね。」
「せやろ。そんなきはしててん。」
「あ、改めまして、伝説のけんの北コントテラーです。」
 北は少し立ち上がりそう言った。
「いや、知っとるわ!知らんやつと飲むって、ナンパしとんのか。ほんま、俺がツッコミマシンやからってぶっこんで来てからに。」
 そういう黒丸は嬉しそうな顔をした。
「ああ、すいませんでした。」
「まあ、ええけどやな……しめじの黒松カヲルですー。」
「いや知ってますわ!黒松さんだってやってきてはるじゃないですか。」
「そんな後輩にやられたら、ただでは引き下がられへんよ。」
 黒松はにやけた表情でそう言った。
「まあまあ、今日は楽しもうや。」
「あ、お願いします。」
 黒松はお通しを食べながらふとした疑問を問いかけた。
「普段は、トリオなんよね?」
「そうですね。伝説のけんっていうトリオで活動してます。」
「随分変わった名前よな。」
「そうですね、まあ覚えてもらえるかな、と思いまして。」
「まあ確かにな、耳には残るかもしれん。」
「え、黒松さんはなんでシメジって名前にされたんですか。」
「フィーリングやね。」
「フィーリングですか。」
「昨日しめじ食べたな思って、それで。」
「いやもう、センスがすごいなあ。」
「いや言いすぎやから!」
「一生ついていかせていただきます。」
「まあええけどやなあ。でもあれやな、最近何度かライブ被ったけど、ずっとピンやったよな。」
「ああはい。」
「え、まさか。」
 黒松は様子を窺うような目で見た。
「あ、違います違います。解散なんてしませんて。今はP−1グランプリに向けて、ピンで立ってるんですよ。」
「あ、なるほどな。P−1か。俺、考えたことなかったわ。」
「あ、そうなんすね。」
「ピンで立つってすごいわ。」
そう言うと黒松は残っていたビールをぐびっと飲み干した。
「何か飲まれますか。」
「ああ、じゃあビールで。」
「分かりました。」
 そう言うと北はビールをパネルで探した。
「あ、他に食いたいもんあったら何でも頼んじゃって。」
「あ、はい。じゃあ串盛りいっていいですか。」
「おお、頼むわ。」
「タレと塩は。」
「じゃあタレで。」
「了解です。」
「え実際さ、トリオってどうなん?」
「うーん、まあまだ組んで一年弱なんで、手探り状態ですかね。」
 北はタッチパネルを戻しながらそう答えた。
「そうなんや。まあ確かに俺たちも今一人増えたらと思うと……想像つかんわ。」
 何か言いそうな雰囲気を醸し出しながら何も言わない黒松にちょっと疑問視しながらも、北はお酒を口に運んだ。
「黒松さんは組んでもうどれくらいになるんですか。」
「えっと、もう次の四月で七年目か。」
「ああ、そうなんですね。元々同級生とかなんですか。」
「ああ、ちゃうちゃう。俺たちも養成所で知り合ったんよ。」
「あ、なるほど。てっきり幼馴染かと思ってました。」
「お互いの初恋相手までは知らねえわ!」
北としては別にボケたつもりもなかったので、謎のツッコミをされて少し戸惑うのだった。
「ちなみにどちらの養成所なんですか。」
「まあそれも色々あんねん。ちょっと長くなるけどええか?」
「あ、もちろんです。」
 自分から聞いてしまった手前、下手に引き下がれなくなった北はそう答えた。
「俺、今こんなバリバリ関西弁つかっとるけど、元々関東出身なんよ。」
「あ、そうなんですね。」
 関西出身の北は、いやたとえ関西出身でなくても、黒松が関西出身じゃないことはすぐにわかったが、ここは適当に相槌を打つしかなかった。
「で、大学で大阪行ったんよ。」
「ああ、なるほど。」
「そうそう。で、四年、あ違う、四回生の時にあっちで養成所入ってん。」
 四年生だろうと四回生だろうとどちらでもいい気もしたが、きっとこれもこだわりの一つなのだろう。北はあえてそこには触れなかった。
「大学行きながら通われてたんですね。」
「単位もほぼほぼ取り終わっとったからな。もう芸人なるって決めとったし、就活はせんかったんよ。」
「はあ、カッコいいっすね。」
「そんなことないけどもやな。」
「じゃあそこで浅羽さんと知り合われたんですか。」
「ちゃうちゃう。そこは、まあ割と成績よかったんやけど、あんまり合わんくて。」
「会わない?」
「そうそう。で、卒業待たずに自分から辞めたんよ。」
「卒業待たずに、なるほど。」
 色々と引っ掛かりを覚えたが、このままでは話が進まないとぐっとこらえた。
「で、そのあとこっち戻ってきて、もう一回別の養成所入って、そこで浅羽と知り合って、今のしめじってコンビになった感じやな。」
「はあ、結構紆余曲折されたんですね。」
「まあせやな。こう見えて意外と苦労人なんよ。」
「さすが黒松兄さん!」
「なんや流石って。」
黒松はまんざらでもないようだった。
「トリオの時は漫才なん?」
「ほとんど漫才ですかね。」
「おお、トリオ漫才か。ええやん。え、コント漫才?」
「うーん、コントっていうよりは、しゃべくりですかね。」
「ああ、なるほどな。関西人やもんな。」
「ああ、まあ。」
 よくわからない理由だったが、とりあえず曖昧な返事をした。
「まあでも今日んライブとかは、もしトリオで今後出るんやったらコント漫才の方がええで。」
「え、何でですか。」
 急なアドバイスに北は思わず身を乗り出して尋ねた。
「今日んとことかはバチバチのしゃべくりしてもウケにくいんよ。だから分かりやすいコント漫才の方がいいんよね。」
「ああ、そうなんですね。」
「うん。まあ自分たちのお笑いやるのも大切やけど、やっぱお客さんが笑ってなんぼやからな。」
 黒松はどや顔でそう言い放った。
「カッコいいすね。」
「やめろて。まあ俺たちも賞レースとか、こんなんいうのもあれやけど、玄人志向のお客さんがおるライブとかあるやん。」
「ああ、はい。なんとなくわかります。」
「そういうところだと、しゃべくり漫才とか、まあコント漫才はコント漫才でも、左手と右手が入れ替わる、みたいな結構攻めたネタとかやんねん。」
「へえ、そういうもんなんすね。」
「うん。あ、ごめん、電話や。出てええ?」
「あ、もちろんどうぞ。」
 黒松はポケットからスマホを取り出した。
「もしもし、どうしたん。今?後輩と飲んどるよ。うん、そうそういつものとこ。え、駅におんの?ちょっと待ってな。」
そこまで話すと黒松は北に尋ねた。
「あのさ、俺の同期が来たいって言ってるんやけど、ええか?」
「あ、もちろんです。」
「おっけーやわ。はい、待ってるわ。はいー。」
少し嬉しそうに通話を終えると、黒松は再びポケットの中にしまった。
「ごめんね、突然で。」
「いえいえ。逆に自分がいちゃって大丈夫ですか。」
「全然、全然。」
「その、今から来られる方は、えっと。」
「あ、すまんすまん。こっちの養成所の同期で、あのー、ビギンマンって知らん?」
「ビギンマン、さんですか。えっと、個人名とかって教えてもらえますか。」
「あ、ビギンマンって名前で活動してるピン芸人なんよ。」
「あ、ピン芸人さんなんですね。ちょっと、すいません。」
「ああ、そかそか。下北とかあんま出てないんやっけ。」
「下北は、出てないですね。」
「それならしゃあないわな。結構そっちの方に結構出てるのよ。」
「あ、そうなんですね。」
「そうそう。こっちの養成所の同期で、何度かコンビ組んでたけど、紆余曲折を経てピンでやってるんよ。」
「そうなんですね。僕もピンの時代あったんで、ピン芸人さんと話せるのは嬉しいです。」
 北としても他の芸人さんと飲めることは願ったり叶ったりだったので、少し楽しみでもあった。
「ああ、せやな。コンビに入ったって形やもんね。」
「はい。」
「あいつ最近なかなか仕上がって来とるから、結構参考になると思う……あ、こっちこっち。」
「おお、ういっす。」
「お疲れさん。」
「あ、どうも。伝説のけんの北コントテラーです。」
「ああ、どうもどうも。カヲルと同期のピン芸人、ビギンマンです。」
「ここら辺でなんかしてたん。」
「いや普通に一本ライブ出て、終わりに飲もうかな、って思って。それで電話したんよ。」
「なるほどな。ま、座れや。」
「あ、じゃあ失礼します。」
「お飲み物どうされますか。」
「ハイボールやんな。」
「正解。」
 お決まりのやり取りなのだろう、二人は嬉々として行っていた。
「カヲルもライブ終わり?」
「そう。それで一緒だったんよ。」
ああ、なるほどね。あれ、浅羽くんは?」
「夜勤やからって帰ったわ。浅羽早起って芸名なのに夜勤ですわ。」
「すぐツッコむんだから。北くんも大変でしょ。」
「いえいえ、楽しませてもらってます。」
「おい、気い使わせんな。」
「気い使わせとらんわ!」
「でもあれだよね、カヲルがサシで誘うなんて珍しいよね。」
「あ、そうなんですか。」
「うん。あんまり後輩とサシで行くイメージないもん。」
「誰がケチやて。」
「おまえだろ、つって。」
「ケチちゃうわ!いや、なかなかおもろいやつなんよ。」
「ありがとうございます。」
 やはり面白いと言われることは素直に嬉しい。
「北くんの相方さんは?」
「あ、自分普段はトリオなんですけど、やっぱりピンでも舞台に立ちたくて、P−1グランプリも近いんで今日はピンで立たせてもらったんですよ。」
「あ、そうなんだ。」
「本当すごいやつだから、コントテラーも色々こいつから盗んだ方がいいよ。」
「そんなすごくねえわ。俺もコンビとか組んでたけど、紆余曲折を経てピンでやってるのよ。」
「おんなじこと言っとるやんけ!」
「いや本当、仲いいんですね。」
 北はやや冷ややかな目でそう言った。
「でもほんま、ビギンマンになって初めてのネタ見た時、しびれたもん。」
「本当、よくそれ言うよな。」
「ほんまなんよ。フリーになって二年目くらいの時に、ガラッと芸風変えたんよ。」
「あ、そうだったんですね。」
「まあそれまではフリップとかやってたんだけど、もうキャラ付けちゃおうと思って。」
「なるほど。」
「で、ビギンマンになったんよな。」
 ちょうどそこでハイボールが届き、三人で改めて乾杯をした。
「ちょっとせっかくやし、ネタ見せてあげたらええやん。」
「え、ここでですか。」
 黒松からの思わぬ無茶ぶりに北はびっくりしてしまったが、ビギンマンはそれほどでもないようだった。
「軽くしかできないよ。」
「見てみたいやな。」
「あ、はい。お願いします。」
 北はぎこちない笑顔を浮かべながらそう言った。
「えー、いやだから、色々な物の始まり、みたいな。例えば、ウニの始まり。痛い、痛い、石持って、この野郎!うわ……うまい!、はい、ビギンマン!、みたいな。」
「ははは、最高だろ?」
 黒松は大爆笑していた。
「いいですね。」
 北も愛想笑いをしてそう言った。
「こんなとこでごめんね。」
「いえいえいえ、見せていただいてありがとうございます。」
「いやでもそんなこと言われたからってわけじゃないけど、カヲルの方も相当すごいからね。」
「いやいやいや、ええって。」
「俺はね、これからのお笑い界を背負うツッコミはこいつじゃないかと思ってんのよ。」
「おお、それは熱いですね。」
「この前のゴッドオブコント、審査員が順々に発表されたじゃん。」
「またその話して。」
 まんざらでもない表情で黒松はツッコんだ。
「ああ、そうでしたね。番組ごとに発表されてました。」
「そうそう。それ見てこいつ、なんていったと思う。」
「え、なんですかね。」
「ちょっと、言ってやんなよ。」
「いやええって。」
「ほら、審査員揃いました、で?」
「アベンジャーズやん!」
「かあ、何度聞いても鳥肌立つわ。」
「いや他にも言ってる人おったって。」
「いやいやいや、お前より早いやつはいなかったよ。」
「ホントにもう。」
「なるほどー。」
 二人とも幸せそうな顔をしていたが、北だけは表情が張り付いたままだった。
「まだ時間ある?」
「もちろんよ。」
「コントテラーは?」
「あ、もちろん大丈夫です。」
「じゃあ今からうちで朝まで、お笑い語り合うか!」
「好きだねえ。」
「じゃあ出るか。」
「 二人はちゃちゃっと荷物をまとめると席を立つ。
「あ、お会計ですよね。」
 財布を取り出そうとする北を黒松が制す。
「いやそんなええから。北も後輩に奢ったったらええから。」
「ありがとうございます。」
「王、じゃあ行くか。」
「あ、すみません。ちょっと荷物整理するんで先行っててください。」
「あいよー。」
 北は二人が完全にいなくなったのを見てから自分に気付けビンタをした。
「ああ、しんどい。」

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