ら抜き言葉

 ひとしきり昼食を食べ終えて満足した二人は、コーヒーをすすりながら話に花を咲かせた。
「パスタも美味しかったですね。」
「ええ。ランチタイムがまだやっててよかったですよ。」
「ここ、うちからもそれほど遠くないですし、ここも打ち合わせ場所の候補に入れてみましょうか。」
「そうですね、気分を変えたいときなんかはありかもしれませんね。」
 雨相はゆっくりとコーヒーカップを口元に運び、しっかりと味わった。
「コーヒーも美味しい。」
「大事ですよね。」
「昔はこんな苦いもの飲めるかって思いましたけど、一度好きになったらもうやめられませんね。」
「それは否めないですね。僕も毎朝飲んでるんですよ。」
「分かります。でも家で飲むコーヒーと、こういうしっかりとした喫茶店で飲むコーヒーではやっぱり違いますよね。」
「本当ですね。それこそコーヒーじゃないですけど、お酒もなかなかやめられなくて。休肝日を設けなきゃとは思うんですが、毎日飲んじゃうんですよ。」
「ああ、そうなんですか。なんか意外です。」
「そう言えば先生はお酒飲まれるイメージないですよね。」
「ああ、僕は全く飲めなくて。」
「あ、そうなんですか。」
「付き合いで一口飲もうものなら、もう顔は真っ赤。すぐに眠くなっちゃいます。」
 雨相は少し自嘲気味に言った。
「いやそこまでとは意外ですね。」
「どうにも苦手です。」
 自分の頭を掻きながらそう言った。
「でも今日はいいアイデアも出て、こんなおいしいパスタが食べれる、あ、食べられる喫茶店も見つかって、よかったですよね。」
「ええ。あの、別に食べれるでも私は気にしませんよ。」
「ああ、すみません。たまに上司に言われるんですよ、ら抜き言葉は使うなって。」
「ああ、そうなんですか。」
「まあこういう仕事なんで。」
「なるほど。あ、でもこれって知ってますか。」
「なんですか?」
「ら抜き言葉って、抜けてる言葉が『ら』ではないんじゃないかって話。」
「え、『ら』じゃないってどういうことですか?」
「例えば今の、食べられる。ローマ字で書くとこうですよね。」
 雨相は胸ポケットからペンを出すと、綺麗なナプキンの上にローマ字で「taberareru」と書いた。
「そうですね。」
「ら抜き言葉と聞くと、ここがなくなったように思える。」
 雨相はraのところを二重線で消しながらそう言った。
「まあ、そうじゃないんですか。」
「でも、こうも考えられるんですよ。」
 そういうと雨相は、先程のローマ字の下にもう一度「taberareru」と書いた。
「raじゃなくて、ここが消えてるんです。」
 すると今度は、「ra」ではなく、その「a」を頭に「ar」の部分を消した。
「『ar』が消えてるんですか。」
「ええ。ら抜き言葉以外の動詞、例えば「行く」が「行かれる」になって「行ける」になったりとか、そういうところから考えてみるとどうやらこれが正しいらしいんですよ。」
「はあ、なるほど。」
「だからら抜き言葉が正しくないというのなら、ら抜き言葉という言葉も正しくないんです。正しくは、ar抜き言葉です。」
「なんか、それはそれで気持ち悪いですね。」
「まあ、そうですね。すいません、それだけです。」
 そう言うと雨相は、先ほどのナプキンを丁寧に畳み、コーヒーの受け皿の上に乗せた。

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