長靴

「空いてる?」
 ガラガラという音を立てながら扉を開けたほのかはそんな第一声を放った。
「ここは居酒屋か何かですか。」
「いや、私居酒屋になんて行ったことないですけど。」
 そう言われてみればそうである。
 普段接している分には、皆それぞれの夢があり、目標があり、苦悩がある。だからついつい一人の大人のように感じてしまうし、実際にそういう面がないとも言い切れないが、彼ら彼女らはあくまでまだ高校生なのだ。
「ああ、すみません。つい。」
「もう、直先生ったら。」
「だからその呼び方はですね……」
「はいはい。え、でも居酒屋に入る時ってこんな感じなんですか?」
 ほのかは樽井の指摘を流暢に流すと、そう切り返した。
「いや、実際僕もほとんどお酒飲まないんですよね。」
「え、そうなんですか。」
「はい。まあ飲み会に行ったりすることはありますけど、行きつけのお店を作ってそこで毎日晩酌するなんてのは考えられないですね。」
「まあ、好き嫌いはありますもんね。」
「そういうことです。で、今日はどうなさいましたか。」
「今日はみんな用事あって暇だから、久しぶりに先生の暇つぶしに付き合ってあげようかなって。」
「あのですね、皆さんが帰った後も先生という仕事は忙しいんですよ。」
「まあいいじゃないですか。」
 ほのかはタイヤのついた椅子に座ると。くるっと回り出した。
「それで、また何か発見がありましたか。」
「おお、先生分かってるー。」
 ほのかは樽井のことを指で刺した。
「で、どうしましたか。」
「この前家の掃除をしてたら、小さい頃の写真が出てきて、私が真っ赤な長靴履いてたんですよ。」
「はい。」
「で、ふと思い出したんですよね。私、長靴って嫌いだったなあ、って。」
「長靴が嫌い?」
「はい。なんかまず普通の靴みたいなフィット感がないじゃないですか。」
「まあ、濡れないようにするための靴ですからね。」
「だから、走ったりもできないでしょ?」
「危ないですからね。」
「まず、そこが嫌だったんですよ。」
「なるほど。まず、ということは他にも理由が?」
「はい。そんな私だから自分から長靴を履こうとはしなかったんですね。」
「まあ、そうなりますよね。」
「雨の日になると、母から言われるんです。今日は雨が降るから長靴を履いていきなさいって。」
「うん、僕もそんなことあったと思いますよ。」
「それが嫌なんですよ。」
「ああ、お母様に言われるのがですか。」
「うーん……」
「お母様に履かされてる、みたいな感じですか。」
「というよりも、雨に履かされてる?」
「雨に履かされてる?」
「はい。私、両親の言うことは意外としっかり聞く子だったんで、母に言われるのは納得できたんです。」
「うーん、え、お母様に言われてはいてるじゃないですか。」
「違います、元をただせば雨が降ってるからなんです。」
「まあ、それはそうかもしれないですけど。でもそんなこと言ったら別の言いつけだって他の理由がありますよ?」
「それはそうなんですけど、頭ではわかっててもなんか受け入れられない、みたいな。」
「なるほど……ということにしておきましょう。」
「うーん、分かりませんかねえ。」
「そうですね、今回の御話はちょっと難しいかもしれません。」
「分かりました、じゃあ今からもう少し丁寧に順を追って説明しますね。」
「ああ……」
「なんですか?」
「その、お手柔らかにどうぞ。」
 今日はどうにも帰る時間が遅くなりそうだ。

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