角(つの)

「かたつむりっていう童謡あるじゃないですか?」
「大桃さん、私が聞きたいのはそんな話ではなくてですね、日曜日にクラスメイトと遊んだという話なんですよ。」
「先生いいですか?物事には順序ってものがあるんです。いいから、聞いてくださいって。」
「わ、分かりました。」
 樽井は椅子に座りなおし、今一度姿勢を正した。
「かたつむりっていう童謡、先生もわかりますよね。」
「ええまあ。でんでん虫虫かたつむり、っていう曲ですよね。」
「まあそうですけど……」
 ほのかは渋い顔をした。
「どうかしましたか?」
「先生、致命的に音痴ですね。」
「いやまあ……」
 樽井にも自分が音痴だという自認はあったが、なかなかこうやって面と向かって言われることはないので、同様だからとついつい口ずさんでしまったことがとても恥ずかしくなった。
「まあ先生が音痴fだということは今回は置いておいて、」
 樽井はびくっとした。
「その歌を、クリスがおかしいって言うんです。」
「おかしい、ですか?」
「先生、かたつむりの歌詞って覚えてますか?」
「えーっと確か、お前の頭はどこにある、ですよね。」
 ほのかはうんうんと頷く。
「そのあとは?」
「角だせ槍だせめだま出せ、ですかね。」
「そうです。そしたらその歌を聞いたクリスが、かたつむりの角なんてどこにあるの?、って言うんですよ。」
「ああ、なるほど。」
「かたつむりのあれは目であって、角じゃないって。怒り出したんですよ。」
「そうですね。まあでも、あくまで童謡ですからね。」
「ですよね?だから私もそういったんですよ。そしたら、そうか、って。」
「え、あ、納得したんですか?」
「はい。」
 樽井は面食らってしまった。てっきりそこで反論が飛んでくると思っていたからだ。
「そういう話です。」
「なるほど……」
 樽井は何も言えなくなってしまった。
「じゃあ先生、そろそろ帰りますね。」
「はい……」
 呆気にとられる樽井。ほのかが荷物をまとめてドアに手をかけたところで、急に意識が戻ったような気がした。
「ちょっと待ってください。」
「どうしましたか?」
「いや今の話、関係ないじゃないですか。」
「あ、バレましたか?」
 ほのかはわざとらしく舌を出して樽井の方を見た。
「そりゃあバレますよ。もう一回座ってください。」
「えー、ちょっと面倒くさいです。」
「いやね、大桃さん。私も一教師として、生徒の成長の楽しみにしてるんですよ。」
「成長ってそんな。」
「ここに来るたびに、大桃さんが変わっていくのを私は肌で感じてるんです。だから、もしよかったら、日曜日の話を聞かせてくれませんか。」
「うーん……」
 ほのかはとても悩ましげな表情を浮かべた。
「私も先生には感謝してるんです。感謝しているからこそ、日曜日にクラスの子と遊んだ話をしたんです。」
 樽井は頷く。
「でも今日はここまでです。今の話するのだって相当勇気出したんですよ?」
 ほのかのその言葉を聞いて、樽井は納得することにした。
「分かりました。じゃあもしまた話せる気分になったら、その時に聞かせてください。」
「いいんですか?」
「もちろん。その話が聞けただけで、よかったということで。」
「はい。」
 ほのかはいい笑顔を浮かべながら返事をした。
「じゃあ、失礼します。」
「はい、さようなら。」

 さっきまで降っていた雨も、もうすっかりやんでいた。
「かたつむりでも見られるかな。」
 樽井は帰る準備をしながら、そんなことを口ずさんでみた。

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