先ほどからほのかは、授業の準備をしている樽井から少し離れた席に座り、何やら本を読んでいるようだった。
いつもなら何気ない話をすることもあったが、何も話さなければならないわけではない。
二人はお互い特に干渉することもなく、それぞれの作業に没頭していた。
 カチカチとパソコンを触りながら作業を進める樽井と、ペラッと、たまにページをめくる音だけをたてるほのか。たまにはそんな静かな過ごし方も悪くない。
「先生ってさ、動物には全く興味ないの?」
 久しぶりに口を開いたかと思うと、ほのかはそんなことを尋ねた。
「まあ専門ではないですね。」
「じゃああんまり詳しくない感じ?」
「うーん、まあ普通の人よりは詳しいんじゃないですか。」
「そっか。」
 ほのかがそう言うと会話が止まった。
「なんかありましたか?」
 樽井は気になって尋ねた。
「特に何ってわけじゃないけど、気になることあるから先生は知ってるのかなって。」
「おお、なんですか?」
「動物ってよく火を怖がるっていうけど、あれって本当なのかなって。」
「ああ、そういうことですか。」
「どうなの?」
 ほのかは本を閉じると、少し身を乗り出した。
「うーん、まあ詳しいことは分からないですけど、怖さはあると思います。」
「あ、そうなの?」
「ええ。まあなかなか火を見る機会もないですし、近づいたら熱いわけですし、生きるという目的がある動物からしたら慎重になると思いますよ。」
「そうなんですか。」
「野生動物が近づいてきたら火を見せれば逃げる、っていうのが本当かはわかりませんけど、わざわざ近づかない動物がいるのも事実ですね。」
「へえ、先生詳しいですね。」
「まあ、諸説ありますけどね。」
「ああ、そういうこと言う。」
「そういうこと?」
「諸説あります、って逃げですよ。」
「いや逃げてはないですよ。」
「いや、逃げです。」
「ええ。」
「私思うんですよね。」
「何がですか?」
「言葉の語源とか調べたときに諸説あります、って出てきたりするじゃないですか。」
「ありますね。」
「あんなの絶対どこかに真実はあるはずなんですよ。」
「真実?」
「そうです。でも今みたいにネットとかが普及してるわけじゃなかったから、みんな、自分が起源だって言ってただけだと思うんですよね。」
「なるほど。」
 樽井は少し納得できるようなほのかの説明に笑ってしまった。
「まあもちろんさっき先生が言ったようなことはきっと今も研究されてることでしょうから結論が出ないんでしょうけど、でもものの成り立ちとかはそんなことないと思うんですよね。」
「うーん。確かに、学説と諸説、は違いますね。」
「だから私、諸説あります、って言葉聞くたびに、目立ちたがり屋のせいで真実が闇に葬られてる気がして嫌なんですよ。」
「それはなかなか面白い考え方ですね。」
「え、ありがとうございます。」
 ほのかは樽井からの思わぬ言葉に少し面食らった。
 すると、最終下校を告げるチャイムが鳴った。
「あ、チャイムが鳴りましたよ。もう帰らないと。」
「えー、でも諸説ありますよ?」
「これは、諸説ないやつです。」
「はーい。」
 ほのかはちゃちゃっと荷物をまとめると席を立ち、部屋をあとにするのだった。

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