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自分らしく生きるための起業で必要な努力と才能は『そこそこ』でいい

自分らしい生き方とは、自分の才能を知り、活かせるように環境を整え、自分にしかできないことを追求していくことだと思っていた。要するに「自分にしかできないことを見つけて、誰より努力すること」が自分を生かす唯一の道なのだと考えていた。でも今は「トップオブトップを目指すのでなければ、『そこそこ』でじゅうぶんだよね」と考えが変わってきている。

僕は23歳までスポーツ選手をやっていた。それなりにトップレベルで活動していたから、競技人生の後半はその道のエリートばかりが生きている世界で生きていた。トップオブトップの選手のポテンシャルは本当にすごい。運動神経がいいとかそういうレベルではなくて、「ここまで能力が高い人がここまで考えていて、そのうえここまで人生賭けてるんだ」という感じだ。

スポーツの世界を卒業して、ビジネスの世界に入った時もそうだ。起業家と言われる人たちに囲まれて生活するようになって、もちろん僕も自分の生活を普通に楽しく暮らすくらいには稼げていたけれど、僕よりも桁が1つ2つ違う金額を1人で稼ぎ出すような人を何人も直接この目で見た。その時に感じたことは、スポーツ選手としてトップオブトップを見た時に感じたことと似たようなものだった。

「成功するには努力か?才能か?」という問い。僕がこの目で見た天才たちは「めちゃめちゃ才能があるフィールドでめちゃめちゃ努力している」ように感じているので、努力か才能かとか言ってる時点で大成できないんじゃないかと思っている。闇雲に努力して潰れていく人もたくさん見たし、明らかにその分野に才能があるのに行動を起こさずに消えていく人も同じようにたくさん見た。

だからと言って全ての人に「才能がないフィールドで努力しても意味がないよ」と投げかけるのは違うと思っている。努力と才能が噛み合わなければいけないのは何かしらの『トップオブトップ』を目指すときであって、スポーツで言うなら日本代表とか、僕のやっているビジネスで言うなら「1人で何億も稼ぐ」とか、全プレイヤーの上位0.03%ほどを狙うような世界に行きたいなら、という話だ。

それなりのレベルにいくためにはそれなりの適性がある場所で、それなりの才能を発揮すれば辿り着けるものだと思っている。もちろん全く適性のない分野で的外れな努力をしたからといって成果が出るわけではない。だけど僕の肌感覚的に、「1人が食っていけるくらいのビジネスを1人でやる」レベルのことは、言い換えれば「自分の飯の種を自分で確保する」程度のことであるので、適性さえあれば誰でも可能だと思っている。

(裏を返せば「適性がない分野ではむずかしい」という残酷な主張でもあるのだけれど)

会社で働こうと個人で働こうと価値を提供するという本質は変わらないのであるから、「会社員としては稼げるけれど個人で稼ぐのは無理だ」と考えるのはおかしいのである。会社があなたに400万円出すとき、あなたを雇うことでどう考えても600万円以上の価値があると会社は踏んでいる。そうでなければ雇用は成立しないからである。会社は営利組織なので儲からないことはやらないはずだ。

独立とはトップオブトップを狙うことではない。集団の一員としてでできていたことを個人単位でやる、というだけのことなのだ。全プレイヤーを出し抜いて上位0.03%に入るには才能と努力ががっちり噛み合う場所を血眼で探さなければいけないだろう。だけど人1人が豊かに生きていく程度でいいのであれば、「なんとなく適性がありそうなこと」を「他の人よりもちょっと努力する」くらいで、十分個人で生きていける。そう思えないのであれば、だれかにそう思わされ過ぎてしまっているのかもしれない。


そこそこ得意なこと、そこそこ頑張る。
それでじゅうぶん、生きていける。



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