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書くと儲かるのはなぜか


今日は2本目だ。最近は書きたいなあと思うことが増えた。なんでだろう。書く行為は今の活動の起点になっている気がする。書けている時は調子がいい。調子が良いから書けているのかもしれないけれど。頭の中にある言葉を掴んで文章にする。それが綺麗に出せたときはスッキリする。1回書いただけで何かが起こるわけではないけれど、たくさん書いていると必ず何かが起きる。何かが起きれば心が動く。心が動けばお金が動く。いろんなものが回り出す気がする。別に書かなきゃいけないってわけじゃない。お金を追うだけなら書き方はいくらでもある。ただ、集客のために書く文章は儲からないと面白くない。自分の内面を吐き出す文章は儲からなくても面白い。今日の昼に投稿した文章はすでにもう10回は読んだ。僕の文章を一番読んでいるのは僕だ。僕が読んでいて面白い文章を書けなければ意味がない。1回書いたって意味がないんだ。10回書いてもう見返りが欲しくなるなら向き合い方を間違えている。100回書いても何も起きないなら大事な何かを見落としている。500回書けばまあそれなりに得ているものがあると思う。お金か、仲間か、確信か、はたまた全てか。自分の内面を書いて公開する価値に気づけたことはラッキーだった。ほとんどの人は「書きたくても書けない」と思っている。自分の考えを言葉にする訓練をやってきていないから、何を書いていいかわからない。「好きにやっていいよ」と言われても困ってしまうのと同じ。書きたいことを書けばいいんだ。書くテーマはなんでもよくて、それこそ今の僕なんて「書きたいんだよなあ」という気持ちをダラダラと何も考えずに書いているだけだ。自分の頭の中にふよふよ漂っていることを掴んで言葉にすることは楽しいんだ。これを100回か200回か続けていると人が集まってきて、もちろんそれなりに手順を踏む必要はあるけれど、人が集まるということはすなわちそこで商売ができるので、結果としてお金も手に入り、別にお金が手に入らなくてもやりたいことを延々とやっているだけで、生活費が賄えてしまうという状況が作れる。好きなことを仕事にするって結局こういう「いつ花が開くかわからない種に楽しんで水をあげ続けること」みたいな積み重ねで可能になる境地なんだと思う。僕は自分におはなし屋って名前をつけるくらいだから、人と対話することが好き。それを仕事にするためには、僕とお金を払ってでも話したいと思ってくれる人が必要。その人にどうやって出会うか。それも苦労せずに、やっていて楽しいことで、ずっと続けられることで。もう書くしかないでしょ。話せれば誰でもいいってわけでもない。僕は僕との対話を心の底から楽しんでくれる人とだけ話したい。どうやってそんな人をフィルタリングしていくか。これもまた書くしかないでしょ。自分の内面を書いて、「こんなこと言っちゃったら嫌われちゃうよ」と思うような部分のことまで言及して、実際に誰かに嫌われながら、「そこまで言ってくれる人はあなたしかいない」と言ってくれる人に出会えばいい。そもそもたくさんの人に会う気はないんだから、書くレベルは下手くそでいい。どんな文章でも最後まで読むマニアはいるから。他の人と被らなければなんでもいい。はちゃめちゃな文章を書いても、「はちゃめちゃな文章でしたが最後まで読んじゃいました」と言ってくれる熱狂的な人に1人で会えれば、その文章は命を吹き込んだ甲斐があったってもんだ。つまり?書くってすごいことなんだよ。嬉しいことも悲しいことも怒りも悲しみも全部、カタカタしちゃえばコンテンツ。どんな内容でもいいから。書くことそのものを楽しんで。書く手を止めないで。書いていれば楽しくなる。楽しいから書くんじゃないんだよ。書くから楽しくなるんだよ。書けないのは書いてないからだよ。書いたらいいんだよ。と僕は思っている。書くことは楽しい。

いただいたサポートはミックスナッツになって僕のお腹の脂肪として蓄えられます。