見出し画像

「プロになるために専門知識を…」それ、ほんとうに必要?



こんにちは。おはなし屋なおとです。今日は「プロであること」について書いていきます。


ノウハウの話ではなく、「プロとはなんぞや」というちょっと哲学的な話。


ぼくは自分のことをプロだと思っています。それはぼくが高い技能を持っているからでも、誰かにプロだと認められたからでもない。


ぼくはぼくの『プロの定義』を満たしているから自分をプロだと思う。そんな感じです。


「プロになりたい!」と勉強したり準備している人がたくさんいる一方で、「プロってそもそも何?」という質問に答えられる人は少ない感じがしていて。


プロ。それは人の数だけある曖昧な概念。プロってなんだ。プロになったらどうなるのか。


個人の名前で仕事をしてお金を受け取る人の人生と「プロとはなんぞや問題」は切っても切れない永遠のテーマ。


あなたも一度は考えたことがあるはず。考えたことがないなら、今日この瞬間から考えてね。


それでは今日も深く考えていきましょう。個人で生きていくための『プロ論』開講です。


この記事を書いた人


「専門的な知識を持っている」=プロであること?



「プロになるために資格を取ろうか悩んでいるところです」



今まで何人のコーチにそう相談されたかわからない。相談を聞くたびにいつも思う。プロって本当に曖昧な概念だなと。


「お金をもらうんだからある程度の専門知識は入れておかなきゃね」という考えは一理ある。


だけどその知識は本当に資格を取ることで手に入るものなのか。そもそも専門知識ってなんだ。誰かに習って習得できるものなの?


もし仮に誰かに習うことでその専門知識を習得できたとして、知識を習得した人は全員プロになれる?


資格を取得したコーチは全員プロか?プロになれば仕事にありつけるの?考えれば考えるほど「プロである人とそうでない人」の境界はあいまい。


ふわっともやっとしている。たしかにそこにあるのだろうけど、明確には見えない。


少し角度を変えて考えてみる。「プロになるために」とかけたコストは「プロになることで」回収できるのか。そもそもプロであることは誰が決めるのか。


ぼくはコーチングで個人事業主をやっている。いちおうプロだと自負している。5年の間それなりに仕事として成立している。


たぶんそのへんの人から見たら「それなりのプロの人」に該当する。ちょっとぼくの昔話を聞いてほしい。なにかヒントになるかもしれない。



プロになりたかったぼくがやったこと



5年前のぼくは「自分が受けたような心が震えるコーチングを提供して生きていきたい」と思った。


ぼくはコーチに質問した。「ぼくもコーチングをやってみたい。どこかでちゃんと学んだほうがいいか?」


コーチは首を横に降った。「あなたが感じたことをそのまま人に渡してあげればいい」確かにそのとおりだと心の底からうなずいた。


「コーチングの知識」ではなく「自分が体験したできごとを自分の言葉で説明できること」が必要だと感じた。


そんなぼくはその日から、受けたコーチングの成果を最大限に発揮するべくありとあらゆることに全力を尽くすようになった。


ブログを死ぬほど書いた。ビジネスのコンサルを受けた。やれることを全部200%のパワーでやって「結局1人で頑張ったって限界あるわ」と感じた。


そう考えたその日には東京行きのチケットを予約して、次の日から出発日の前日まで当面の生活費を稼ぐために日雇いのバイトを入れて上京した。


誰よりも自分の人生に一生懸命だった。その姿勢は今も変わらない。


自分がよきクライアントでいることは、よきコーチであるために必要不可欠な原体験だ。


コーチとの対話で気づいたことを全力で人生にとりこみ、心踊る体験を積む。そして言葉にする。


お寿司屋さんが誰よりも寿司を楽しみ、ウキウキして市場で魚を買うように。ぼくはぼく自信を実験台にして人生を楽しみ、手に入れたものや感覚を言葉にして人に渡す。


そのプロセスを知っているから自然とコーチとしてクライアントとどう関わっていけばいいのかがわかる。



コーチングは流れの中の「届ける手段」でしかない



コーチを見て感じたありかたがぼくの人生に取り込まれ、その姿を今度はコーチとしてクライアントに見せる。


クライアントに少しずつ「自分らしく生きるとはこういうことですね」というメッセージが伝わっていく。


そうすることで自然と成果が出て、お金も循環し、発信するテーマが蓄積されてこうやって文章としてあなたに届く。


その中からまた新しい出会いが生まれ、クライアント関係を結ぶ人が現れ、ありかたが連鎖していく。


ぼくはそんな大きの流れの中でコーチングを捉えている。だから「資格を取ればプロになれる」という簡単な話ではないと思っている。


論点はそこじゃない。「プロかプロじゃないか」なんてことすらどうでもいい。「そこに流れがあるか」大事なところはそこだ。


もし仮にこの世界にプロになるための条件というものが文章にされていて、それをすべてクリアしたらプロになれるとする。そしてここにそのプロがいるとする。


だけどその人にはサービスを渡すべきお客さんもいなければ、自分が提供するサービスに対する想いもない。


プロであるがお金も稼げなければ、サービスを届けて何かしらの感情を得ることもない。


そこにはただ「プロとして認められた存在」がそこにぽつんといるだけ。「あなたはこんなプロになりたいの?」と聞かれて首を縦に振る人はいないだろう。


「技能を認められること」と「流れが起きること」は違うのだ。後者は前者を兼ねるが、前者は後者を兼ねない。


話を戻す。ぼくにとって大きな流れの中で大切な価値観を次の人に渡すための手段がコーチング。


ぼくはぼくのコーチからこの価値のバトンを受け取った。「コーチングを受ける」という形で。


ぼくはその受け取ったバトンを自分の中に落とし込んだ。そしてぼくは「そのバトンをわたしにもちょうだい!」と言ってくれる人と出会った。


ぼくは「コーチングを提供する」という形で渡した。そのやり取りの中でまたたくさんの体験をする。その体験を言葉にする。文字にする。声にする。


その中で「わたしも受け取りたい!」という人にまた出会っていく。お金も動く。


「プロのコーチとして食っている」と言っても過言ではないほどの経済がそこにある。実際にはただそこに流れが存在する。



ぼくはその流れにニコニコ流されている、それだけなのだ。きづいたら5年が経ってしまっていた。これからもニコニコ流されていたい。



ぼくはプロだろうか?その答えはどっちだっていい。ただそこには気持ちのいい流れがあるし、その流れはできることなら止めたくない。それだけ。



どんなプロだって誰かに嫌われている



そもそもみんな「プロ」という言葉にビビりすぎだ。どんな質問にもスパーン!と答えられないとプロを名乗ってはいけないと思っている。


同業者から「ニセモノだ」「モグリだ」などと言われたから何だというのか。ぼくは同業者からどう思われているのかを気にしない。


小心者なので全く気にしていないかと言われたら嘘になるけど、そんなことはどうでもいいと思っている。


ぼくから見たら他のコーチたちは「みんなちゃんとやっていてすごいなあ」という印象だけど、そのなかでも「〇〇流のコーチはうさんくさい」とか「〇〇スクールはコーチング風のビジネスだからね」なんて言葉が飛び交っているのを耳にする。


コーチの数だけ正義があるし、団体の数だけ信じている価値観がある。誰から見てもちゃんとしているコーチなんて存在しない。


というかコーチングをやっている人は全員うさんくさい。もちろんぼくを含めて。変な人ばっかりだ。


冷蔵庫は誰から見ても冷蔵庫だけど、形のないものは人の数だけ解釈がある。だから外野から見るコーチなんて変な人で当然。


そこには当事者にしか共有することができない価値が存在する。だからこそおもしろいしこの世界が好きだ。


ぼくだって誰かに嫌われている。もちろんぼくも「こいつだけはマジでうさんくせえな」と思うコーチもいる。同じことを思われているかもしれない。


それはそれぞれ形のないものを信じている人どうし、おたがいさま。だからといって「あのひとは間違っている」とは言わないし、直接言われることもほとんどない。


プロなんてそんなもんだと思う。だからね、「プロになるためには資格を〜」とか「自分には知識が足りないからもっと勉強を〜」とか、そういう考えは一旦はじに寄せてみてもいいと思う。


全員から好かれることがないように、全員から認められることもないんだからさ。もっと楽にやろうよ。



プロとは「お客さんを喜ばせられる人のこと」



着地のない話をダラダラしてしまった。「だったらプロになるにはどうしたらいいの!?」とあなたは思うかもしれない。今日の話はその部分を深堀りして終わろうと思う。



プロとは同業者に「あいつはニセモノだ!」と言わせない人のことではない。いじわるな人のいじわるな質問にスパーン!と答えられるだけの理論武装ができた人のことでもない。


ぼくにとってのプロの定義は「自分のお客さんを喜ばせられる人」のことだ。


「コーチとしてお客さんを喜ばせられるか?」という質問に「イエス!イエスイエスイエース!!!」と答えられる人がプロのコーチだ。そこに手段は問わない。


だからぼくはプロだ。資格はもっていないしぼくのところに集まる人は読者もクライアントも変な人ばかりだけど、ぼくはその人たちと楽しくやれているからプロだ。


正しいコーチングができているかどうかはわからないし、興味もない。ぼくのことを嫌いな同業者も多いと思う。


この間「正しいコーチングを知らない『自称コーチ』が増えていることが問題だ」と発信している人の文章を見つけた。


その記事は「そうならないためにも本物のコーチングを学ぼうね」と続いた。


この記事を読んだ人の中には「おはなし屋なおとみたいにならないためにこの講座を受けよう!」と思った人も1人くらいいるのかもしれない。


想像するとちょっとウケた。


価値観は人それぞれ。ぼくの定義ではこの記事を書いた人だって「正しいコーチングを伝えることでお客さんを喜ばせている」点では立派なプロだ。


考えかたはぼくと違うけど、だからといって争いになることは基本的にない。


同業者からどう見えるかを気にしている暇なんてないから。そんなことはどうでもいいことなんだ。


だからあなたも「誰を喜ばせるのか」を考えたらいいと思う。商売がしたいなら「お客さんの顔だけを見ること」だよ。


もっと言うなら「お客さんを喜ばせているときの自分の顔が笑っているかどうか」を見ること。


自己犠牲の上に成り立つ貢献は続かないから。


ぼくはぼくにお金を払ってくれている人のクレームしか聞かないことにしている。


たまにクソみたいなコメントが来たりするけど即ブロックする。1mmも参考にしない。


「コーチングとはそういうものではないと思います」みたいなありがたアドバイスも感謝しながらそっと消す。これまた1mmも参考にしない。


ぼくが喜ばせたいのは「業界の人」でも「たまたま動画を見て苛ついた人」でもない。


他人からどう見られるかは気にしない。気になるけど気にしたってしょうがない。


だから「本気で向き合ってくれる人」に向けてだけビジネスをする。特定少数の人だけを喜ばせ続ける。結果として利益が出る。


ぼくはプロになるために何かをしていないけど、自分の活動はプロとして成立していると思っている。だからこれでいい。


プロの数だけ「プロ」の定義がある。


あなたはあなたの「プロ」を追求したらいいんじゃないかなとぼくは思います!



おねがい


今日も長い記事をさいごまで読んでくれてありがとう!「ちゃんと最後まで読んだぜ!」ってことで右下にあるハートマークを押して!今!!


最近頻繁に長い記事を書いているんですけど、スキを押してくれる人が増えてテンションが上っているから!あなたが読んでくれるから、ぼくは書き手でいられる!そういうわけ!!


オレ、カク。オマエ、スキ、オス。オレ、モット、カク。読者と書き手、いい関係を築いて行きましょうや!ということで今日もよろしく!!!!


今!!!もう少し告知は続くけど、今よ!!!今押すのよ!!!今!!!サンキュー!!ありがとうね!またいい記事書くから次も見に来てね!



公式LINE

公式LINE誘導






友達追加はこちら
👉 https://line.me/R/ti/p/%40yxv8045g
ID検索 @yxv8045g




⭐️現在のプレゼントはこちら

✅クライアントと出会えるWeb集客講座
(全3回の動画講座)
✅おはなし屋なおとのビジネスブログ入門
(全7回の音声教材)
✅コーチング販売のマインドセット
(16000字+プロの図解 PDF教材)
✅『起業において資格よりも大事なこと』
(限定公開PDF記事82枚)


※コンテンツは予告なく削除・変更する可能性があります。
公式LINEの友達登録はこちら
→👉 https://line.me/R/ti/p/%40yxv8045g
ID検索→ @yxv8045g






この記事を書いた人


いただいたサポートはミックスナッツになって僕のお腹の脂肪として蓄えられます。